コードネーム:凛
「このシステム、誰が作ったんですか?」
その一言が、私の胸を突き刺した。
──あの頃の私は、まだ新人だった。
知識も浅く、経験も乏しく、それでもどこかで、わかっているつもりだった。
画面の向こうのユーザーが誰なのか、バグが生む混乱の重みがどんなものか、そんなこと──まるで考えていなかった。
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私が初めて配属されたプロジェクトは、ある医療系ベンチャーの予約管理システムだった。
クラウドで病院の予約を管理し、患者の来院履歴を記録し、受付の業務を効率化する──その構想に、私はワクワクしていた。
チームの中では最年少、でも任されたのは予約ロジックの実装。
日付・時間・科目・医師ごとの空き枠処理……ちょっとしたパズルのようで、夢中でコードを書いた。
「私、やれるかもしれない」
そう思った矢先だった。
──本番リリースの翌日、障害は起きた。
ある病院で、予約情報が二重に登録されるというバグ。
一部の患者が「W予約」扱いになり、診察が混乱し、受付と医師がパニックに陥った。
そのロジックは、私が書いたコードだった。
if文で分岐したつもりが、パラメータの片方だけをチェックしていて、同一患者の重複を見落としていた。
テストケースは、そこまでの例外を網羅していなかった。
レビューも甘かった。だが──それ以上に、私の認識が甘かった。
病院からの問い合わせが、怒号に近かった。
「大事な医療の現場で、こんなトラブルを起こしてどういうつもりなんですか?」
「予約が重複したせいで、患者さんに謝罪して、泣かれたんです」
「このシステム、誰が作ったんですか?」
その質問に、誰も答えなかった。
──けれど、私は、答えを知っていた。
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その夜、ひとりオフィスに残って、エラーログを追っていた。
該当の処理を何度も読み直して、あらゆるケースを再現して、そしてようやく、原因を突き止めた。
「私だ」
その一言を口に出したとき、涙が出た。
悔しさでも、悲しさでもない。
ただ、背負ってしまった重みのあまりの重さに、肩が震えた。
それでも、逃げたくなかった。
「私が書いたコードが、現場を混乱させたなら、私が直す」
そう決めた瞬間、私は新人ではなくなった気がした。
翌朝、チームリーダーが私に言った。
「お前が出した修正、レビューした。いい内容だった」
「……すみません」
「いや、謝るな。責任を背負う覚悟を持ったやつのコードには、説得力がある。そのまま、その覚悟で書き続けろ」
そして彼はこう言った。
「凛って名前、いいな」
「え?」
「コードに凛とした姿勢がある。命名センスで悩んでるんだけどさ──
AIプロジェクト、進めることになってさ。開発コードネーム、『RIN』にするつもりだ」
私は、しばらく言葉を失った。
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それから数年。
私は『ユニ』──開発コード「RIN」をベースにしたAIアシスタントのメイン開発者になった。
あのときのミスも、恥も、全てはこのための礎だったのかもしれない。
ユニのコードには、私が学んだすべてが詰まっている。
不安な分岐には理由を。
データ処理には冗長性を。
そして、ユーザーの立場に立つことを、絶対に忘れないように。
翔太や真理がユニを使ってバグを追うとき、
私は少しだけあの頃の自分を思い出す。
コードとは、人の心を映す鏡。
迷い、怒り、希望、優しさ──全部が、関数の中に隠れている。
そして私は、これからも書いていく。
凛として。誰かの明日のために。