4話 黙って介抱されてろ
…その日から数日が経過。あの一件以来、しばしば京さんに視線を向けられるようになった気がする。
一応、出来るだけ避けるようにはしている…が、大体は無理矢理にでも意識を向けさせられる。俺としては奇を衒いたくは無いのだが、そうはさせてくれないらしい。
…そして次の授業…体育。体育館に集まる。
「よし!!今日は体力測定から20mシャトルランだ!!まだ入学して間もないからあまり体力は無いかもしれないが、頑張ってくれ!!」
声がデカいこの人は体育教師の長谷川輝秀。綺麗で乱れていない茶髪、蒼馬と似たような金色の双眸。体格が完全にボディービルの人。握力が凄そう。
恐らく生粋の筋肉愛好家。〝筋肉は正義!!〟という脳筋タイプだろう。
…それはさておき、シャトルランか。普通に疲れるから嫌なんだよな。男子は125回以上で10点、女子は88回以上で10点だった筈だ。
…ぶっちゃけて言えば、俺の中で体力測定で10点を取る難易度が高いのは長座体前屈とシャトルランだと思っている。逆に、他はそこまで難易度は高くない。
だから、別にシャトルランで手を抜いても、他で代替して平均を高めに取ることは可能。つまり本気で走る必要性すら感じない。
それに、シャトルランは後半で残っている者…特に100回以上でも走り続けている者に注目が集まる。下手にそれ以上を走って、注目を浴びるのは陰キャポジションの俺に合っていない。…まあ、それは100回以上でも体力が残っていたらの話なんだが。
もう一つ、走っている時に前髪が揺れる。揺れるということは、目元が見えるかもしれないと言う事。それだけは絶対に避けたい。
「よし、全員準備できたな?それじゃあやろうか!!」
長谷川先生の言葉で、一部の生徒には緊張が走る。シャトルラン開始の直前って、何故か緊張する人居るよな。俺はよく分からないが。
…5、4、3、2、1、0。シャトルラン、開始。
《80回》
かなりきつくなってきた。そろそろ止めて良いだろうか。
男子は既に3分の1が脱落している。女子も3人しか走っていない。後2回程往復して、止めることにしよう。
「零、この辺りで止めておくのか?」
1.6kmを走っても息切れしている様子すらない叡が、俺にそう訊ねてきた。
「…そう、だな…これくらいに、しておくよ」
「了解…じゃ、お前と蒼馬の分まできっちり走っておいてやるよ!」
「ああ、宜しく」
…そうして、俺は脚を止めた。記録は84回。
「ふぅ…あ、零、お疲れ様。何回だった?」
蒼馬が汗をタオルで拭きながらこちらへ来て、回数を訊ねてくる。
「84」
「はへ〜、結構走ったね」
「…因みに蒼馬は?」
「…70。運動はあんまり得意じゃないしね」
「お前大体70前後彷徨いてるよな。俺も80前後だから人の事言える立場じゃないが」
「脚が痛いんだから仕方ないでしょ」
「慣れろ」
「酷い…!」
そんな茶番を交わし、気づけばシャトルランは100回の領域に達していた。
「…あれ、京さんまだ走ってるね」
蒼馬が、京さんが既に88回以上を走っているにも関わらず、まだ走り続けていることを指摘する。
「…普通に100回以上走ってるのが驚きなんだが」
「はは、まあ確かにね…でも、なんか無理してない?大丈夫かな?」
「…まあ、顔に出してないだけで辛そうではあるが…」
別に満点は取っているから、そこまで無理する必要は無いと思うのだが…。
「…無いとは思うけど、叡の回数を超そうとしてるとか、無いよね?」
蒼馬がそんなぶっ飛んだ推測を口にした。
「…叡の記録って何回だったか?」
「…小学生の時、走り過ぎていつも130回くらいで止められてたけど…叡が言うには〝200回は余裕だ〟って」
「おいおい…そりゃ、まずくないか?いや、まだそうと決まったわけじゃないが…」
そもそも、京さんが走り続けるメリットが無い。本人の意図が分からないが、何かメリットがあるのだろうか。
《113回》
「…表情が崩れてきてるな…もう取り繕えてない」
身体に酸素が行き届いていない、といった感じだ。最早走っていられるような状態じゃ…。
《119回》
「おい蒼馬」
「分かってる。止めるよ」
蒼馬も、これ以上は本当に駄目だと悟ったらしい。俺達は急ぎ、京さんを止まらせようと走る。
(視点変更:京瑞葉)
《121回》
呼吸が乱れる、脚が痛い。だけど、私は止まるわけには行かない。少なくとも、〝所詮は女〟と舐められない為には。
私は弱さを見せてはいけない、絶対に。見せたら、また…。
《122回》
切り返しを決めて、また走る。男子の満点記録の壁までは目と鼻の先__
「おい…!止まれ…!」
「っ…!?」
突如、隣の席の彼と、その友達?の青髪の生徒が私の前に塞がった。ご丁寧に、切り返しのラインの前で。
「__って、おい…!?」
《123回》
彼等を躱し、無理矢理ラインを踏んで折り返す。止めようとしても無駄だ、私は…私は…。
…わ、たし、は。
「__っあ…れ…?」
何の前触れもなく。私は頭から転けた。
いけない…!走らないと…!そう思い、地を蹴ろうとする…だが、脚は全く動かなかった。
《124回》
「あ__」
(視点変更:天官零)
「っおい…!」
俺達は倒れた京さんの許に駆け寄る。
「おい、大丈夫か__」
「大、丈夫です…はぁ、はぁ…」
《125回》
「零!取り敢えず氷嚢と酸素スプレー持ってくる!そっちは任せた!」
一先ず、満点の125回を走り終えた叡が走るのを止め、そのような指示を出す。恐らく叡も、京さんがこうなるであろうと予測していたのだろう。
「分かった、そっちは任せる」
そう返事をして、俺は床に這い蹲る京さんに目を向ける。
「大丈夫とか言ったけど、大丈夫じゃないだろ…顔真っ青だし明らかに無理して__」
「何のこと…はぁ…ですか…私は別に、はぁ、はぁ…無理、なんて、してません…」
彼女の強がり…こんな所で発動しなくても良いだろうに…。
「いや、それなりの期間、体育教師をやって来た俺からすれば、京が無理をしていたのは一目瞭然だ」
長谷川先生がそう言うと、彼女は唇を噛む。多分〝無理をしていた〟という事実を知られたからだろう。
「今、東雲が道具を持ってきてるが、もう少し時間が掛かる。京、歩けるか?」
「…いえ…脚が動きません」
「そうか…なら…天官、お前が京を壁際まで運んでくれ」
「はい?」
俺が?京さんを?壁際まで運ぶ?情報が錯綜している。
「いや、待って下さいよ…俺じゃなくて、他の女子とか、それか長谷川先生が運べば良いんじゃ…」
なんとかしてソレは避けなければ。理由は単純、こんな状況でも嫉妬の視線が飛んできているからだよ…!
「いや、女子は力が足りないから京と一緒に怪我する可能性がある。それに今の時代男教師が女子生徒に手を出したらどうなるか…分かってるよな?」
「…」
この教師、少し質が悪い。何故かって?それは言ってる事が全て詭弁だからだ。あたかも自分の意見を正しく見せるように美化しているが、本音はただただ面倒臭いだけだろう。
ほらなんか皆、納得してるし。
「いや、女子2人とかでも…というか別に、俺じゃなくても良いじゃないんですか…?」
俺の言葉にも周りが頷き始めた。いやどっちかの意見に賛同してくれ。
「女子に合法的に触れられるということで。どうだ?お前にメリットしか無いだろ?」
「ぶん殴りますよ?」
教師にあるまじき台詞だぞ、それ。
「ごちゃごちゃうるさーい!さっさと運べー!」
おい蒼馬、助けてくれ…って、アイツ何処行った…!?まさか面倒事を避ける為に姿を消したのか…?
「っち…」
蒼馬に押しつけようとしたがそれも無理だったから、とうとう諦めた。小さな舌打ちをして、俺は京の側で屈む。
「…肩貸してやるよ」
「結構、です…」
「お前の都合なんか知らん。貸してやる」
「ちょっ__!?」
さて、取り敢えず近くの壁際に運ぶとしよう。
「…よし、取り敢えず座ってろ」
「はい…」
「零!持ってきたぞ!」
叡が氷嚢と酸素スプレーを俺に投げつける。…俺はキャッチしたけど、本来すっごく危ないから、良い子は投げずに、きちんと手渡ししてくれよ。
「取り敢えず、これ吸え」
酸素スプレーを手渡す。
「…別に要らな__」
「そういうの良いから。後でこれを持ってきてくれた叡に礼でも言ってくれれば良いから」
「…そうですか」
京さんは酸素スプレーを吸い始める。すると直ぐに顔色が元に戻っていく。
「ふぅぅ…」
「…どうだ?調子は戻ったか?」
「はい…脚は動かないですが」
「そうか…靴脱げ。冷やすから」
我ながら凄く嫌な言い方だと感じる。気の所為だろうか。
「…はい」
「大体、どの辺りが痛む?」
「…この辺りです」
「そうか。それじゃあ冷やすぞ」
「…っひゃっ…!?」
氷嚢を押し当てると、京さんからそんな喘ぎが漏れる。…調子が狂うな。
「や、やっぱり自分で冷やします…」
「…そうか。ならやってみろ」
俺は呆れながら、氷嚢を京さんに渡す。
「はい…っ、痛っ…!?」
自分でアイシングをしようとすると、程度は違えどされるより痛いに決まっている。
「…はぁ…氷嚢を返してくれ」
「大丈夫です…このくらい…!」
「馬鹿か、アンタは」
俺は無理矢理、氷嚢を取り上げる。
「ちょっと…!」
「怪我人なんだから、黙って介抱されてろ」
「…っ…はい」
「…取り敢えずはこれでよし…ほら、歩けるだろ」
「…はい。まだ少し痛みますが、問題無いです。」
「そうか。また痛みが現れるようなら、保健室に行って介抱してもらってくれ」
「…わかりました…あの…!」
「…ん?」
京さんが俺を呼び止める。何か言いたげな表情だが…。
「あ…ありがとう、ございます…」
感謝の言葉…ここ数日で、京さんが簡単に感謝を言う人で無いことは分かっていた。まさか感謝されるとは…だけど。
「…さっきも言ったけど、その言葉は叡に言ってくれ。アイツ、もっと走りたかっただろうに、態々アンタの為にそれを抑えてくれたんだからな」
「…はい、分かりました」
「…ま、次は無理しないようにな」
それだけ言って、俺は京さんの元から離れる。
「んで蒼馬?お前一体何処に隠れてたんだ…?」
「長谷川先生の後ろ。遠近法で上手いこと隠れてた」
「ちょっと頭良いのやめてくれ」
「おかえり!おに〜ちゃ〜んっ♪」
澪がいつもの如く、俺に抱き着いてくる。
「シャトルランどうだった?お兄ちゃん」
「別に普通…って、なんでシャトルランあったこと知ってんだよ…」
「ふふん♪お兄ちゃんの事なら全て把握__」
「あ、そっすか。それじゃあ俺は自室に__」
「嘘嘘!冗談、串戯!偶然知ってただけだから!」
それも十分怖いが…まあストーカー紛いなことを言われるよりかはマジだな。
「__ん?」
突然澪は、何かに気が付いたように目を細めた。
俺の衣服に顔を埋め、匂いを嗅いでいる。え、何怖い。
「…若干女の匂いがするね」
「気の所為だろ」
「いいや!私の鼻は誤魔化せないよ〜…で、お兄ちゃん。誰かな?その女」
ハイライト消えてますけど。俺の妹ってこんな感じだったか…?というか、澪の嗅覚の鋭敏さが凄い。
匂いがするという女は京さんで確定として、触れた時は体操着だった。となると匂いがある可能性は下着。澪はその匂いを感じ取ったということだ。
「…駄目だよ、お兄ちゃん」
「…ごめん、澪」
俺はそう謝った…だが。
「なんで、私が怒ってるのか分かる…?」
「…?いや…なんでだ?」
「私はね…お兄ちゃんに傷付いて欲しくないんだよ…」
「…」
澪は俯きながら、更に言葉を紡ぐ。
「9年前も、3年前も…お兄ちゃんはその心をズタズタにされた。今だって、自分を責めてる。違う…?」
「…」
俺は澪の言葉に黙秘を返す。…澪は俺の性格を理解している。理解しているが故に、自ずから〝黙秘は肯定〟と受け取られてしまう。
「正直、高校に入学するのだって、私は反対だった…これ以上お兄ちゃんに、辛い思いはさせたくなかった、させられなかった。けど、お兄ちゃんは押し切った。〝私の為に〟って、押し切った…」
「…」
「その前髪だって、9年前の一件から目元が隠れるようにしてた。話したくないって、t__」
「澪」
それ以上は言ってはいけない。だから俺は、大きめの声量で、その言葉の続きを遮った。
「ごめん…ちょっと言い過ぎちゃった」
「…別に良い。それより、表情が暗いぞ。澪は笑顔の方が良い」
「…!あははっ…お兄ちゃん、そんなこと言う人だったっけ?」
「昔も今も、お前に対する態度は変わってないと思うけどな…」
「まあ、それもそっか。ちょっと待ってて、お兄ちゃん。直ぐにご飯の準備するから」
「…ああ、頼む」
ああ、本当に強い妹だと思う。俺の立場だったら、そのように強く在れたか?…いや、多分無理だっただろう。
澪は俺の事を心配してくれている。それも、過保護と云うべきレベルに達している程。だけど、俺にその弱さを見せない。俺に、余計な不安を与えない為に。
「…お兄ちゃんどうしたの〜?ソファーで寛いでて良いよ〜?」
「ああ…そうさせてもらうよ」
俺の為に。笑顔で居てくれる、元気で居てくれる妹。だったら…俺は__
と、そんなことを考えながら、ソファーに寛ぎに行くのだった。
4話終了です。
シャトルランは地獄。音源だけで体力を蝕んでいきます…皆さんも無理だけはしないで下さいね。
Q1.現在の瑞葉の零に対する好感度は? A.まあまあ。ちょっと良い人。
Q2.実際、叡が本気でシャトルランを走ったら何回? A.無限に音源があれば230回くらい。そこを超えたらカウントが速すぎてついていけない。
Q3.長谷川先生の握力は? A.軽く握って70kg。本気で握ったら…分からないです。
ぶっちゃけ零と瑞葉の距離間は凄くあります。対面では二人称で呼び合いますし。
これから急展開、というわけでもなく。少しずつ、じわじわと距離を詰めていくように書くつもりです。それでは。