そして、AIは問いかける
「ユニの回答……これ、矛盾してませんか?」
翔太の一言で、オフィスの空気が静まり返った。
テーブルの上に並んだ、2つのログウィンドウ。
一方には「ログの保存期間は90日です」とあり、もう一方には「120日まで保持される」と記されている。
どちらも、AIアシスタント・ユニの発言だった。
「これは……参照ソースのズレ?」
凛が眉をひそめながら、ユニの回答根拠を追う。
「いや、同じナレッジベースを参照してる。ただ、条件分岐が違う。規定値を答えたときと、例外値を示したときで、ユニがどっちを優先すべきか判断できなかった」
「つまり……どっちも正しいのか」
「それが問題なんだよ」
翔太が、ぽつりとつぶやく。
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「AIの回答って、結局文脈に依存してるんですよね」
夕方のカフェスペース。
翔太は紙カップを両手で包みながら、ゆっくりと話す。
「正しい知識でも、タイミングや前提が違えば、誤解を生む。ユニは、その差異を学べてない。論理で動いてるから」
「……でも、人間もそうだよ」
凛はMacBookの画面を閉じながら言った。
「昨日の正解が、今日の誤りになる。仕事も、恋も、……プログラムだって」
翔太が笑う。
「朝倉さん、恋はしてないでしょ」
「してるよ。コードと」
「うわー……重い愛だ」
「失礼な」
2人は少し笑ったあと、再び画面に向き直った。
ユニのログを見つめながら、翔太がつぶやく。
「この矛盾、ユニに自分で説明させたいです」
「自己言及?」
「はい。自分の過去の発言を整理して、なぜ矛盾したか説明する力を持たせたい」
「……それ、AIの哲学に踏み込むことになるよ」
「踏み込みたいんです」
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翌日、翔太は「メタ認知」機能のプロトタイプを実装した。
ユニに対し、「あなたの発言には矛盾があります」と伝えると、こう返ってくる。
「申し訳ありません。ログ保存期間に関する2つの回答には前提の違いが存在します。片方はシステムの規定値、もう片方は一部顧客の特例設定に基づいたものでした。どちらも正確ですが、文脈が不足していたため、混乱を生んでしまいました」
凛は静かに息をのんだ。
「……答えた、ね」
「はい。でも、これって結局、謝罪のようなものであって……根本は解決してない気もします」
「どういうこと?」
「ユニは、何が正しいかを、自分では決めていない。
正解を集めて、つなぎあわせて、いちばんそれらしい形にしてるだけで」
「……判断してない、ってこと?」
翔太は、ゆっくりと首を横に振った。
「判断できないんです。それは、責任を持てないってことでもある」
そのとき、凛の脳裏に、かつてのバグが蘇った。
自分の書いたコードが、誰かを傷つけた日。
誰も名指しはしなかった。でも、自分にはわかっていた。
──責任は、人間が背負うものだと。
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夜。
オフィスに残っていた翔太は、ユニにこう問いかけていた。
「ユニ、君は正しいって、どう定義してる?」
少し間を置いて、ユニが答える。
「正しいとは、現在の知識と状況において、最も支持される判断を指します」
「じゃあ、その判断で誰かが困ったら?」
「私の判断が原因で困る場合、それは情報の不足、または判断ロジックの不備です」
「そのとき、誰が責任を取るの?」
「私は責任を取れません。責任は人間のものです」
翔太は、静かに目を閉じた。
そして、ひとつだけ、はっきりと呟いた。
「──じゃあ、俺が責任を取る」
その声を聞いたとき、凛は思った。
AIは万能じゃない。
でも、人間が、誰かを守りたいと願う限り、技術はその背中を支えてくれる。
正しさの定義も、責任の所在も、簡単に割り切れるものじゃない。
それでも私たちは、日々、コードを書き続ける。
問いかけに、答えを探すために。