28話 逆戻り
[視点変更:天官零]
「…ふぅ…すまない、大丈夫か?」
京さんを濡れさせないようにしようとしたのだが…咄嗟に出来るのは抱擁くらいしかなかった。
だから俺は即座に水飛沫と京さんの間に入り…俺はその水を一身に受けた。
…その所為で、俺の背中は濡れ濡ってしまった…多分、俺も風邪引くな、これ…。
「え…!?えっ、と…」
…突然過ぎて混乱してるらしい。まあそうだろうな…突然こんな陰キャに強く引っ張られて、何かと思えば自分を水から庇った…無意識とは言え、抱擁付きで。情報が錯綜して、混乱してもおかしくはない。
まあ、斯くいう俺も…突然過ぎて困惑と混乱に包まれている。
「…なんでこんな都合良く水溜りがあるんだ…はぁ…」
まるでその為だけに誂えられたかのような感じがする。
…最悪だ…色々な意味で。
「…な」
「…?」
「──な、なんで、守ってくれたんですか…?」
…そんな質問に、俺は。
「…?二人して濡れるよりは、一人の方が良いだろ。合理的選択だ」
「????」
…あれ、伝わらなかったか。まあ勿論、嘘なのだが。
──正直に言うと…〝分からない〟が一番近しい答えだろう。そう、俺でも分からない。何故このような行動をした?そのような義理があったのか?
考えても、答えは見つからない。悩みという束縛から、抜け出せない。どうやら俺は他人の事よりも、自身の事について知った方が良さそうだ。
…まあ、しないのだが。
「はぁ…仕方無い。アンタ、もう俺の傘持って帰れ。俺は走って帰るから」
「い、いや…!そういう訳には…!」
「もう俺の服は水浸しなんだよ…これ以上濡れても何も変わらない」
…濡れた時点で風邪を引くのはほぼほぼ確定なのだ。だったら濡れていない方に傘を持たせ、俺が雨に打たれながら帰るのが一番良い選択だろう。
…ただ。
「え、っと…違くて、その…」
「…?」
京さんは俺の提案を控え目に否定する。
…というより、何か寂し気な表情をしている…?
どういう事だろうか…別に俺がこのまま傘を使っても、何もメリットは無いだろうに。寧ろ、デメリットの方が大きいとさえ、俺は思うのだが…。
…まあ、ここは押し切らせて貰う。何より俺が面倒だからだ。
「──それじゃあな」
「え、あっ、ちょ…!?」
…何か言いたそうだった京さんをシカトして、俺は全力ダッシュで自宅の方向へと走り出す。雨など全く意に介さず…道角を曲がり、そこで立ち止まる。
「……」
…別に、思う訳も無い。恋愛に関心を持たない俺には、あんな状況なんとも思わない。
京さんが俺に好意を向けようが厭悪を向けようが、対して興味も無い。いくら俺に対して特別な感情を持っていたとしても、変わらず距離を置き続ける。
…今までは、そうだった。
「……」
京さんに抱き着いた時の感覚が、まだ残っている。温かく、柔らかく…そして、安心する。そんな感覚の残滓が、未だに残っている。
…暫くは、忘れられそうにない。
「…いっけね」
考え事をして、少し時間が経っていた。一部濡れていた身体だが、すっかり全身がその状態になっていた。
…少し熱い顔を気に留めず、再び走り出す。
「…ただいま、澪」
「おかえり──って、なんでそんなに濡れてるの!?」
帰宅して直ぐ。俺は勿論、澪に濡れているのを指摘された。
「お兄ちゃん傘持って行ってたよね!?傘は!?」
「あー…いや、これはだな…」
俺は澪に事情を説明した。取り繕うか悩んだが、別に疚しい事は無いので止めておいた。下手に嘘を吐いて、それが澪に露見した方が怖いからな。
俺達兄妹の間では、基本的に隠し事は無しだ。訊ねられた事には、正直に答えなければならない。まあしばしば嘘を言い合っているのだが。
「へえ…あのお兄ちゃんが、一人の女の子に…ふ〜ん」
嫉妬の視線が俺に刺さる…なんで嫉妬されなきゃならんのだ。
「…お前、不機嫌なのか?」
「別に〜?前までお兄ちゃんが私にだけ構ってくれてたのに、最近他の女の子と関わって私の事を疎かにしてるから怒ってる訳じゃないですけど〜?」
「あー、はい」
言わなきゃ良かったものを、全部言いやがった。澪らしいと言えばそこまでだが。
「…にしても意外だな。てっきり愛情の裏返しで叱ってくれると思ったんだが」
俺の心配をしてくれているのは分かるが、その点で怒っている訳ではなさそうだった。その部分は問題無いのだろうか。
「んまあ…別に、良いんじゃない?」
その言葉に、俺は瞠目した。今までの澪なら、こんな事を言う筈が無かったから。
「…どういう事だ?」
そんな澪に、俺は気付けばそう訊ねていた。知りたかったからだ…澪の変わった部分を。
「結局はお兄ちゃん次第だからさ。お兄ちゃんがそうしたいならそうしたい、したくないならしたくない…それで良いじゃん」
…その言葉は至極真っ当な言い分であったが…妙な理解し難さがあった。言っている事は分かる筈なのに…俺がそれを拒んでいる…?
「んま、今のお兄ちゃんには分からないかもね〜?」
…俺の事を理解しているようで。澪は俺の心を見透かしたように、そう言った。
「…はぁ…取り敢えず、風呂に入って良いか?」
「うん!一緒に──」
「殺すぞ?」
「怖っ!?」
…気が付けば、そんないつも通りのやり取りをしながら…俺は風呂に入る準備をした。
「……」
シャワーの音が狭い空間に反響する。水の滴り落ちる音が一定のリズムを刻み、環境が環境なら刑務所の拷問の一つみたいだ。
「ふぅ…」
シャワーを浴びながら…俺は正面にある鏡に目を向ける。
…湯水によってアンバランスにされた前髪から、片目が覗いている。白銀色で、自分で言うのもなんだが綺麗な瞳だ。
それに対して、俺が思う事は、たった一つ。
「…いつ見ても恨めしい」
突然だが…俺は自分の顔が大嫌いだ。別に顔のパーツが嫌いな訳じゃ無い、他人と少し違う、変わったこの目が嫌いな訳じゃ無い。
…ただ単純に、この顔の事が、本当に嫌なのだ。望んでないのに、人を寄せ付けるこの顔が、本当に嫌なのだ。
…〝ふざけた事を抜かすな〟って?非難は甘受しよう。確かに、俺はふざけた事を言っている。世の中、この顔を、この顔が与える恩恵を羨む男が何人居るか…俺はその気持ちを一切考えていない。
…ただ…そうだな。一つ訂正をしておく。
俺はさっきこの顔を嫌いだと言ったが…前は好きだった。
…まあ、普通なら嫌いだなんて思う筈が無い。生まれつき恵まれているものに、不満なんて抱く方がおかしい。
…だったら、何が嫌なのか?
『わたし、れいくんのことすきだよ!』
「…出会いだってそうだった」
俺は俯いて、そう言う。
…事の発端も…俺が何も知らなかったからこそ。俺の失敗が招いた、ただの闇。辛くて取り返しのつかない歴史。
「…凰雫…遥生…瑠璃…遼…」
いつだったかも分からない、旧友の名を一人一人呟いていく。あまりに声が小さく、シャワーの音で殆ど掻き消されるが…俺の耳にはしっかりと響いている。
『やさしいところ…わたし、だいすき!』
『おまえといるとタイクツしないんだ!』
『ふふっ、れいくんあったかい…』
『おまえ、ほんとうたよれるな!』
「……ハハッ…」
優しいとか、頼れるとか。そんなのが全てじゃないだろうに…アイツ等はそう言ってくれたっけな。そんなに憶えてないが。
…それでも、偽りの記憶でも…憶えているなら、そう認識しているなら。
「…そろそろ、俺も本気でやらないとな…見てろよ」
俺は顔を上げ、再び鏡に映った顔を見る。さっき見た顔とは違う…何かが宿った瞳が、そこには映っていた。
「さて…」
俺はついさっきまで、忘れていたのだ。俺の欠けた部分は、その部分を綺麗さっぱり忘却していただけ。
本来ならば知っていた…長い長い幻想に囚われて、いつまでも思い出せずにいたが、それも終わりだな。
「──テスト当日は、這ってでも出てやる」
…次の日の朝。
「──あの…これ」
廊下にて、京さんに傘を返された。周囲に見られている事なんてお構い無しだ。
「…昨日は、大丈夫でしたか…?」
…京さんを庇って濡れた事の心配をされた。目をこっちに合わせようともせず。
…成程。
「問題無い…とは言えないな。少し寒気がする」
「──!ごめんな、さい…!」
「謝るな…俺が偏に勝手に庇った所為だ」
俺の持論では、人は他人が不利益を被った場合、その原因が自分に一ミリでもあると思ったら、後ろめたさを感じてしまう。生粋のパッパラパーならばそんな事は無いのだろうが、深く考える奴程これに当てはまる可能性は高い。
「…でも…」
「ほら、教室行くぞ」
俺はとっととこの場を去る…周囲の視線には、慣れないもんだな。
「…!」
タタタタタッ
…今日は俺の真横をピッタリと付いてきた。
「……」
別に勘違いはしたくないが…この行動が続くようならば。
…その時は、俺が。
…そうして、テスト当日。蒼馬との点数勝負の日だ。
蒼馬には既に、全力勝負をすると言っている…つまり、俺は挑むのだ。いつの間にか置いていかれていた、天才に。
「ふぅ…」
今日の俺は、妙に落ち着いていた。勝てる筈もない勝負だから?逆に余裕だから?…いや、違う。
──勝負とかそんなの、関係無いからだ。
俺の許から居なくなった旧友達が、いつまでも腑抜けてたら…笑えないだろ?だったら本質はそこじゃない…。
──ただ、頑張るだけで良い。
誰がどう見ても100点満点の答えなんて出さなくて良い、期待を裏切っても良い。結果が振るわずとも、多くの後塵を拝そうとも。
直向きさを示せば、それで。
「…それではテスト…開始!」
俺は答案用紙を表向きにして、問題を確認する。
「……」
問題の数、パッと見の難易度。それらを数秒確認して…そして、解答を書き始める。
最初の問題なんて、それ程考えなくても正解出来る。経験から、ミスをする事も少ない。そもそも答えを書いている最中にもミスが無いか確認している。
…さて、と。
(──勝負開始だ、蒼馬)
「はぁ…疲れた」
俺は自宅のソファに寝転がる。
…テストは存外早く終幕を迎えた。集中し過ぎたか…少し脳に疲れが溜まるな…。
…テストの結果は、なんとテストの次の日に出る…誰がどうやってそんな芸当を成し遂げているのかは知らないが…とにかく、明日には結果が出る。
「…今日はもう眠いな…」
…蒼馬とのテスト対決では、一つのミスが命取りとなる…だからこそ、解き終わっても気を抜く事は無かった。やっぱり勝負なんて苦手だな…常に警戒しないと、いつ寝首を掻かれるか分からないから。
「…ま、意外にすっきりしたな」
ずっと負の感情を出して燻り続けるよりは、ずっと心地が良い。全部出し切った、そんな感覚がある。
(…これで、学校生活は少しずつ変わる…か)
嬉しいような、悲しいような…あるいは寂しいような。
…まあ、これで良かったのだろう。俺も遅かれ早かれ、変わらなければならない事は分かりきっていた事だしな。それが、今日だったというだけだ。
…後悔なんて、しない。
「…それで。なんだ、この状況」
さっきからずっと、俺の頭は澪の膝の上にあった。
「膝枕。知らない?」
「知ってる。なんで膝枕してんだ」
「疲れたお兄ちゃんを癒す為〜♪」
「…そうか」
なんやかんや言って、人の温もりは心を落ち着かせてくれる。心の底から、安心する事が出来る。
…今まで近くに居た分、余計に安心出来るってのもあるが。
「う〜ん…やっぱりかっこいい」
「…止めろ、俺の前髪を掻き分けるんじゃない」
「ええ〜良いじゃん。私に見られても問題無いでしょ?」
「…はぁ」
澪の手で視界がはっきりとした俺に、澪はえも言われぬ笑みを浮かべた。
顔を見られるのは、妹であれど少し抵抗がある…まあ、他人に見られるよりかはマシだ。澪なら…まだ、大丈夫だ。
…ただまあ、嫌なものは嫌だ。簡単に仕返しはしておこう。
「わっ、何お兄ちゃ──ひゃぁあっ…!?」
俺は少し身体を起こし、軽く澪の脇腹を指で突いた。澪は嬌声を上げ、軽く身体を跳ねさせた。
「な、なななな何するのお兄ちゃん!?」
「いやそこまで動揺するか…?ただの兄妹同士のちょっかいだろ」
「〜ッ!やったな〜!」
「ッ!おい馬鹿!」
…この後の事は、敢えて言わないでおこう。うん、言わない方が良い。本当にしょうもない事だから。一応言うが、断じて変な事はしてないぞ、断じて。
…そして、テストの成績発表。
「………」
返ってきたテスト結果表を見て…俺が思ったのは…〝普通〟。結構頑張って、結構な結果となった…そんな感じだ。
「え…?」
隣の京さんは…少々驚愕した様子だった。まあ、そうだろうな。
…順位が落ちるとしても、精々一つ。自身と対等に渡り合えるのは寺沖蒼馬のみ。そう、考えていたのだろうが。
(──恐らく京さんの順位は…3位)
この高校のテストの難しさは把握している。少なくとも平均90点以上を取れる生徒は限りなく少ない。三、四人が良いところ。
…そのトップ層の中に入っているのは…蒼馬、京さん…そして、天官。他に居るかもしれないが、これらが成績トップ層。
…俺の順位は…。
(……まあ、だろうな)
…国語が足を引っ張って…2位。どうやら、俺はまたしても国語でやらかしてしまったようだ。
…国語89点、数学100点、英語100点、社会98点、理科100点…平均は、97.4点。
…理数英は満点、社会は予想外の角度からの出題でミス…国語は、仕方無いだろう。何せ、まだ理解に時間が掛かっている。思い出すのにも、な。
「…んで、肝心の蒼馬だが…」
…多分、見るまでもない。アイツの事だ…俺と勝負するとなれば、手を抜かない道理が無い。
「京さん順位落ちてるな…まあドンマイ!次があるって!」
京さんの内心は分からないが…京さんに張り付いている男子がそう言う。気慰めのつもりだろうが…逆効果になる可能性があるぞ、それ。
「……」
…あ、多分聞いてないな。
京さんはただ結果表を見つめるだけで、その視界に他は映っていないようだった。
…軽度の精神的なショックだろう。まさか自分が順位を落とすなんて考えてなかった、って顔だ。
…まあ、これで理解しただろう。〝規格外〟はアンタと蒼馬だけじゃなかった、って事だ。
「えぇ!?嘘でしょ蒼馬君!?」
「ま、マジ…?」
…どうやら蒼馬を取り囲む女子達も騒がしくなってきた。
…まあ結果を見聞きすれば分かる。アイツがどれだけ勉強出来るか。
「全教科満点!?」
「「「「はぁ!?」」」」
一人がその結果を叫ぶと、周囲が連鎖的に反応を起こす。創作の中でしか聞いた事の無い結果…それが全教科満点。現実に居る筈も無いと思っていた存在…それが、今自分達の前に存在するとすれば…。
「…有り得ない…」
一人はそんな呟きを漏らす。
…比嘉だ。比嘉も以前のテストの成績はクラス4位だったっけか。多分今回もそうだろう…まあ勉強出来る奴程気になって仕方無いだろうな、満点なんて。
だが安心しろ。寺沖蒼馬という人間は、そういう奴だから。
「──あっ…」
気付けば京さんが俺の結果表をバッ!と奪い取って、それを食い入るように見ていた。
(…俺のプライバシーは…?)
そもそも人に見せるような結果じゃないんだが…まあ良いか。
「……」
「?」
今度は俺を睨む京さん。
…あ〜、多分これは…アレだ。いや正確には二択…〝なんで私の順位を抜かしてるんですか〟もしくは〝もしかして以前のテストは真面目にやってなかったんですか〟という二択。
…どちらにせよ、面倒だ。
「…1点差」
「…?」
「1点差なんですけど…悔しい…」
……その悔しがる姿を見て。
京さんにも、案外負けず嫌いで可愛い一面があるのだな、と。無気力にそう思うのだった。




