27話 え?ハグ?
「嘘吐け」
「酷くないですか!?」
いや、流石に傘忘れたは嘘だろう。登校時には確実に多少は雨が降っていた筈…それなのに傘を持っていかない理由が見当たらない。
そもそも傘を持っていなかったら身体はしとどに濡れていた筈…今朝は京さんの制服が濡れて透ける、なんて多くの男子生徒から見て生唾物的な状況にはなっていなかった。
仮に濡れていたとして、変態男子生徒がそれに騒がないだろうか…いや、絶対騒ぐだろ。
「…はぁ…冗談は存在だけにしてくれ」
「なんでそんなに毒を吐くの!?」
京さんの口調が初めて乱れた。
…自分でも言葉を間違えたとは思ったが…まさか口調が乱れる程だとは。
ただ、俺は正直な事を言った。入学前に聞いた〝お嬢様〟の噂…根も葉も無い噂ばっかで、存在自体が冗談のように感じたからだ。
…これを他が聞いたら100%殺されるな。殺せるものなら殺してみろ、と言いたいところだが。
「嘘は言うもんじゃないぞ…傘持ってんだろ」
「え、いや…それは…」
…絶対に持ってる奴の反応なんだよなぁ…何を意図してこういう嘘を吐いているのかは分からないが、とにかく嘘を吐いている事だけははっきりと分かる。
「まあ、一応病人だしな…」
一瞬忘れかけていたけど、この人風邪引いてるんだった。元気そうだから大丈夫そうだけどな。
「多分帰るだけの体力あるだろ…帰って病院行け」
…と、俺は催促したのだが。
「だから、傘を忘れ──」
「あーはいはい、分かったから。貸出用の傘でも借りておけよ」
傘を忘れたという主張に関しては、もうどうでも良い。どうせ学校では貸出用の傘くらいあるだろ。俺は借りた事無いが。
「いやでも…」
「…なんだ?何か問題あるのか?」
京さんは口をモゴモゴとさせ、何かに言い淀んでいる様子。
…え、何か貸出用の傘にトラウマでもあるのだろうか。そんなトラウマを抱えている人なんて聞いた事も見た事も無いが。
「えっと…傘を借りる、のは…ちょっと…」
…いつもとかなり様子が違うのはそうなのだが…更に挙動不審になったぞ。傘を借りるのがそんなに嫌なのだろうか…一体どんな理由があるんだ…。
…まあ、このまま濡れて帰す訳にはいかない。
「…はぁ…だったら俺の傘使え。ロッカーの所にあるから」
「え、それじゃあ貴方が…」
「別に良い…俺はアンタの方が心配なんだよ」
「ッ…!?」
京さんの風邪が悪化するよりも俺みたいな目立たない、空気みたいな存在が病で魘される方が良い。
京さんは男女問わず人気者だ。そんな彼女の風邪が俺の所為で悪化したならば、今この人と話している俺に責任が付き纏う。だったら俺が風邪に罹る方が学校の風評的には良い。
…〝名誉の負傷〟ならぬ〝名誉の罹患〟…そんな言葉を背負った方が良い。
──というのは詭弁で、俺がただ単純に見過ごせないからだ。今までの説明は全部無駄だったな。
…に、しても。な〜んかこの人、さっきより顔が赤い気が…。
…まあ、気の所為か。
「──駄目です」
「…え?」
京さんはそんな言葉を漏らした。
…駄目って…何が駄目なんだ?
その心の問いに答えるように、京さんは次にこんな事を言った。
「貴方を雨に打たせる訳には…いきません」
「……はぁ?」
この人、マジで何を言ってるんだ…全然意図が読めない…言ってる事が滅茶苦茶過ぎる。
「…だったらどうしたら良いんだよ…」
これ以上の選択肢が、あるとは思えない。この選択肢すらも否定されてしまえば、寧ろ腹を括って雨に打たれまくって帰った方が良いのでは?とおもってしまう。
…これよりも素晴らしい提案が出来るなら、是非とも訊かせて欲しいものだ。
「…簡単じゃ、ないですか」
消え入りそうな声で…京さんは言った。
──その、とんでもない提案を。
「──い、一緒に…一つの傘を使えば、良いじゃないですか…」
「………」
…一旦落ち着け…俺の耳が悪いのか?取り敢えずもう一度訊いてみよう。
「…悪い、聞こえなかった。なんだって…」
「だ、だからっ…同じ傘に入って…」
OK、取り敢えず聞き間違いは無さそうだ。いや全然OKじゃねえわ。
…京さん、頭でも打ったのか?いや確実に打っただろ…じゃなきゃこんな提案有り得ない。
というかこの人絶対傘持ってるだろ?なんで自分の傘でも貸出用の傘でもなくて…俺の傘を使おうとするんだよ。
…取り敢えず、その提案は突っ撥ねさせて貰おう。
「却下。そもそもアンタ、傘持ってるのにこういう提案するもんじゃないぞ」
「うぅっ…!?」
俺でなければ〝俺に気があるんじゃ?〟って勘違いしそうな提案だからな?
そもそも京さんの熱狂的ファンや狂信者に絡まれたくない。京さんについての悪い噂が立つのは、芸能人のスキャンダルを晒すのと殆ど同じだ。ましてやそのスキャンダルの中に俺が関係していれば…ファンの手によって、俺はこの高校からデリートされるだろう。
そんな事にならない為にも、俺はこの提案を断らなければ──
「確かに傘は…持ってますけど…!」
「やっぱりそうじゃないか…なら」
「──でも…!私の傘は、登校中に壊れて…!」
「…マジか、それ」
…壊れてるなら…まあ俺の傘か、貸出用の傘を使うしかない。
…前者は言うまでもなく、論外だが。
「…だったら貸出用の傘を使うしか──」
「だから、借りるのはちょっと…」
…なんでそんなに貸出用の傘を使おうとしないんだ…過去に貸出用の傘に関してどんな事があったのか凄く気になるが…。
「だったらアンタが俺の傘を使え…俺が貸出用の傘を使って帰るから」
「駄目です…!傘を借りたら、大怪我しますよ…!」
「なんでそうなる…!?」
なんという出鱈目な理論なんだ…この人の過去にそういう経験があったのか…?だとしたら壮絶過ぎる過去だな。
…京さんは、恐らく風邪を引いている。トラウマを克服させる暇は無いし…。
──もう、腹を括るしか無いか。
「はぁ…分かった」
「……え?」
「なんでアンタが驚いてるんだ…俺の傘に、一緒に入る…それで良いか?」
…なんで俺がこういう事を言わなければならないのか…確認する事すら恥ずかしいというのに。
「…!は、はいッ…!」
京さんは声を若干上擦らせながら、そのような良い返事をした。
……美少女との相合傘、なんて…今後一切無いイベントだが…これはまた、周りに恨まれるな…。
「…はぁ…なら、行くぞ」
…俺達は教室から出て、廊下を歩き…そして。
…そして、外に出た。
「……こりゃ、土砂降りだな」
教室の窓から眺めた時より、土砂降り…雨が止む様子も一切無い。
「あ、あの…」
「…?」
京さんは何やら緊張した風で、俺の裾を掴んできた。それに対して、俺が疑問に思っていると…。
「ッ!」
「…!?」
京さんは…俺の腕にしがみついてきた。
柔らかい感触と甘い香り…そして、身体がほんのりと熱くなる感覚。それらが俺に襲い掛かり、混乱してしまう。
「え〜っと…これは…?」
…ここまで俺が緊張したのは久し振りだな…言葉もタジタジで、次が出てこない…。
「これは、その…傘一本じゃ狭いので…出来るだけ、傘の下に隠れられるように、と…!」
京さんは俯きながら、小声且つ早口でそんな事を言う。
…まあ、理屈は罷り通っている。相合傘の大体は、お互いもしくは片方の身体が濡れる…傘は狭いからな。
だからこそ、今の京さんがやっているように濡れる面積を減らすのは良いのだが…いかんせん、相当近い。下手な恋人よりも近い…傍から見れば〝美少女が陰キャと付き合っている〟という構図に見えてしまう程に。
人が多い場所なら、釣り合ってないだの分不相応だの…虫が良すぎるだの。そんな言葉が俺を突き刺す事間違い無しだな。
「分かったから…少し離れてくれ」
さっきから密着し過ぎて色々とマズい。邪な念は抱かないが…それでも周りの目がある所では、この密着度はマズい。
…何がマズいのか、訊くのは野暮だぞお前等。
「そもそもまだ傘も差してないってのに…はぁ…」
そう言いながら、俺は傘を差す。
…少し大きめの傘だと思っていたのだが…二人入るとなると、少々小さ過ぎるかもな。
「…それで。アンタの家はどっちだ?」
「え…!?ま、まさか私の家にお邪魔してあれやこれやしようと──!?」
「違うに決まってるだろ!?」
この人、意外に脳内ピンクなんじゃないか…?俺がそんな奴に見えたのだろうか。だとしたら心外である。
「俺の傘を使ってるんだ…先にアンタを家に送らないと、俺が帰れないだろ」
「あ、そういう…ぅう…」
酷い勘違いをした事に恥ずかしがっているのか…京さんは更に顔を紅潮させる…これ以上体温上がれば死ぬんじゃないかというくらいに赤いが…大丈夫だろうか?
「…早く帰るぞ。アンタの風邪が悪化したら困るからな」
「は…はい…」
そして、俺は京さんに抱き着かれながら、京さんの家まで道案内されていく…。
[視点変更:京瑞葉]
…身体が熱い…でも、これは風邪じゃない。私が天官君に密着している羞恥心と、慚愧に堪えない気持ちによるもの…要するに、〝恥ずかしい〟。
──勿論、〝傘を忘れた〟〝傘が壊れた〟…これらの発言は、全て嘘だ。私はただ、天官君と…相合傘がしたかっただけ。
最初はそんな気は無かった…だけど、魔が差してしまった。天官君の所為だ…天官君が私の気も知らずに、私をときめかせてくるから…私は、調子に乗ってこんな事をしてしまった。
本当何やってるんだろ…私。こんな事しても、天官君が靡かないのは分かってる筈なのに…それでも、期待してしまう。
今まで無為に誰かに好かれる事しか無かった。こちらから寄らなくても向こうが勝手に餌を見つけた魚のように食い付いて来る事しか無かった。こんなの自分で言いたくないが…恐らく私が無意識に人々を魅了していたのだろう。
…でも、私と彼の関係に至っては…その逆、なのだ。
天官君が無意識に私を魅了し、私はそんな天官君に思いを寄せている…そんな関係が、出来上がっている。
「……」
──だから、私も負けじと対抗するのだ。天官君がこちらを意識しないならば…無理矢理こちらに意識を持って来させるまで。
「…おい、さっきより近くなってるのは気の所為か?」
「…気の所為、です」
…この距離でも、然程意識していないの…?ガードが凄く固い…私は今にも心臓が止まりそうなくらいドキドキしてるって言うのに…!!
そもそもなんでどうでも良い人達だけ私を好きになって、私が好きになった人は私に興味を示さないの!?意味が分からない!
──って、私が天官君に興味を持ち始めたのは私に対して興味を示さなかったからだった…いけないわね、自分が原因である事を理不尽だと嘆くなんて…。
…それでも、こんな理不尽を叫びたくなるよ…。
(──こうなったら…)
…それでも、私は諦めた訳じゃ無い。
──私がモテる理由…それは〝容姿〟。顔つきや身体つき…それらが他の人より優れていたから。
…だけど今の私は、それらを上手く扱えていない…だったら。
(──身体を使って誘惑すれば…!!)
…本来この思考は私が絶対にやってはいけないものだ。容姿が原因で、様々なトラブルに見舞われてきたから。私が貞操の危機に陥るのも、この容姿が理由であるから。
そんな危機に何度も遭遇している私が、トラブルの加害者と同じ事をしようとしている。普通なら絶対に避けるべき事。
…だけど、今の私は冷静ではなく…それを思考する程の余裕が無かった…言い訳でしか無いけど。
……そして、私は天官君を誘惑しようと──
「ッ!!」
「きゃっ!?」
突如…天官君が、私を引っ張った。それと同時に…何かに、包まれる感覚がした。
(…え?何が…)
視界も塞がっててよく見えないけど…。
…と、その時。
──ビシャアアン!!
「ッ…やべ…」
「え?え?」
何が起きたのかは、分からない。だけど…水の音がして…それで…。
「あぁ、クソ…また澪に怒られちまうな…」
…そう言いながら…天官君は、私を抱き締めている手を離した。
(え…?離し、え…!?う、嘘…は、ハグ…!?)
恐らく、先程前方から走って来たトラックが、水溜りを撥ねたのだろう…その水飛沫から私を守る為に。
(…天官君は私を抱き締め、た…?)
今一つ状況が理解出来なかった脳が…その状況を理解した時。
──私の身体のありとあらゆる所から、湯気が出るような感覚が走った。




