恐怖の鵺がやってきた
仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字が刻まれた八つある数珠の玉が五つ首のオロチを襲う。
「うう、八徳だと、縁起でもない数珠だ」
そう呟きながら、五匹のオロチが玉を弾き返してゆく。
あやかはテレパシーで有一郎に伝えた。
「八徳の効果があるうちに、オロチの頭に邪眼念通を撃ち込んで時間溶解をもたらして」
有一郎は何度もオロチの頭に邪眼念通を撃ち込んだ。
三度ほど撃ち込むとようやくオロチの頭の動きが鈍くなりだした……ような気がする。
実は、時間溶解は、あくまで個人の主観に属するものだから、他人には効果がでているのかでていないのかがよく分からない。
「ううむ」とオロチは自分の感覚が微妙にズレだしたことを実感していた。
(なにか仕掛けてきたな。妖術か? ならば、これを食らえ)と迂回分断大蛇という魔術を有一郎に放った。
これも実感を伴わない術であるが有一郎の脳が支離滅裂になりだした。
(1を100に分解し、その100の一つ一つをまた100に分解する。そうすれば、見えないものが見えてくる。1を100だ)と脳内思考が迂回するように循環している。
あやかは、(有一郎さんの目がおかしい)と気づいた。
花房もすぐに有一郎の異変に気づいた。
片方の目の瞳孔が青紫に変色している。
(これは黒魔術だ。オロチに仕掛けられたか)
そして、ポケットから気つけ薬のハッカ油スプレーを取り出して、有一郎の顔にかけた。
(は? 僕はどうした? 何かおかしいことになっていたのか?)
有一郎は正気を取り戻してオロチを見た。
(やられたのか? 邪眼念通どころか、僕の脳が攻撃された? 先手必勝も魔術には通用しないのか)
一方、(三人の手練れが相手では魔術も通用しずらいか。ま、これで敵の手の内も読めたことだし、今日はこの程度にしておくか)オロチは、そう呟くとたちまち姿を消した。
しかし、花房は「逃がさねぇぞ」と呟いていた。
「ここまで手の内を知られて逃げられると思うなよ」
そして、あやかに透視をお願いしていた。
「いますよ。この近くの廃屋に。派手な衣装は脱ぎ去って地味な半纏を着ていますが、頭の五十日はそのままよ」
有一郎が花房に「どうしますか」と訊いた。
「絶対に黄泉に送り返してやる。そのためには奥の手を使う」
「奥の手?」
「そうだ。通常の手法では通用しないので奥の手を使う。霊には霊だ。霊相手に戦うのは面倒くさくてうんざりだ。つまりだ、禁断の鵺を召喚する」
「鵺? 鵺の鳴く夜は恐ろしいという映画のキャッチコピーで有名なあの鵺ですか?」
「こいつは本当に恐ろしいぞ。なにしろ妖怪中の妖怪だからな。注意しないとこちらが食われて、否、飲み込まれてしまう」
「鵺って、コントロールできるのですか」
「まぁ、かなり難しいけど、方法はある。しかし、危険度はMAXだぞ。間違って、飲み込まれたらそのまま魔界に送り込まれてしまうからな」
「ヤバイですね」
「ヤバイってなもんじゃない。で、その役割を有一郎君にお願いしたい」
「ぼ、僕ですか……」
「鵺はな、ニンニクとヨモギとドクダミを煮込んだ臭いが大好きなんだ。その臭いを嗅ぐと食欲が湧くらしい。その汁を有一郎君がオロチにかけるわけだ。スプレーで」
「もちろん、完全防護で望まないとスプレーの汁が一滴でもかかると飲み込まれてしまう。その準備のためには多少の時間はかかる」
やがて、花房の連絡を受けた関東霊夢省の同僚が防護服と煮込み汁入りのスプレーを持って駆けつけた。
「さあ、これを着るんだ」
と言われるままに有一郎は、顎カバー付きの全面型の防護マスクなどがついた、使い捨ての全身化学防護服を着用した。
そして、オロチがたむろしている廃屋に向かう。
オロチをおびき出すために廃屋に石を投げつけた。
不審そうな顔をしたオロチが出てくると、有一郎が空間弾烈を発動させ、空間を削ってあっという間にオロチの前にきてスプレーを噴射し、再び、空間弾烈を用いて俊足で逃げた。
あまりの緊張感に、有一郎は酸素が切れたボラのようにあえいでいた。
オロチは何のことか訳が分からずボー全自失の状態だったが、身も凍える答えがすぐにやってくる。
やがて、煮汁の匂いを嗅ぎつけて猿の顔、狸の胴体、前後の肢は虎、尾は蛇という異形の鵺がのっそりとやってきた。
オロチは鵺を見て血の気が引いた。
(ぬ、鵺じゃねぇか……どうして鵺がこんなところに)
しかし、逃げるわけにはいかない、というより一瞬で千里を駆けるといわれている鵺から逃げ切れるわけもない。
(こうなれば)とオロチは五つ首に変身し、それぞれの口に灼熱の赤い玉を浮かべた。
透視していたあやかが花房のために状況を伝えていた。
「口から真っ赤な玉を発射しようとしているわ」
オロチは五つの灼熱に燃え上がる玉を鵺めがけて撃ち込み、大きな爆発音が轟いたが、鵺には通用しない。
鵺は何事もなかったかのように、オロチに近づいたかと思うと大きく口を広げてオロチを吸い込んだ。
「うわわわわ、た、助けてくれぇ~」という声を残してオロチは鵺の体の中に吸い込まれてしまった。
鵺は満足したのか、そのまま、黄泉の地に戻って行った。
有一郎は、あまりのおぞましさに硬直したまま震えていた。
何という超怪物なんだ。
こんな生き物が住んでいる黄泉って、どんな世界なのだ。
有一郎は牛鬼婆の村から帰ったときより、さらにげっそりと疲れていた。
そして、花房とあやかを横目に見て、(とんでもない連中だ)と呟いていた。