1話 噂のお嬢様
事情により、一部のキャラの名前が変更されています。ご了承下さい。
…入学する前から、既に噂になっていた。この〝私立鳳高等学校〟にお嬢様がやって来ると。
そのお嬢様とやらは容姿端麗、羞花閉月、国色天香。そんな言葉しか出ない程、現実に存在する奇跡を体現したような美少女らしい。
…ここからは根も葉もない、馬鹿げた情報だが、今までに告白された回数は4桁。年齢・容姿・友好関係・血縁関係など問わず、異性をほぼ全員惹きつけているとか。
そんなのは十中八九デマだろうが…とにかく、そんなお嬢様が、私立鳳高等学校に入学する。…そしてそこには、俺も入学するのだ。
「…クラスは…1-4か…叡と蒼馬も居るな」
昇降口付近の掲示板に貼られているクラス分けの表を確認する。俺…天官零の名前は1-4という文字の下に載っていた。
俺はそれを長い前髪越しに確認して、入学式を行う為、体育館に行こうとする。
「…ん?」
途端に、辺りが騒然とする。俺がそれを訝しんで、辺りを見回す。あちこちで騒いでいるが、その視線は一つの方向に集まっていた。
「…あっ…」
俺もつい声を漏らしてしまった。肩に届く程度のサラサラな薄水色の髪、見ている全員を取り込むように魅了する碧眼。雪のように白く綺麗な肌、華奢な身体。
間違いない…アレが噂の〝お嬢様〟だ。信じ難い程に、見目麗しい。全員が見蕩れるのも頷ける。
「あ、あの…!」
「…なんですか」
誰かが勇気を振り絞り、玉砕覚悟の精神で彼女に話しかけた。
「ぶ、不躾ですが、お名前を__」
「嫌です、では」
……。うん、なんて言えば…ドンマイ。
決死の覚悟も虚しく、ただただあの男子生徒の心をズタズタにされただけだった。
「お前はなってないな〜。次は俺だ」
エントリーNo.2、名も知らない男。何やら自信有りげだが…この場では厚顔無恥とでも言った方が良いだろうな。
「ねえ君、ちょっと__」
「どいてください、邪魔です」
……。またしても、軽くあしらわれたな。対応が些か冷た過ぎやしないだろうか…。
「…あ」
彼女は多分、自分の所属するクラスが何処か見に来たんだろうが、今それを掲示している紙の前には俺が居る。彼女は俺の前に立ち…。
「…見えません」
苛立ちを含む冷たい声が俺に向けられる。…近くで聞くと、意外に声が可愛いな、と余計な事を考えたが、そんな余念を振り払い直ぐに会話に対応する。
「ああ…すまん。どうぞ、じゃ」
そう端的な言葉を返し、俺はそそくさとその場を去った。こういう場合、即刻立ち去るのが俺の中での定石だ。
「…」
何か視線を感じたが、気の所為だろう、と。俺はそう結論付けて、体育館へ向かうのだった。
入学式を何事も無く終え、俺は1-4の教室に入る。黒板に貼っていた座席表を確認して席に着くと…。
「零!久しぶりだな!」
「久しぶり、零。元気してた?」
「ああ…叡、蒼馬、久しぶり」
こいつらは俺の親友二人。最初に声をかけてきたのは東雲叡。ロイヤルブラックの髪に、明るく淡く、柔和な翠眼、右耳には琥珀色のピアスを付けている。
高校ではお嬢様という存在の噂の所為で霞んでいたが、叡は相当なイケメンだ。その上運動や勉強も高水準で、為人もしっかりしている。女子を惚れさせすぎて、多方面の男子から恨みを買っている人物。
…そして次に話しかけてきたのは寺沖蒼馬。綺麗で真っ直ぐな青髪、周囲の景色を美しく映し出す金色の双眸。左目は髪で殆ど隠れている。
蒼馬は中学では、ずば抜けた学力で他を圧倒してきた。本人曰く、本の読み過ぎや、天性の記憶力と応用力の賜物らしい。そんな蒼馬もまた、生徒達から嫉妬や怨恨感情を向けられていた一人だ。
…俺含め三人共、多数の男子生徒から排斥されて、最終的に流れ着いたのがこのグループ。境遇が似ているからか、仲良くなるのにそんなに時間はかからなかった記憶がある。
「会いたかったぜ〜!お前達が居ないと暇で暇で…」
「お前は沢山の女子を誑かしてるだろうが」
数多の女子を恋に落としてきた叡が暇と言うと、なんか少々腹が立つ。
「僕も、読書ばっかりでそろそろ二人と話したいと思ってたから、嬉しいよ」
「…そうだな」
「…あっ…やっぱり、まだ癒えてない…?」
「…」
「まあ、そこんところは地道に治していくしか無いよな〜…」
「…ああ…ゆっくり治していくさ…」
俺がそう言葉を返すと、突如。ざわざわ…と、教室が喧しくなる。
「ああ、噂の〝お嬢様〟か」
「こう見ると本当に綺麗だよね。…ちょっと苦手だけど」
案の定、例のお嬢様だった。というか、同じクラスだったのか。
「しっかし周りは騒ぐね〜、可愛いのは否定しないが」
叡はそう言うが、周りの反応は正常だ。俺達三人が少し特殊なだけ。故にこれだけのことで、騒いだり変な視線を向けたりはしない。
彼女は黒板に貼られている座席表を見つめる。誰も彼女の名前を知らないからか、今から座る席は何処か、緊張感に包まれている雰囲気だ。
…確認を終えて、彼女は席の方向に向かう。彼女の向かう席の方向と逆方向だった席の男子生徒達は阿鼻叫喚だったのは言うまでもない…のだが。
「…まじか」
彼女が座ったのは、まさかの俺の隣の席。俺にとっては嫌な偶然だった。彼女は席に座るや否や、鞄から数冊の本を取り出し、読書に耽り始めた。
俺は周囲から嫉妬の視線に晒され、居た堪れなくなる。そんな俺の肩に、叡は手を置いて…。
「…あ〜…零…頑張れ!」
「待て裏切るな見捨てるなどうにかしろ」
「いや…どうしようもないね、これは」
「蒼馬まで…はぁ、助けてくれよ…」
俺の悲痛の叫びも虚しく、冷たい闇を纏った視線は増えていく。そして次第に、彼等の言葉が俺に対する怨嗟として吐き出される。
一つ、二つ…そして遂には数えられない程の怨嗟の声が、教室を埋める。
(はぁ…どうしたら)
正直に言って為す術が無いので、沈黙を貫くことしか、俺に出来ることはない。だから、今は取り敢えず…。
「ちょっと、良いですか」
その言葉によって、騒然としていた教室は静まった。発したのは、俺の隣の少女。
「読書中なので、静かにして頂けませんか」
彼女は抑揚もなく淡々とした、凍てつく氷のような声音で、そう言った。その言葉で観念したのか、先程までの怨嗟の嵐が嘘だったかのように、ふっと消えた。
「あの…ありが_」
「別に、貴方の為にやったわけではありません。それと、話しかけないで下さい」
本から視線を離さず、そんな事を言う。感謝の言葉を伝えようとしただけなのだが…まあ話しかけないでと言われたし、大人しく従っておこう。
俺は鞄から錠剤を取り出し、水を口に含んで飲み込む。
「…何ですか、その薬」
「え?話しかけないで下さいってそっちが__」
「何ですかその薬」
うん、多分この人アレだ。自分にとって都合の悪い事を無かったことにするタイプの人種だ。自分は気になって知りたい事を訊ねるのに、相手にソレをされると嫌だという自己中心主義者そのものだ。
「あー…単なる花粉症の薬。此方人等、生粋の花粉症なんだよ」
正直今でもかなりきつい…もう少し先の時期になると酷いことになりそうだ。
「…そうですか」
彼女はさも〝興味ありません〟と言った風にそう返した。一応そっちが訊いてきたんだろうに、なんだその反応は。
「おい蒼馬!」
「うん、これは…」
コソコソ話している叡と蒼馬が見つめ合って何度も頷く。「何してんだ?」と俺が声をかけると…。
「「所謂〝我儘お嬢様〟だ」」
「はぁ?」
妙に重苦しい雰囲気だったから、何かあったのかと心配したのだが…俺の心配を返せ。
「よくあるだろ?自分の思うように行かないと機嫌損ねるお嬢様」
「いや、確かに居るには居るが…」
「だろ?つまりはそういうことだよ」
「いやどういうことだよ」
何が「そういうことだよ」だ。さっぱり分からなかったぞ。
「普通に、彼女がそういう性格だよねって話だよ」
「ああ…そういうこと」
「なんで蒼馬の話は理解できるのに俺の話は理解できないんだ?」
「黙れ」
因みに、俺達はいつもこんな感じだ。小学生の頃から、こんな感じで馬鹿やってる三人組だ。そのお陰で、俺の側には誰も寄ってこなかったからな。陰キャの俺にとってはマジでありがたい。
「…ほら、もうチャイム鳴るぞ。席に着け」
「もうそんな時間か。それじゃまた後で話そうぜ」
「そうだね、また後で」
叡と蒼馬はそう言って席に着く。その数秒後に、チャイムが鳴り響く。それと同時に、教室の扉がガラガラと開いて、教師と思しき人物の姿が目に映る。
長く繊細で反射率の高そうなスノーホワイトの髪、濁っていて深い闇のような黒い瞳。幼女を想起させる小柄な体躯に、ゾンビのように曲がった背筋。
恐らくこの教室に居る生徒の大半が、「こいつ本当に教師か?」と胸中で呟いたことだろう。実際、背筋を伸ばしても、身長は145cmが関の山だろう。
そんな教師が教卓に着き、バインダーを置いた後、言葉を発した。
「えっと…1-4の担任になった、椎名胡桃です…?えっと…担当教科は、現代文です…?よろしくお願いします…?」
…めっちゃおどおどしてるのが、誰の目から見ても判る。…周りは「やっばり子供なのでは?」と短絡的思考に囚われている。無理もない。声、滑舌、話すスピード、語尾に必ず付く〝?〟マーク。そのすべてにおいて、子供と言わざるを得ない。
「えっと…それじゃあ、皆も自己紹介を…まず出席番号の1番から…?」
…何か工程をすっ飛ばしているような気がするが、気にしたら駄目だろうか。まあいいや、取り敢えず出席番号の1番の人は…。
「…あ、俺か」
クラス内で苗字が〝あ〟から始まるのは俺しか居なかった筈なので、無論出席番号1番は俺である。
…自己紹介苦手なんだよな。さっきも言った通り、俺は陰キャだ。大勢の前に立つと、内気になってしまう。
更にトップバッターというプレッシャーのかかる役割、これで大半の自己紹介の雰囲気が決まる。テンション高めで行こう、高めで…。
「天官零です…好きな事は…勉強、主に数学と現代文です…あー…よろしくお願いします…」
……………。
………………………。
…いっそのこと殺してくれ。拍手の音が一つも聞こえないんだが。俺は胸中で、そう嘆きの声を叫ぶ。
まあ…それもそうか。こんな前髪重めの、地味なグレーヘアーの奴なんか好感が持てない…か。俺でもそうするな。
ちらりと叡と蒼馬の方を見たのだが…苦笑しているだけだった。やめてくれ。
「じゃあ、次…?」
…そして、自己紹介は進んでいく。俺の時とは違い、他の奴の自己紹介にはしっかりと良いムードが漂っている。…つまり、俺はこのクラスに歓迎されていないということだ。
…被害妄想?そうであって欲しいが…。
「…じゃあ、次…出席番号7番…?」
椎名先生がそう言うと、俺の隣の少女は読書をしていた手を止め、栞を本に挟んで席を立つ。所作の一つ一つに、気品を感じられ、目を奪われる。
…そして、彼女の口が動く。
「京瑞葉です。好きな事は読書です。……よろしくお願いします」
…数秒後。この教室には、耳を劈く、盛大な拍手が起こったのだった。
ちょっとキリ悪いですが、ここでストップです。日本の姓って珍しいものもあって面白いですよね。
というわけで、今回はここまで。それじゃ。