21話 凋零磨滅
今回は少し長めです。
…なんでこうなるのか。何かがおかしい。
先ずこんな都合良く、木下さんが怪我をするだろうか。そこから疑わなければならない。
別に偶然な訳が無い、なんて断定するつもりはないが…それでも疑問が残るのは確かだ。
「──という訳なんだよね…このイガラッシーが代走なんだよ…」
本当どんな奴でも渾名なんだな…白宮さんは。
…まあ、他とは渾名の付け方が違うようにも思えるが。
「あたしからはそんだけ〜。それじゃあ早く整列しよっか〜」
そう言って、横山と白宮さんはこの場を離れた…取り残されたのは、俺と五十嵐。
「…随分としぶといな。午前の部で、もう絶望に打ちひしがれてたと思ったんだがな」
「ほざけ…アレは間違いだ。この世界のルールが俺であるのにも拘らず、ルールが適応されなかった…」
…日本の最高法規は憲法だが…五十嵐は世界全体の最高法規が自分だと言っているのか?…なんとも分からん。
コイツの言うルールは所詮決まり事だ。破ったからって、コイツ自身何か出来る訳でも無いし、強制力がある訳でも無い。
自分の思い通りに従わなかったら癇癪を起こすなんて、普通に餓鬼だ。コイツは、それを分かっていない。
恐らく、何も苦労せずに生きてきたのだろう。だから、苦労している者の気持ちなど分からない。
「というか、なんで女子から欠場者が出ているのに、男子であるお前が居るんだ」
「答える必要があるか?それと俺に指図するな。お前は俺に命令出来る立場に無いんだよ」
五十嵐は続けて言う。
「お前は所詮、誰かを盾に物を言うクソ陰キャだ。東雲という強力な盾を前に出しているだけの、口先だけのクズだ」
「…へえ」
中々言うじゃねえか。
「〝瑞葉と隣席〟という称号すらも都合良く利用しイキっているだけのクソ陰キャが。だから俺が出てきてやったんだよ。俺という世間を知らねえ阿呆に、現実を見させる為にな」
…コイツは、人を苛立たせるのが本当に上手いな。どんな事を言われても立腹しないと思っていたのだが…コイツに関しては別らしい。
…この不快感、喉の奥が灼き切れそうな。
──ああ、成程。理解した。
白宮さんも、中々に性格の悪さが出ているな…よくこんな皮肉を、思いつくものだ。だから態々、苗字で渾名を作ったのか。
「──覚悟しろよクソ陰キャ…お前のクソみたいなご都合展開は、ここまでだ」
…そう言って、五十嵐もこの場を去った。
「五十嵐…〝蘞辛っぽい〟ってか?」
〝蘞辛っぽい〟とも読むんだっけか?
…意味は多分同義だ。〝喉が強く刺激される事〟。刺激されれば、相当な不快感が襲う。それはもう、なんとかして取り除きたい程に。
全く…本当にこの高校の生徒達は性悪が多いな…。
…普通、このような男女混合の競技は、男子と女子の人数を一様にするというのが基本だ。理由は単純、男子と女子では身体能力が違うから。
例えお互いが全く同じ生活をしていたとしても、男子の方が力が強いのは当然だ。人間の身体の構造的に、そうなっているから。
…だが、五十嵐はそれを無視した…どうやって?それは知らない、知る由もない。そんな事どうやったら出来るのかなんて、分かりやしない。
(──まあ、考えても仕方無いか)
取り敢えず言えるのは…この競技の有利性が1組に傾いた。ただ、それだけ。
《…それでは、一年生クラス対抗リレーを始めます。よーい…スタート!》
その合図と共に、第一走者全員が一斉に走り出した。
…第一走者は女子固定…つまり1組の残りの走者は全て男子…途轍も無いアドバンテージを取られている。
(…御手洗さんが頑張ってくれているが…)
御手洗さんはトップに張り付いている…つまり現在順位は2位。先の緊張が嘘のようだな…。
「二宮君っ!」
「おうっ!」
…続いて第二走者。4組は二宮にバトンが渡った。
…二宮も足は速い。並の奴等では追い付けないだろうが…。
「アレグロ…16ビート…!」
「げ、疾っや…!?」
…晃成か。なんかブツブツ言ってるが…気にしたら負けだな。
にしても、相当な速さだな。普通にアンカーでも良かったレベルだ。
という訳で現在順位は1位から順番に3組、4組、1組、2組だ。
…だがここで、均衡が崩れそうだな。
第三走者は…2組と4組が女子、1組と3組が男子。
「うへぇ、流石にキツいって…」
瀬上さんが1組に抜かれ、現在順位は3位。
…1組は男子が4人も走るってのに…これはマズいかもな。
俺は指定されたコースに着いて、そう思考する。
そんな俺に、五十嵐は絡んできた。
「…悪い事は言わねえ、とっとと諦めろ。その諦めてねえ目をやめろ」
…どうやら俺達の勝機が無いと見てか、そう催促してきた。
「…なんでそうなる」
「どうせお前は勝てねえから教えてやるけどよ…俺が女子の枠に入れたのは、ただ〝お願い〟をしただけなんだよ」
「…お願い、だと?」
「ああ…この高校はありがたい事に、出場選手の管理を生徒達に頼んでいるんだ。余程信頼が厚いと見える…そして、欠場選手の穴埋めはその管理者の判断に一任される…だから、ちょっと先輩に頼み込んだら、快くOKが貰えたんだよ」
…コイツ、さては女子を誑かして言う事聞かせやがったな…?
確かにこの高校は出場選手の管理を教師達ではなく生徒達に任せている。それは一種の信頼とも言えるだろう。
…だが、それは時には誤算が生まれるものだ。異分子が紛れ込んでいれば破綻し、そこから全体を壊す。
…コイツがやった事は、そういう事だ。
「分かるか?この世は顔面偏差値が全て。顔面偏差値最高値を叩き出している俺が、この世界のルール。本来ならば何をしようと許される、何かやってしまっても赦される…そんな存在だ。ただ最近…お前のようなクズが溢れかえっている…お前が…!お前が狂わせてからだ!」
「ぐっ…!?」
「レイレイ!?」
「天官ッ!」
いきなり、俺は五十嵐に胸倉を掴まれ、そこら辺に放り投げられた。かなり力を入れて投げられたから、結構遠くに。
身体が浮遊するような感覚が、一瞬俺を襲い…そして、そのまま重力によって地面に叩きつけられる。
「…だけど大丈夫だ…これで──全て、取り戻す」
…そして、五十嵐はバトンを受け取って…。
──ダダダダダダダダダッ!!
…凄い速さで、走り始めた…それはもう、普通じゃ追い付けない程の速さ。
流石に身体能力は伊達じゃないか…。
「っち…痛ってえな…クソ」
ああ本当…クソみたいな競技だ。
勝手に憾まれ、妬み嫉みをぶつけられ。挙げ句の果てには、全てを無駄にしようとしてくる。
…俺が何をした?何か気に障ったか?答えてくれよ。
「白宮!」
「え?ああ、うん…!」
白宮さんもバトンを受け取った。最初は俺を心配していた様子だったが、気を取り直し走り出した…それで良い。俺の心配なんかするな。
「…天官?」
…俺は自身のコースに戻り…。
「悪いな横山…先に行くぞ」
「──あいよっ!」
こちらへと向かってきた瀬上からバトンを…受け取った。
運動は好きだった。身体を活き活きと動かすのが、楽しかった。空気の感触、身体と心が熱くなる感覚…それらが好きだった。
…今は違うけどな。
別に今も、運動が嫌いという訳じゃない。ただ、運動をする気力が失くなっただけ。
俺は気付いたんだ。運動しても、相当に良い事は起こり得ない。精々、生活が少し充実する程度。
…だから…理不尽には、抗えない。
(──久々だからな…どれくらい走れるか…)
筋力落ちてるだろうな…だけど、このくらいなら。
「ふっ…!」
ダダダダダダダダダダダダダッ!
「what!?」
「ええ!?」
「は!?嘘だろ!?」
多分、この場に居る奴等…主に生徒達は、驚いている事だろう。根暗そうな男が、めっちゃ足が速い奴だった、みたいな。
「うへ!?っちょ!?速すぎ…!?」
白宮さんを追い越し、更に五十嵐を猛追する。
…逃げられると思うなよ。此方人等、お前に散々言われっぱなしなんだからな。
…その分を、きっちりと返済させてもらうぞ。
[視点変更:五十嵐光毅]
歓声が鳴り響いている…心地良い、俺の勝利を讃える歓声。
何にも邪魔されず、優雅に走り抜ける俺は、誰の目から見ても尊い存在。ただでさえ雲の上の存在であると言うのに、更に高い存在であると見せつける事が出来る。
惜しむらくは、アンカーじゃなかった事くらいだが…まあ別に、良いだろう。活躍をした者が最も注目を集める、つまり俺が一番目立つのは必定。それ以外が注目を浴びるなど、あってはならない。主役が居るのに、脇役が目立ってどうする?光が闇に劣ってどうする?つまりはそういう事だ。
「…ん?」
…不意に聞こえてきた音に、俺は訝しむ。
背後から聞こえるのは…駆ける音。つまり…誰かが俺の速度に追いついている…?
(…おかしいな…この俺の速度に付いて来られる奴が、この競技に居たとは思えんが…)
…気になって、後ろを振り返る。
「っは…?」
瞠目する。
…違う。俺に対する歓声じゃなかった。俺の後ろで猛追する、コイツに対しての歓声だった。
──でも、何故。何をした?何をしたら…俺に追いつける?
「何をした…クソ、陰キャぁ!!」
[視点変更:天官零]
…別に何もしていない。そもそも俺の本来の走りが、コレだったというだけ。
…昔の俺…いや、僕に感謝だな。無駄だと思っていたが…こういう奴を見返すには、中々良い手段だ。
「…何をした!細工か!?ドーピングか!?そこまでして勝ちたいかぁ!」
…五十嵐は気が動転している。自分の描く理想からかけ離れた状況に、平静を保っていられなくなっている。
「…は、ハハ…だが残念だったな…!俺はまだ、全力じゃねえぞ…!!」
「…そうか」
「ッ…舐めやがって!後悔しろ!」
ダダダダダダダダダダダダダダダダダダッ!!
…う〜ん、中々の速さ。困ったな…これじゃあ追いつけない。
(全力で走れば追いつけない事も無いだろうが…)
今この状況は、殆どの観客から視線を注がれている。そんな状況で、これ以上スピードを上げると…俺の前髪が、乱れる。顔を見られる事だけは、絶対に避けたい。
「…まあ、顔を隠すならこれで良いか」
俺は少し顔を伏せ、更に腕で顔を隠す。全員の目を誤魔化せるかは正直自信が無いが…まあ、角度的に問題無い。
「──さて、行くか」
ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダッ!!
…これ思ったよりキツイな。腕が振れないから、速さも出ない。普通より遅くなるだろうか。
──まあ、追いつけるから、何も支障は無い。
「──は…!?」
「それじゃあお先に」
俺は五十嵐にあっさりと追い付く。まあこのくらいなら、5年前の叡くらいのスピードだしな。大して脅威でも無い。
…そう考えると、叡の異常さが分かるが。
──そのまま、五十嵐を追い抜こうとして…そして。
──ガシッ
「行かせねえ…絶対に、お前だけはぁ!!」
五十嵐が、俺の服を掴んできた…本当に、往生際の悪い。貪欲というか…愚陋だな。
──だが五十嵐。それは叡の時にもやったよな?一度見た手段を、警戒しない訳ないだろう?
「──うぉっ…!?」
俺は敢えて、スピードを緩めた。
今の五十嵐は、俺の服を引っ張っているというより、俺の服を掴んで、無理矢理俺にしがみついている形だ。ならば、俺のスピードを借りている五十嵐を振り落とせば良い。
予想通り、五十嵐は前のめりになって倒れた。
「ぐっ…」
倒れた五十嵐に、俺はゆっくりと走り去りながら言った。
「──誰もお前に期待なんかしてねえよ。他人を蹴落とす事でしか自分の存在価値を表せない、お前みたいな奴には特にな…もう、終わりだ」
…そして、俺は嘉納にバトンを託す。
「天官…さっきの走りに関しては、後で話してもらうからな」
「ああ…飛ばせ、嘉納」
「了解だ」
…そして、嘉納はバトンを受け取り走っていった…やっぱり、普通に速いな…。
「…あ…ぁ…」
…五十嵐は倒れた状態から動かなかった…少し、言い過ぎたか。まあ、良いだろう。
コイツは周りに迷惑を掛け過ぎた。これくらいの制裁があっても、誰も何も言うまい。
「お、おい五十嵐…バトンを──」
「……」
「ッ…何してんだよ!」
1組のアンカー…司馬はギリギリテイクオーバーゾーン内に居る五十嵐の許へ駆け寄り、バトンをバッ、と奪って走り出した。
…そしてほんの少ししてから、2組と3組もアンカーにバトンが回った。
「ふぅ…レイレイ、やっぱ練習は本気じゃなかったんじゃん…」
走り終えた白宮さんが俺の許へ寄り、そう言葉を零す。
「…別に、どうでも良いだろ」
「いやいやどうでも良くないでしょ?レイレイのお陰で今リードしてるんだから」
…まあ、確かにそうだ。現在トップは嘉納…独走状態だ。アイツの足の速さもあるだろうが…俺も勝利に貢献した事になってしまうのか…。
「ってか、大丈夫か天官?さっき五十嵐に投げられたけど…」
次いで、横山も俺に話しかけてきた。
「…ああ、特に怪我はしてないな」
「なら良かった…五十嵐の奴、さっきから動かないな」
「あ〜、レイレイに負けて凄い屈辱なんじゃない?なんか嫌ってたし」
「…まあ、そんな感じだろうな」
──と。話している内に、どうやら終わったらしい。
一着は4組、二着は3組、三着は2組、四着は1組。
…どうやら1組アンカーの司馬は他のアンカーと比べて速力がやや劣っていたらしい。それでも五十嵐が走り続けていれば2位は堅かったのだが…俺が五十嵐を壊したからな。なんかすまん。
「二着か〜…まあでも、二着なら満足かな」
「…まあ、最下位じゃないだけマシだと思おうかな」
「レイレイ、一着おめでと〜。いや〜、レイレイ速かったな〜…陸上部でもないのに…レイレイ運動部?」
「いや、帰宅部だが」
「うっそぉ…!?」
「…だったらなんでそんなに速いんだ…意味分かんないな…」
…それは過去の天官に訊いてくれ。
「…取り敢えず、競技は終わったんだ。戻るぞ」
──そして俺達は、自分達のテントに戻っていくのだった。
[視点変更:五十嵐光毅]
「おいふざけるな五十嵐…なんで最後まで走らなかった!」
…負けた…?俺が?あのクソ陰キャに?
──これ程の屈辱、今までに感じた事があったか?いや、無い、あってはならなかったのに…今日、この日に…それを味わった。
「お前が走っていれば結果は分からなかった!変わらなかったとしても走ってくれるだけで良かった!それをお前は…!」
「ぁ…あ…」
崩れる。俺を構成する全てが、崩れていく。信頼も、虚飾も、矜持も。
凋零磨滅。俺という存在が希薄化していく。
いくら顔が良くても、見てもらえなければ只の一般人…そんな事って、あるかよ…!
「クソっ…もういい」
司馬は俺を投げ捨てる。
「お前の態度はずっと気に入らなかった。学校側も、そろそろ看過出来ないところまで来てんだよ」
男教師…名前は知らない。
「そういう事だ五十嵐君…君はやり過ぎた、これ以上は私達もフォロー出来ない…」
…なんだよ、やり過ぎって。俺に、やり過ぎも何もある訳が…。
「──閉会式が終わった後、校長室に来なさい…渡す物があるからね」
それだけ言って、ソイツは戻っていった。
「…クソ、がぁ…!」
お前等に…何が、分かるってんだ。
お前等に…お前等に…。
「──だったら、もう良い…」
どうせ、俺が終わるのなら。
「──この場で、瑞葉を食ってやる」
 




