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流子の母親は神戸の西宮の女子校の出身で、現役で京大文学部に入った。
厳格な家で育ち、下宿させてもらえなかったから、毎日新快速で京都まで通っていた。
「新大阪はいつも、焼けるようなにおいがしたし、京都でバスに乗ると、いつも誰かに見られている気がした。それがどういう意味を持つのか、よくわからないけど」
関西へ行くと、母親は一人ホテルを抜けて古本屋を行脚する。
流子も実桜も一緒に行きたいというのだが、如何せんまだ中学生・高校生で、京大周辺の古本屋を攻略するのは無理というもの。
流子と実桜も、四条河原町のBALに入る丸善に連れていかれ、一万円ずつ握らされると、どうしても夕ご飯まで粘りたくなってしまう。母親の力量が発揮された結果である。
父親は、女性陣の邪魔をするまいと、鴨川をデルタから下りながら、七条の京都国立博物館で一日をつぶす。
母の実家がある神戸に行くと、流子と実桜は祖父母に可愛がられる。
あんなに流子の母親に厳しかった祖父母も、流子と実桜には甘々で、お財布の紐は緩みまくり。流子はMARNIで服を買うことすらできた。
母親は、「そんなんでいいのか?」と首をかしげるが、「女の子だものねえ」とは祖母の談。
流子だって、無理に買いたいと言っているわけではない。祖父母は自発的に流子と実桜を甘やかしているのだ。
実桜はあまり服には興味がないみたいで(というのも流子のおさがりが相当いいものばかりだから新しい服を買わなくても満ち足りているのだ)、もっぱらPCとソフトウェアに課金している。
母親は関西にいる時は関西弁を使う。それが、とても音楽的で、ぞくぞくするほど歯切れがいいのだ。(それを、文字で表現するのはとても難しい)
小さな塊としての神戸は、迫力はないかもしれないが、文化を内包している。それは無視できるものではない。谷崎の『細雪』を実写化したような……。
「牛かつが食べたい」
実桜が手を挙げる。
「ビフカツと言わないと、連れていきません」
「ビフカツが食べたい」
「いいでしょう」
神戸の実家勢ぞろいで、行きつけの洋食屋に行き、そこで祖母や母親を知るシェフに、流子と実桜は実に可愛がられる。
流子と実桜の父親は、娘たちがこんなにちやほやされて、後で苦労しないかと気を揉むのだが、如何せん勝手がわからない。義母に対してはとりあえずうなずき、賛意を示すしかない。
このように母方の実家に帰省するのは毎年のことなのだが、受験のある実桜は父親とともに東京に残った。帰省先の神戸で母親は高校の同窓会に流子を連れていった。娘自慢をしたいらしい。
そういう同窓生は何人かいた。でもさすがに女子校の同窓会に息子を連れてくる人はいなかった。
娘同士で、流子は一人友達を作った。
多賀朋子。流子と話す時は、関西弁をできるだけ使わないようにしているみたいだったがイントネーションから関西の味つけが抜け切ることはなかった。
朋子は、「府立大阪城高校」という名門公立の生徒で、下北沢が小さな単位でニッチをつく配置なのに対して、大阪城は府内全域から人を吸い寄せる大阪の代表的な高校だった。
「悪いけど、下北沢ってあんまり聞かない」
「そりゃそうだよ。東京でもマイナーなのに」
朋子は流子より一歳年上。
母親たちの女子回帰に嫌気が差して、朋子は流子の関西巡りに付き合ってくれた。
朋子は大阪環状線天王寺駅の辺りに住んでいるらしい。
大阪駅近くの大きなジュンク堂に寄り、紅茶の美味しい喫茶店で時間をつぶし、綺麗な文房具屋なんかも案内してくれて、流子は朋子が好きになった。
「東京のことはあんまり知らないけど、大阪も、そんな悪くはないでしょう?」
「最高だよ。堂島、いいところだね」
「難波でたこ焼きでも食べる?」
「難波? なんで?」
「いや、なんとなく」
流子の喫茶店代も、ちょっとした文房具代も、たこ焼き代も全部朋子が払った。
流子はタメ口で話しているけれど、朋子からすると流子は後輩で、なんとなく可愛いのかもしれない。
天王寺のMIOでウィンドウ・ショッピングをして、ハルカスの展望台に上った。
大阪環状線が、朋子の世界だった。
「大阪の人って、騒がしくて、冗談が好きで、ひょうきんだって、そんなイメージがあるかもしれないけど、そんなことない」
朋子は言った。
「大阪の男は、寡黙で、そんな男を笑わせるために、女は面白くなきゃいけないし、つらい仕事をする男を泣かせるために、女は強くなくちゃいけない。男のための女だし、それは男女差別でも何でもない。不細工な男が、一番応援したくなる」
「朋子に好かれる人は、幸せになりそう」
「当たり前」
朋子は笑った。
ハルカスに上って、朋子は大阪の街を指さして紹介した。
それは、文章で読む大阪とか、お笑い芸人の本拠地としての大阪とは、全く違う見方を含んでいた。
朋子は公立中学出身で、荒れた教室や、やる気のない先生、粗暴な同級生を見てきたと言った。
「でも、そういう男、かっこいいのよ。バカだし、粗悪だけど、変に優しかったり、面倒見がよかったり、高校も行かずに就職したり、子供作ったり、楽しそうにやってるわ」
「私、そういうのうまく想像できないな」
「流子、大丈夫よ。いつか世界は、うちらの前に今まで見せたこともない表情を、不意に突きつける」
「そういう経験が、朋子にはあるの?」
「そんなの、経験がなくてもわかるでしょ。積み重ねるってそういうことだしね」
朋子は流子を新大阪駅まで送ってくれた。
LINEを交換して、テンプレートではあるものの、流子は「東京に来たら、連絡して」と書いた。
「東京、ひんやりして、怖いから、いつも緊張する」
「怖い?」
「東京の人は、どこに住んでるのかは雰囲気からよくわかるけど、何してる人かは一向にわからないから」
「すごい洞察。考えたこともなかった」
「渋谷とか、すごく心細くなる」
「心細い? 私ほぼ毎日渋谷に行ってるけど」
「東京の街って、実際にどうかとは関係なく、劣後している気がして、気が引けるから、胸が締めつけられる。恋しているかのように息苦しい。流子はそういうことないの?」
「子供だからって、大人に劣後しているとは思わないよ」
「うちの言っていることは少し違う。渋谷という場所を支える人たちに、申し訳ない気がするというような意味……。なんでそんなに遠慮しちゃうのか、自分でもよくわからないけど」
「阪大に行くの?」
「さあ? 京大って感じでもないし。知らんけど。流子、大阪に来る時は、声かけて。いつでもうちは歓待するから」
「ありがとう」




