19話 何故なら俺の親友は
[視点変更:天官零]
…叡の棄権の話は聞いている。まあ十中八九、五十嵐の仕業だ。この学校でそんな事する奴、五十嵐しか心当たりが無い。他の奴が、叡の不利益になりそうな事をする奴が居るか?
100%居ない、とは言えないが…まあそれでも、叡を嫌っているという面を考えると、五十嵐が真っ先に可能性の枠に入るだろう。
五十嵐のあの傲慢不遜な態度とやっている事…普通に俺も嫌いだ。なんなら俺がもう一度ボコボコにしてやっても良いが…。
(…まあ、普通に嫌だな)
素の状態で目立ちたくないし。それに…そんな事しなくても良さそうだしな。
「アレは相当キレてるね、叡」
蒼馬が隣にやって来た。
……後ろに数人の女子が付いてきている事は指摘しないと駄目だろうか?いや、多分指摘しなくても問題無いだろう。
「最近は良くブチ切れるな…叡は」
「まあそりゃ、周りがとんでもないし…」
「そうだな…」
叡をキレさせる要因が周りに多いと言うのが主な理由か…まあアイツ、ああ見えて短気だしな。特定の事だけに、だが。
「で、零はこの事に関与する気?」
「いや…アレはアイツだけで良いだろう」
「へえ…」
「…なんだよ」
「…いや、てっきり零が解決するものだと」
「お前等は俺に頼り過ぎだ…俺だってやりたくないんだからな…こういう事は」
「ふ〜ん…」
…コイツ、なんか俺で遊んでないか…?
「ま、いいや。どうせ五十嵐君の行動は徒爾に終わるんだからね」
「滅茶苦茶言うじゃん」
「だって事実だしね。じゃあ訊くけど…僕と零以外で、激怒した叡を止められる人って…居ると思う?」
…その言葉に、俺はすかさず。
「居る訳ねえな…」
と、答えた。
少なくとも、本気でキレた叡を止められる奴なんて、俺や蒼馬を除けば殆ど居ない。居るとするならば、叡より身体能力が化物じみた奴…そんな奴居るとは思えない。
…だからこそ、分かる、
「──五十嵐は叡に勝てる訳が無い」
[視点変更:五十嵐光毅]
…先日、類を見ない屈辱を味わってから、俺はもうどうすれば良いのかが分からなくなっていた。
…あのゼロとかいうクソガキが、俺から全てを奪った。俺の尊厳も、矜持も…そして、瑞葉も。
…本来、瑞葉は俺のモノになる手筈だった。本来、俺と瑞葉は結ばれるべき関係だった。
──ゼロさえ、居なければ…いや、ゼロだけじゃない。天官零もだ。瑞葉に纏わりつく虫が居るだけで、どうにかなってしまいそうだ。
東雲叡も…俺に対して無礼を働いたクズだ。何が、〝俺と並ぶイケメン〟だ。この学校の奴等は、何も分かっちゃいない…存在そのものが、間違っている。
──だからこそ、俺は策を打った。東雲叡を…脱落させるという。
…だが。
(…なんで、居やがるんだ…!)
まるでそれが当たり前かのように、まるで最初から棄権なんてしていません、というように。東雲叡は、俺の隣に突っ立っていた。
…何故だ…!俺は既に手を打った!もうこの舞台にコイツが上がってこられないように!何故、コイツが俺の隣に立っている!
「…どうかしたか?五十嵐?そんな想定外、みたいな顔をして」
(ッ…このガキ…)
分かっていながら、煽るように。東雲叡はそう訊ねた…この俺を煽るとは、良い度胸だな…!
「さあな?そう言うお前こそ、何か用でもあるのか?」
俺は煽り尋ね返す。そもそも俺が煽られる事などあってはならない。この世界で最も眉目秀麗で、最も脚光を浴び、最も重要な存在である俺が、それに満たない奴に煽られるなど、あって良い訳が無い…それは傲慢だ。
だからこそ、コイツにも世界にも、知らしめなくてはならない。
(この世で誰が一番の偉者であるかを…!)
「……」
「……」
互いに睨み合う。俺の睨みで怯まないどころか、逆に睨み返してくるとは…やはり、正しくない。
《次の種目は、一年生による400m走です》
…さて。見せてやるとしよう…圧倒的カーストトップの実力を。
《よーい…スタート!》
[視点変更:京瑞葉]
…先日、私はゼロさん…もとい、天官君に助けてもらった。あの人から暴行を受けずに済んだ。
──でも、それでも。怖いものは怖いらしい。
あの人が近くに居るだけで、震えが止まらない。
怖い、怖い、怖い。
そんな感情が、私を支配してくる。
あの人の競技は、私と同じ400m走。整列すると、嫌でも近くに来てしまう。
天官君の友達…東雲君、だっただろうか。今は彼との会話で意識が逸れているようだけれど…もし意識が私に向いてきたら…?
考えただけで、ゾッとする。〝人前だから〟なんて言葉は、恐らくあの人には通用しない。TPOを弁えず、いつでもどこでも、どんな状況でも、私という存在に干渉してくる。
…どうしたら、この呪縛から逃れられるの?どうしたら、この苦しい状況から抜け出せるの?
(…助けて…)
誰も助けてくれないなんて分かっている、天官君がこの場で奇を衒う事が出来ない事は分かっている。悪目立ちしてしまえば、恐らく彼の何かが崩れ去ってしまうから。
──でも…もしも、私がまた危険な目に遭いそうになったら…その時は。
[視点変更:天官零]
…さて、始まったのだが…これはただの400m走になるとは到底思えないな。
そう思う根拠は言うまでもない…が、目に付くのは五十嵐の存在か。
この競技の異質さの渦中に居るのが五十嵐。基本的にここまでの雰囲気を作っているのは五十嵐と言っても過言じゃない。
…相変わらず五十嵐の評価は落ちていない。周囲から黄色い声援が五十嵐に向けて注がれる。
…五十嵐の評価を正当なものとするには…誰かが告発等しなければならない。それを誰がやるか…。
俺も詰めが甘かったな…アレで五十嵐が終わったと思ったのだが、そんな事は無かった。あのままボコボコにしておけば良かったか…いや、京さんが居た所でそんな惨い事は出来ないか。
それに…あのまま居続ければ、俺は。
「はぁ…どちらにせよ、面倒だな…」
出来れば、もうこれで終わりにして欲しい。これ以上、昔に戻りたくない。あの頃になんか──戻る訳には。
(…叡、頼んだぞ)
自分自身に、腹が立つ。
こう言う時に…自分でどうにか出来ないなんてな。
…だったら一つ。布石を打っておこう。俺が今出来る、最大限の事だ。
[視点変更:東雲叡]
…一応、表面上は平静を装っている。あからさまに顔に出すと、周りが嫌な思いをしかねないからな。
…これでも心の中で怒りは渦巻いているんだぜ?また周りに迷惑をかけるコイツに対して、怒りはあるんだ。
それに、俺はこういう場でしか、実力を発揮しない。日常ではこの身体能力は悉皆使えないし、使わない。俺の長所は普段は使えない。
…それを使える数少ない機会が、体育祭なんだ。コイツは俺のその機会を、奪おうとしたんだ。
運動は俺にとっての存在理由の一つと言っても良い。俺にとっての唯一の才が、運動。それが無ければ、ただの無才…それが東雲叡という存在。
…だからこそ。俺という存在を虚無へと仕立て上げようとしたコイツが、赦せない。
《次の走者は指定された位置に着いて下さい》
…次は、俺の番。それはつまり、五十嵐の番でもある。
「……」
「……」
お互い無言で、定位置に着く。
…緊張の瞬間。普通ならそう感じる筈、なのだが…俺はそうは感じない。五十嵐が、その緊張というものを打ち壊し、徒爾にする事を知っているから。走者が練習で経た知恵と努力の淵叢で、他の走者の積み重ねた知恵と努力、それらと緊張感を、あらゆる形で踏み躙り、嘲笑う事を知っているから。
…だから。
《よーい…》
──コイツには、絶対に負ける訳には行かねえ。
《スタート!!》
パン!と銃声が鳴り響いた瞬間、俺は持ち前の反射神経で地面を蹴っていた。地面反力を駆使し、軽い力でリラックスして速く走る。言うのは簡単だが、実践は相当難しい。
「……」
(…コイツ…!)
五十嵐はまた手を抜いていた。これは…以前俺に脚を掛けた時と同じシチュエーション。
…と、考えていると。
──スッ、と五十嵐は脚を俺が走るレーンへと伸ばしてきた。
(またかよ…!)
本当に、この真剣勝負の場で…コイツは何をしようとしているのか…故意に行われているこの所業は、品格を疑うぞ…!
──だが、コイツは何も分かっちゃいない。
(──俺が二度引っ掛かる事なんて…お前相手じゃ有り得ねえよ…!)
…その瞬間。
──ドタァン!!
俺は地面を一度だけ全力で蹴り、五十嵐の脚をその勢いで強行突破した。
「ぐあ゛っ…!?」
五十嵐は痛みから喘ぐ。バランスを崩しかけるが、なんとか立て直したようだ。
…その間に、俺はスピードを上げ、五十嵐を引き離す…!
ダダダダダダダダダッ!!
…駆けろ、翔けろ、懸けろ。もっと、速く。
[視点変更:天官零]
…現在トップは叡。その数m後ろに五十嵐、かなり後方に後続という形。まさに、叡と五十嵐の一騎打ち、タイマン。
「…五十嵐の奴…勝つ為なら手段を選ばないのか…!」
嘉納が拳を握りしめる。嘉納も五十嵐の被害者ではあるからな。多少怒りはあるだろう。
「…ん?天官、それは?」
嘉納が俺の手許にあるものを指差し、訊ねる。
「…ああ、コレか。簡単だよ」
俺はソレをしっかりと嘉納に見せる。数秒後、嘉納の表情は驚愕へと変わった。
「…それは」
「一応、な。アイツを詰ませる、策だ」
五十嵐を詰ませる為に、態々取ってきた。苦労したぜ…。
…だが、そのお陰で奴を追い込める。
…簡単な仕事だ。
[視点変更:五十嵐光毅]
…クソ、クソ、クソっ!!
──ダダダダダダダダッ!!
(全っ然、追いつけねえ!!寧ろ引き離されてやがる!)
大して距離差は無い筈なのに、追いつけない、追い越せない。それどころか、着実に引き剥がされていってる。
しかも気に入らねえのは…アイツ、いかにも〝まだ全然余裕です〟って雰囲気を醸し出してる事だ!こっちは全力で走ってるのに、まるで相手にされてねえ!
「ふざけるな…!俺はまだ…!」
俺はまだ…俺は、まだ…。
「……」
「…は…?」
なんで、そんな目で。そんな憐れんだ目で、俺を見るんだよ。
──俺が、この世界の王なのに。俺が、この世界の摂理なのに。
(なんで、そんな弱者に向けるべき視線を、俺に送ってくるんだ!!)
…こうなったら、もうこの勝負は負けでいい。
だが…結果は、貰う。
《一着、東雲叡!二着、五十嵐光毅!三着──》
[視点変更:天官零]
…結果は、叡の勝利。圧巻なまでの、独走だった。
…しかも、まだ力をセーブしてたか?だから叡は怒らせてはいけないっていう、俺と蒼馬の中で暗黙の了解があった程なのだ。
アイツを普通という枠組みに置いて考える事は、アイツを良く知っている俺達はしない。常識外れが過ぎるから。
…はぁ、だけどアイツも詰め切れないか…仕方無い。
…結局は、また俺が目立たなくてはな。
[視点変更:東雲叡]
「分かったか五十嵐。お前の卑劣な手段は、通用しない」
もう、言う事も無い。奴の敗因は二つ。一つ目は身体能力が俺より優れていなかった事。二つ目は他人を蹴落とす思考に陥っていた事。
他人を落とす事でしか自身の存在を主張出来ない奴は、俺どころかそこらの一般人にも勝てない。いくら力や容姿が優れていても、周りに波風立てない温和な一般人の方が強い。
自己顕示欲を満たす為に他人に当たるから小者臭いんだ。それなら涅槃に入った子供の方がよっぽど大者で戦いづらい。
…別に、怖くねえんだよ、お前なんか。
「──ハ、ハハ…」
「……?何がおかしい」
五十嵐は笑い出した。何か、馬鹿にするような。そんな嗤いだ。
「──何、勝ち誇った態で話してるんだ?」
「…は?」
五十嵐は突然俺をキッと睨みつけ、そんな事を言う。
──既に勝敗は決した、五十嵐は敗北を喫した。これ以上、何を抗おうと…。
「──審判…この人、反則しました」
「………」
「…それは本当か?」
「ええ、俺に向けて脚を掛けてきたんです…明らかな妨害行為ですよね?ほら、痣だって…」
…コイツ…!ふざけやがって!どこまでこのイベントを壊せば気が済む!どこまで俺を、このイベントを愚弄すれば良いんだ!
「…君、それは本当か?」
「俺からは何もしてない、と言うしかないですね」
落ち着け…あくまで応答は冷静に。
「嘘を吐くな!俺の走る速度にピッタリ合わせて脚を掛けたんだ!」
「…ッ、お前…!」
それら全部、お前がやった事だろ…!
「審判!俺はコイツに嫌われてたんです!俺に嫉妬してこんな事をしたんだと思います!」
「ふざけ…」
「単純に身体能力では俺に勝てないから卑怯な手を使ってきたんです!俺は完璧な存在ですからね!普通じゃ勝てないって思ったに違いないです!」
「…そうなのか」
この競技の審判は俺の方を向く。
「…反論が無いようなら、君を失格とするが…」
「…俺は、やってない──」
「それを証明する根拠は?」
「………」
無い、ある訳が無い。競技中だぞ?何も残せるものは無い。
「…そうかい。なら…」
クソっ…俺が甘かったか…。
「──なら、代理で俺が証明しましょう」
「…!」
…ハハ。本当にお前は…。
「…ん?君は…」
前髪重めの灰色髪が特徴的な、俺の親友。やさしくて実力がある、真の強者。
「…お前…クソ陰キャ…!!」
…頼るつもりは無かったんだけどな…まさか助けてくれるとは、思わなかった。
…零は、この状況を必ず正しい所へと導いてくれる。こんな俺を、助けてくれる。
何故なら…俺の親友は。
「──証拠品は…これです」
──〝英雄〟、なんだからな。




