25話 苦手分野
「…はぁ?」
急に何を言い出すのかと思えば…良く分からない事だった。
蒼馬の学力は、叡と俺は良く知っている。俺では蒼馬には絶対に勝てない。そもそもの知識量もそうだが…蒼馬の場合、どの教師がどのような問題を作るかの傾向を読んで、それをほぼドンピシャで当ててみせる。
俺にはそのような能力は無い。というか、あったとしてもその能力が蒼馬より優れているとは到底思えない。
「お前、俺が絶対に勝てない勝負を持ちかけてきて…その心算は一体どういうものなんだ…」
《言ったでしょ?久し振りに、って》
…まあ確かに、俺と蒼馬は何回か学力勝負をした事がある。それももう、三年前になるが。
その時の結果は…まあ、皆の想像通りだ。
勝てる訳が無かった…昔の俺に〝何故勝負した〟とまで言いたいくらいだ。
「…はぁ…一人で勝手に京さんとでも勝負していれば良いじゃないか…トップ争いでもしてろよ…」
《本人に言ったらアレだけど…もう京さんに負ける気はしないかな》
「…へえ。だったら尚更、俺に勝負を仕掛ける必要性なんて全く無いと思うんだが…」
蒼馬が口にしたのは、実質的な一位宣言。にも拘らず、俺に勝負を仕掛けてくる。俺なんて学年の順位は一桁行くかどうかのラインだ…そこから蒼馬を超えるビジョンは見当たらないんだが…。
…と、俺が考えていると。蒼馬は俺に、ある事を言ってきた。
《──昔、僕に勉強を教えてたのは何処の誰だっけ?》
「……お前、周囲に聴かれてないよな?」
《まさか。通話してるの僕の家だからそんな事無いって。家族になら聴かれてるかもしれないけど》
…なら良かった…いや、良くないが。聞かれていたらぶん殴っているところだったぞ。
「…まあ、気が向いたら受けてやるよ」
《あはは、それ受けないヤツじゃん》
「そうかもな…んで、話はそれで終わりか?」
《うん、それだけ。じゃあね、零》
「ああ、またな」
…そして、通話は終了した。
「…面倒だな…」
日常に彩りが戻ってきたからか、面倒事も増えてきている。メリットだらけでも無いという事が少しネックだな。
「にしても…」
懐かしいな、アイツに勉強を教えていた頃っていうのは…その時はまだ、俺の方が学力は上だったか?
今となっては蒼馬の方が上だが…一時は俺の方が学力が上だった時がある。だからこそ、偶に叡だけでなく蒼馬にも勉強を教えていた。期間はどのくらいだったか…忘れたな。
まあ、蒼馬に勝負を仕掛けられた以上、受けるか断るかの二択。しかし現状は受ける気は…無い。
「──俺はこれからも、平穏な学校生活を送りたいんでな」
…と、昨日言っていたのだが…どうやら、そうもいかないみたいだ。
「じーっ…」
「……」
そうだよ、そもそも俺は平穏な生活を送れている訳じゃ無い…。
客観的に見て、俺は学校の中でも特殊な立場にある。その濫觴は勿論、今現在俺を凝視している例の人だが…とにかく、俺は現状、目立ち過ぎだ。
…〝羨ましい悩みだな〟って?存外そうでもないぞ…俺の立場になっても分からないかもしれないが。
目立ちすぎては、平穏な生活など送れる筈が無い。安穏と勉強したいのに、その平穏が脅かされるのは中々に面倒だ。こんなの声に出したら絶対に殴られるが。
…全く…安心して飯も食えない…。
(…成績で勝負、か)
それについても、考え中だ。勝負自体を嫌っている訳では無く、勝負したという事実が残る事を嫌っている。だが別に、それは周囲に内緒にしておけば良いじゃないか、と。そう思う奴等も一定数居る事だろう。確かにその通りだ。
…だが下手に高過ぎる順位を取れば、それこそ周囲からの関わりが増えると言っても過言では無い。確実に高順位を取れるという訳では無いが、俺は誰かに勉強を教える事はもうしたくない。
「…はぁ、どうしたものか…」
…取り敢えず、勝負を受けた時の事を考えて、勉強はしておこう…もしかしたら気が変わって、蒼馬との勝負を受けるかもしれないからな。一応これでも、最低限の勉強をしてきたからな。ちょっとやそっと勉強時間が長くなった程度で、根を上げる事は無い。
ただ、出来れば目立たない所が良いな…別に自宅でやっても良いのだが、澪が時々邪魔してくるので却下。図書室は現在利用者が多くなっているらしいので却下。となれば…。
(放課後の教室か…)
…本来は休憩時間に勉強をやりたかったのだが…休憩時間は校内の至る所に人が数人以上は居る。だったら放課後に勉強するしかないが…放課後にも図書室を利用する生徒は少なくない。だったら、殆ど人の居ない、放課後の教室という訳だ。
…これはまた、澪に門限過ぎてる、と怒られそうだな。
…そして、放課後の時間。
「…よし、誰も居なくなったか」
周囲から人の気配が消えた事を確認して、俺は教材を広げる。今日は…現代文で良いだろう。一応得意だからな…〝この時のこの人の心情について書け〟っていう変な問題は例外だが。
そもそも登場人物や作者の気持ちについて書く問題って、本当に作者に答えを訊ねてきたのか疑問だ。もしも答えを訊いてきていなかったのなら、その問題の作成者が作者の気持ちを想像して書いたという事になる。それはつまり〝この時の気持ちを考えろ〟という問題は〝この時の気持ちについて、この問題の作成者の見解を考えろ〟と同義なのではないか。
大体はそれが、俺が蒼馬に絶対に勝てないと言う理由だ。アイツは人の心を汲み取る能力が大層ご立派だからな。大体は作者どころか問題の作成者の意図すら読み取れる。だけど俺はその能力が壊滅的だからな…他人の気持ちなんて理解出来ない碌でなしだ。
「…はぁ、嫌になる…」
語彙はそれなりに自信がある、文章の特徴を捉えて書く事も出来る…だが、それ以上に〝人物の気持ちを読み取れない〟という致命的な弱点がある以上、参差としていてバランスが悪い。自己紹介で現代文が好きだと言ったのも、語彙を身に付けるのが好きだったからで…こういう心情の読み取りはてんで駄目だ。
この短所は一朝一夕で克服出来るものでは無い。解決策を見つけるのにも、途方もない時間を要するだろう。
それでも俺はこの短所を克服すべく、その文章を読んでみたのだが…。
「…コイツ、何が言いたいんだ…?」
良く分からないが、その文章の中に、何かしらの覚悟を決めたような描写があった。だが何に対して覚悟を決めたのか、何がその覚悟を決めさせたのかが全く書かれていない。
なんで日本語で書かれているのに分からないんだ…普通に意味が分からんぞ。
「…〝胸が張り裂けそう〟…?なんだこの抽象的な表現は…」
まさか本当に胸が張り裂ける、なんてグロい描写がある訳も無い…なら十中八九、比喩表現だろう。
…だが、胸が張り裂ける、という表現…何を表している?胸部の器官は心臓や肺などが挙げられるが…心臓の辺りが痛い、という事か?
…普通に病院行った方が良いと思うぞ。もしかしたら何かしらの病気に罹っている可能性もある訳だしな。
…いや、もしかして驚いてるんじゃないか?俺もこの前愛依とホラゲーやったが、その時心臓が飛び出そうなくらい痛かったしな。
…いやでも、この描写にそんな驚く要素があったのか?見た限り俺ですら驚く要素なんて無いのだが…。
「う〜ん、困ったな…」
…と、その時。
「──天官、何してんだ?」
誰かが、俺を呼ぶ声が響く。
…あんまり勉強している所を見られたく無かったのだが…まあ良いだろう。
俺は声がした方向に振り向き、その顔を見る。
「──晃成か」
そこには晃成が居た。何やらギターケースを持って廊下を歩いていたらしい。部活か何かだろうか。
「見ての通り、勉強だ…ここは静かだからな」
「そうか」
そう言った晃成は、俺の方へと歩みながら。
「そういえば、前の体育祭凄かったぜ。まさかお前があんな速度馬鹿だとは思わなかったな」
「誰が速度馬鹿だ」
そういう変な称号は叡に付けてくれ。俺みたいな奴に速度馬鹿とか言っても面白味が無いだろ…なんて、口に出す訳無いが。
「あの速さを速度馬鹿だと言わずしてどう表現すんだよ…」
…溜息を吐きながら、晃成はギターケースをそこら辺に立て掛け、近くにあった椅子を引っ張って俺と向かい合い、机を挟んで座る…まあ隣の椅子を引っ張ってきたので、京さんの椅子を使っている事になる。
…まあコイツは色恋沙汰には興味無さそうだしな。そんな些細な事、特に気にしてないだろう…誰かに見られたら恨まれる事はあるかもしれないけどな。今のコイツがそれを知る由も無い。
「んで、なんでそんなに頭を悩ませてんだ?」
晃成は机の上に並べられた教材を見ながら、俺に訊ねてくる。
…まあ見られてしまった以上言い訳も何も必要無いので、ここは正直に言うとしよう。
「…心情を読み取るとかいう変な問題だ。テストの点数を伸ばす為にはどうしても避けては通れない道で困ってるんだ」
「…成程な」
…晃成は俯き、顎に手を当てて暫くの間沈黙する…やがて、顔を上げて俺にこう言ってきた。
「…それは、教えるのはムズいかもな」
「…だよな」
心情を読み取る問題、なんて。そう簡単に教えられるものじゃない事は理解しているつもりだ。だから教えられなくても、俺は責めない。だって俺はそもそも教えるどころか、理解すら出来ていないんだからな。
「…というか天官。お前成績どのくらいなんだ?場合によっちゃ、他を磨くという手もあるが…」
…まあ、それを言われるのは想定済み。というかテストの点数を上げたいなら、簡単な方から仕上げていくのは至極当然の事だ。現代文なんて、ちょっとやそっと勉強しただけじゃそれ程伸びない。だから他の教科にシフトを変更するのも手だ。
…だが。
「…これが俺の以前のテストの成績だ」
俺は以前やったテストの結果用紙を晃成に渡す。
入学して少し経ってからやったテスト…平均83点で、クラス内3位、学年内10位のやつだ。
晃成はその用紙をまじまじと見て…そして。
「はぁ…」
と、溜息を漏らした。
…大方、呆れたのだろう。当たり前だ。その理由は…。
「数学96点、英語100点、社会80点、理科85点…国語は、54点か…」
…そう、国語の点数だけ圧倒的に低い状態にあるからだ。社会や理科はとんでもなくマニアックな問題が出ていたから点数は少し落ちるが…それでも、国語が足を引っ張らなければトップ5くらいには入り込める点数。確実に国語が原因で順位が落ちている。
「…これは…うん…素直に国語をやった方が良いぜ…」
「だろうな…」
…このテストでは、国語は現代文50点と古文50点で構成されていたが…詳しい内容としては、現代文23点、古文31点だ。
…古文も古文で、心情を読み取れとかいう問題が出てキレそうだった。椎名先生と明日先生には文句言いたかったな。
「でもお前頭良いのな…」
「…一応勉強は結構やってるからな」
まあ、それでも本気で勉強しようとは思わなかった訳なのだが。
「…ってか、お前って周りの気遣いが出来るのに、こういう文章から心情を察する事は出来ないんだな」
「…?どういう事だ」
突如放たれた晃成の言葉に、俺は困惑する。
「お前、普段から空気読んでるだろ?〝こういう雰囲気だから〟って周りに合わせる事が出来る奴だ」
「…まあ、そうなのかもな」
「だったら、それをこの問題にも適用すれば良いだけだ。回りくどい言い回しを文中で使っていても、登場人物がどう思っているかくらいは、それで分かる筈だぜ?」
「…成程」
…なんだ。きちんと教えられるじゃないか、晃成。
空気を読む…か。つまり、その場に俺が居れば、どのような行動を取るか…その要因は何か、何故か。それらを考えれば、解けるという事か。
…物語に入り込む〝臨場感〟。それを鍛えれば、自ずから学力は伸びていく。晃成は、そう言いたかったのだろう。
「…なんか柄にもねえ事言っちまったな…言うのもアレだが、俺は文章すらも音で読んじまうからな…」
「…音で?」
「そうだ。文章にも音があんだよ…それで感情や心情を把握してんだ」
「そんな事が出来るのか?」
「まあな。といっても感覚だから、参考にはならねえ」
…晃成の個性は、本当に便利だな。まさか視覚からでしか取り入れられない情報である文字を、聴覚で読み取るなんてな。文の意味をある程度理解していれば、その感情も必然的に伝わってくるという事なのだろう。
…本当、この高校は化物揃いだ。
「…で、どうだ?何か掴めたか?」
…正直言うと、まだ実感は湧かない。物語の中に入り込む、なんて事。子供の頃でもやったことがなかったからな。
…だが、それでも。一歩前進した事だけは、確かだ。
「──そうだな…良く分かった。これなら、問題なさそうだ」
「…そうか。なら、今度のテスト結果、楽しみにしてるぞ?」
…そう言って、晃成はギターケースを取って、教室から去っていった。
取り残された俺は、深く呼吸をする。吸って…吐いて…そして、意識が鮮明になる。
…さて。
「──早速、晃成から教わった事を試してみるか」




