5話 インフェリオリティー・コンプレックス(前半)
翌日。シャトルランで筋肉痛の真っ只中だが、授業は待ってはくれない。現在、授業は数学。
「じゃあ次はこの問題ね!誰か解ける人〜?」
この元気溌剌な女性は、数学教師の涼月杏依。糸の様に細く強い金髪、鮮烈に輝く赤い瞳。口調は澪に似ている。身体の凹凸が豊かで、色気すら感じさせる。
また、人間観察が趣味で、人の行動からその人が何をしたいか、そしてその理由をある程度見抜くことが出来るらしい。俺には、それは凄いと言うより、恐ろしいと感じてしまうが。
「ん〜、居ないか〜」
誰も手を挙げないし、誰も名乗り出ない。日本人なら当然の心理だ。
日本人は周囲の意見や波に左右されやすい。自身から発言しようとはせず、周りに居る誰かに発言をしてくれることを願う。
日本人はそれが問題となっている。自身の考えを主張するのは、外国では当然のことだからだ。
「…それじゃ〜…猪崎君、分かるかな?」
「え?あぁ、え〜っと…」
痺れを切らしたのか。涼月先生は名指しに切り替えた。標的になったのは、俺の後ろの席に居る猪崎士郎。
これと言って特徴の無い、黒髪と黒の瞳の男子。数日見ていた感じ、成績は悪くないだろうから、多分解けるだろうが…。
「…うん、正解!じゃあ次の問題ね!12頁の問8!これ解ける人〜?」
俺は既に解けている…が、それを言って目立つなんて行動は避けたい。だから意志表示も何もしない。
「ん〜、じゃあ天官君!」
「はぁ?」
どうやら神は俺の味方をしたくないらしい。こっちが目立ちたくないって分かってて悪戯してるよな?絶対そうだよな?
取り敢えず、無視するわけにもいかないので。
「え〜っと…これはこの式を…」
…数十秒後。
「すご〜い正解!ちょっと難しいと思ったんだけどな〜」
別に難しく無いけどな。ただの計算だし。
「ふっふ〜ん♪良い収穫〜♪」
「なんのことですか?」
「ん〜?さあね〜♪」
全く意味の分からないことを言う涼月先生。なんなんだ、本当に。
昼休憩の時間。つまり昼食の時間。俺は弁当箱を開ける。…勿論、その弁当とは、澪の手作り弁当だ。
「…やっぱ凄えな」
毎日のように目にしているのだが、毎日のようにその感想が出てくる。栄養バランスが完璧な上、弁当という狭い空間での盛り付けの上品さ。
我が妹は、怠惰な所以外は、俺と違い優秀なようだ。
「うわ、今日もめっちゃ美味そうじゃねえか!」
「だよね、普通栄養とか偏りが出ると思うんだけど…ここまでバランスが良いとはね…」
叡と蒼馬が、その弁当に対して、そう興味を示す。
因みに、今日は叡と蒼馬と一緒に食事をする。本当なら毎日、と言いたい所だが…やはりこの2人は、女子からの人気が高い。だからいつもは、女子達に囲まれて食事をしている。
だが今日は、2人は無理を言って俺との食事を優先してくれた。いやはや、親友想いの良い奴等だ。こいつ等も澪も、俺には本当に勿体無い。
「…ま、澪だからな。料理の手腕なら世界一だ」
「それは言い過ぎだろ__とも言えないな…何回か食わせて貰ったことあったけど、アレより美味い、って言うの思いつかないしな」
「だね。澪ちゃんは確実に良いお嫁さんになれるよ」
「…だと、良いんだかな」
俺は箸で出汁巻き卵を取り、口へ運ぶ。
「澪は現在、俺に執着してる…いや、俺の世話をすることに専念してる」
「…まあ、そうだね。じゃないと零、いよいよ壊れちゃうし」
「ああ。今は澪が心の縁になってるからな。居なくなると色々支障を来す」
心の傷は、気が遠くなる程の時間を掛けて治すものだ。澪にとって今がその期間、というわけだ。勿論、俺にとってもだが。
「だから、この十数年ものの深い傷が治るまでは、嫁ぐ気すら無いだろうな、澪は」
「そうかもな…あの子、かなりのブラコンだしな」
「っと…少し気が滅入る話をしてたな。悪い」
「いや、いいよ。こうして話せるだけでも十分だよ」
「俺もだ。今の零が話せることなら、俺達も嬉しいからな!」
「お前等…」
本当に、良い友を持ったな、俺。容姿端麗で成績優秀、更に温厚篤実。友には凄く恵まれている…感謝、だな。
…放課後。
「またな、お前等」
「うん、またね」
「おう!またな〜!」
2人に別れの挨拶を交わし、教室を出る。
本日も買い出し。澪からの連絡、【コンビニで期間限定のアイスクリームが売ってるらしいから買ってきて〜。買わなかったら…分かってるよね?】とのこと。
もし売り切れていたらTHE・ENDな内容の連絡だが…まあ、いざとなったら店舗を巡るつもりだ。
だから、【OK、買いに行く】と返信しておいた。
「…にしても澪、そんなに食べたかったのか?」
澪が〝期間限定〟という言葉に弱いのは知っているが…もしかして結構好物なアイスクリームなのか?
「…ま、多分そうだろ」
結果、売り切れてはいなかった。
レジ袋の中には、パイン味のアイスクリーム。そういえば、澪はパインが好きだったか。
それともう1つ、チョコチップバニラのアイスクリーム。こちらは期間限定ではないが、澪が好きなやつだ。買っておいても問題は無いだろう。
「…ま、後は帰るだけだな」
もう用は済んだ。日も沈んできたし、さっさと帰ろう。
「ちょっとくらい良いじゃねえか〜。俺等と遊ぼうぜ〜?」
何処からか、軽薄なチャラ男の声が響く。今の時代、ナンパなんかやってるやつ居るんだな。興味無いけど。
「どうして無視すんの〜、別に無視する程じゃないだろ〜?」
「そうだぜ〜?俺等、別に悪い人間じゃねえし?」
「__しつこいですね」
…ん?
俺はナンパされている女性の顔を見る。薄水色の髪で碧眼、白い肌…。
「…いや、京さんじゃん」
何故此処に居る?偶然にしては出来過ぎているが…これも神の悪戯か。
「まあまあそう言わずに〜…あ、もしかして攻められるの期待してんの?アハハハ!だったら最初からそう言ってくれよ〜!」
「そうかそうか〜!期待してたのか〜!」
…実に面倒臭い絡み方だ。粘着質…ナンパ馴れしてるな、こいつ等。これだけしつこいと、何を言っても馬耳東風だろう。
「なあ嬢ちゃん。俺等さぁ、此処ら一帯束ねてる不良グループと仲良いんだわ。…もし、俺等の誘い断ったら…どうなるか、解ってるよなぁ?
「__っ」
成程。不良をバックに、半ば無理矢理、と。虎の威を借る狐…つまりはクズだな、こいつ等。
「ここじゃなんだしよぉ!?路地裏で好き放題やっちまおうぜぇ!!」
「そうだな!よし、こいつ連れてくぞ!」
「や、やめっ__!?」
流石に、複数人のガタイの良い男に連れて行かれると、女では対処が不可能だった。抵抗する暇すら無く、京さんは路地へと連れて行かれる。
「…さて」
…どうするか。このまま見捨てても良い。俺に被害が及ぶことは無い…寧ろ、下手に介入すれば目を付けられる。真偽はともかく、バックに不良が居るのだ。迂闊な行動は避けるべきだ。
…ただ生憎と。俺はそのような思考は出来ないらしい。そもそも、ナンパの現場と話の内容を殆ど押さえているのだ。ここで見捨てるのは、流石にクズだ。やってることだけなら、あのチャラ男共と同じ穴の狢だ。
「…警察に連絡…」
一応しておくが…ナンパに馴れているなら、当然警察に警戒している筈だ。早めに事を済ましてずらかるかもしれない。
…だったら。
「…ごめん澪。アイス、溶けるかもしれない」
心の中で謝罪をして、俺は路地裏へと入っていくのだった。
(視点変更:京瑞葉)
路地裏。見馴れた光景。
このような暗がりを見ると、フラッシュバックする。あの頃の恐怖が、あの頃の無力感が。
「よし、このくらいでいいか。んで、嬢ちゃんよぉ」
リーダー格の男が、顔を近付けてくる。
「どんな風に嬲られたい?どんな風に嫐りたい?」
「__っぁ…」
はっきりと、言ってやりたい。「帰らせて下さい」と。だけど、言葉が出ない。
嫐るとか、嬲られるとか。そんな話をされると、恐怖が蘇って…。
そもそも、なんで私は未だにこんなにナンパをされるのだろう。素っ気無い態度を取って、目付きを意図的に悪くして。なのに、まだ足りないと言うのだろうか…?
考えれば考えるだけ、分からなくなる。目の前の状況、それが分からなくなる。
__所謂、ゲシュタルト崩壊。
「きゃっ…!?」
胸部に手を置かれる。そして、更に鮮明に。私の記憶が、フラッシュバックする。
怖い…怖いよ。
「中々良い身体してんじゃねぇか、嬢ちゃん。へへ、久しぶりに滾ってくるなぁ!!」
「__い、嫌っ…!」
「そこまでだ」
聞き覚えの無い、声。
「あぁ!?誰だテメェ」
視線の先には、フードを深く被った人。性別は…分からない。身長的には男だが、声は中性的だからだ。
「…取り敢えず、その人を離して貰おうか」
「テメェ!鳳崎さんになんて口利いてんだ?あぁん!?」
一人の男が、フードの人に近寄り、肩に手を置き威圧する。
(…何を、しているの?)
誰かは知らないけど…この数に勝てる道理が無い。このままだと、貴方がやられてしまう。
その前に…逃げ__
ドゴォッ!
「が…ばぁっ…!?」
「…え…?」
鳩尾に、肘鉄。途轍もない音が、路地裏全体に響き渡り…その男は倒れた。
「…な、なんだ…お前…!?」
(視点変更:天官零)
…ここまでするつもりは無かったんだがな。チャラ男と不良を見ると、どうしても憤ってしまう。
その上、女を襲う現場を目の当たりにすると…な。ちょっと、フラッシュバックするんだよ。
「…さてと」
フードを被って姿を隠し、声質を普段とは全く違うものにして天官零だと判断されないようにしているから、バレることは無いだろう。
…敵は、倒れている男を含め15人。…人1人をナンパするのに多すぎるだろ。おまけに、4人はナイフを持っている…職質されにくい、されても言い訳出来るようなセラミックナイフだ。
リーチは短い…が、凶器というのはそのようなものでも恐怖を煽るものだ。ナイフを使う前に倒すのが吉。
「…お前さん、なんだか調子に乗ってるみてえだなぁ?」
男…鳳崎、と言ったか。そいつが俺を睨んでくる。
「今倒れてるそいつはなぁ、威勢は良いんだが…身体がちと軟弱でよぉ…喧嘩のやり方すらまともに知らねえんだ」
まあ確かに、今倒れ伏しているこいつは小物臭が凄かったが。
「つまり、何が言いてえかぁ、分かるか?」
「さあ?」
あくまで、頬被り。分かる、何が言いたいのかくらいは。
「俺達はソイツよりも断然強い…全員でかかれば、お前さんはあっという間にお陀仏ってわけさ」
「あ〜…そうかもな。こんな数が僕にかかってきたら、やられるかもな」
因みに一人称は〝僕〟だ。完全な偏見だが、〝僕〟という一人称で性別を更に有耶無耶にすることができると考えている。
取り敢えず印象は〝フードを被った中性〟〝フードを被った僕っ娘〟。この辺りで収まれば僥倖だ。
「ハハハハ!分かってて此処までのこのこと!」
豪快に笑う鳳崎。この人数差では、俺はどうしようもない、とでも思っているのだろう。
「今回の事を黙ってこの場から離れてくれたらぁ、お前さんに手は出さねえからよぉ…」
…だが、俺は。
「そういう問題じゃないよ。その子に手を出さないと約束するまでは、僕は帰らない」
確かに多勢に無勢だ。力量差は明白。
ただ、それがなんだと言うのだ。俺は、目の前で京さんを怯えさせているこいつ等を、止める。ただ、それだけ。
「そうかいそうかい…」
鳳崎は数秒俯いた後。
「テメェ等、殴れ」
冷酷に、そう告げた。
(…それにしても)
こいつ等、何か勘違いをしていないだろうか?何故、俺より自分達の方が上だと思っているのだろうか。
力量差は確実にあちらが上。俺はそれだけしか言っていない。
確かに、かかってきたらやられる。…でもそれが何故、俺だと思ったのだろうか。
これだから、傲慢な野郎は。
「ぐべぁぁっ!?」
1人の男の拳を躱し、体勢が崩れた所で、頭を掴んで顔面に膝蹴りを入れる。
「さあて、久しぶりに遊んでやるか〜」
スイッチが入ってしまった。もう、慈悲は無い。
__半殺る。
5話終了です。
今回、なんか四字熟語多くないですか?書いたの自分ですけど。
まあそれはともかく、災難続きの瑞葉にも危機到来。3話で少し書いた、貞操の危機ってやつです。今回も間一髪、って所でしたね。
戦闘シーンを書くのは凄く好きなんですよね。血が滾ります。なんか鳳崎と似たようなこと言ってますけど。
ということで、次回は戦闘シーンからです。では。