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舞踏会まであと1月、という頃から少しずつではあるが、社交界へ顔を出すようになり始めた。
とはいえ、お披露目はあくまでも舞踏会だから、ちょっとしたお茶会やサロンに出向く、といった程度だ。
本番と比べれば、会う人の人数は比べ物にならないそうだが、こうして社交の練習をすると共に、少しでも社交界に味方を作っておくことが大事らしい。
今日やってきたのはさるいつも私の「補佐役」について下さる公爵夫人主催のお茶会。だいぶお茶会にも慣れてきたし、出席者もかなり少なめだ、ということもあり、今日の私は侍女だけを連れて、会場で皆さんと交流することになった。
「本日はほのか様にお越しいただき大変光栄に存じます。どうぞ楽しんでいってくださいましね」
朗らかにそう言って下さる公爵夫人に私も授業を思い出しながら挨拶をする。膝をおる挨拶にドレス裁き、そして長い口上にもだいぶ慣れてきた。
社交界、というと前の世界で読んだ小説の影響か、つい愛蔵渦巻く恐ろしい世界、というイメージがある。が、今のところ私がお会いしている方はみんな優しい方ばかりだ。
もちろん、私が伝承にある『黒髪の乙女』だ、というのは大きな理由だろう、とは思う。
それでも、私が慣れない振る舞いにアタフタすればそっと助け舟を下さるし、話題選びに困ればさりげなくリードして下さる。おかげで、そつなく? かは分からないが、意外と順調に、そして楽しくお茶会の時間を過ごすことが出来ていた。
「あら! 『黒髪の乙女』様、お初ですわね」
と、突然女性の声に呼び止められる。振り返るとそこには私と同じくらいの歳の真っ赤なドレスの令嬢が立っていた。
「初めまして、『黒髪の乙女』ほのか様。わたくしランシェドン伯爵の長女、キャロルと申します。以後お見知りおき下さいませ」
「……ほのかにございます。どうぞお見知りおき下さいませ」
ランシェドン伯爵、といえばアデリア王国でも古株で力のある貴族。キャロル様もその美しさで社交界から一目置かれている、と習った。
確かに今日お会いしたどのご令嬢よりも豪奢なドレスを着こなしたキャロル様は、同い年とは思えない艶やかさと上品な色気があり、私は思わず圧倒された。
束の間私がお辞儀する様をジッと見つめていたキャロル様。どうしたのだろう? と思うと、今度はニコリと唇に弧を描いて、口を開いた。
「ほのか様はここへきてまだ1月、と聞いていますわ。それにしては美しい礼ですのね。さぞ苦労されたでしょう?」
「素晴らしい先生方を付けていただきましたので……」
「あら、そう。でも大変は大変でしょう? 私もほのか様にできる限りの協力をしたいと思っていますの。なにしろ私は陛下から『代役』を仰せつかっておりますので」
「『代役』を? ですか?」
『えぇ、もう『代役』についてはご存知でしょう?』
「はい、一応は……」
『代役』はその名の通り、私のような別世界から来た人間に変わって妃の執務をする人のことだ。過去には随分幼い人や、性格的に妃に向かない人が召喚されたこともあり、そんな時に『代役』が置かれるーーのだが、同時に『黒髪の乙女』が現れたことで王が意中の人を妃に出来なかった場合の愛妾を指すことも多い、とも聞いた。
そんな授業の記憶もあり、私が目をしばたかせていると、キャロル様は、気持ち笑みを深めて、一歩こちらへ近づいた。
「私は幼い頃から陛下と懇意にさせていただいておりまして、一時は妃候補としていただいたことも。そんなこともあって、『代役』に指名頂いたのですわ。……あぁご心配なさらず。あんな素敵な方ですもの、ご寵愛を独り占めするなんてことはいたしませんわ」
「えぇと……では今後もよろしくお願いします。何分この世界には慣れていませんので、頼りにさせていただきます」
正直、キャロル様が『代役』となる話は聞いていなかった。しかし、ということはこれから関わることも多くなるのだろう。失礼がないようにしないと、と何とか頭をフル回転させて返事を返すと、今度はキャロル様の笑顔が一瞬固まったような気がした。
「あらーーそうね。ほのか様のご期待に添えるよう努力させていただきますわ。それでは御機嫌よう」
と、そこでキャロル様はそう言うと、ドレスを翻して、さっとどこかへいなくなってしまった。どうしたのだろう? と思ったが、そこへまた別の令嬢方が声をかけてくださったので、私は一端キャロル様のことは忘れることにしたのだった。
「そういえば……陛下はランシェドン伯爵令嬢に私の『代役』をお願いされたのですか?」
これもまた日常になりつつある、図書室での勉強会。相変わらず貴族名鑑とにらめっこしつつもキャロル様の言葉が頭から離れなかった私は、思わず隣の陛下にそう問いかけた。
「は? 誰がそんなことを」
「えぇと……伯爵令嬢ご自身が……」
私がそう言うと、急に陛下の纏う空気が冷たくなるのを感じる。思わず私が腰を浮かせ陛下から少し離れようとすると、今度は陛下の表情が急に柔らかくなり、そしてそっと腰に手を添えられて元の場所に戻された。
「すまん、怯えさせるつもりはなかった。どうして彼女がそんな勘違いをしたかは知らんが、『代役』なんて頼んでないし、選ぶつもりもないぞ」
「そうなのですか!? ですが私では公務が……」
「たった1月でここまで仕上げているんだ。なんの問題も無かろう。それに当面はクララもいるし、その方面に強い侍女も大勢選んでいる。なんの心配もない」
「で、では……陛下がその……キャロル様をご寵愛だ、というのも」
「全くの嘘だ。私の妃はそなた1人で良い」
陛下の言葉に私は思わずホッと息を漏らす。想像以上にキャロル様の言葉に心が揺らいでいたらしい。でも陛下の言葉は信じられる。
と陛下がさっきよりさらに私との距離を詰め、戯れるように私の髪へ手を差し入れた。
「最近クララやハリエットに『もっと分かりやすい愛情表現をするべき!』とよく叱られるのだが……その原因の一端はそなたにもあると思わんか?」
「そ、そうでしょうか?」
「ああ、そうだ。そうに違いない」
そう言いながら、陛下は私の髪をすく。どうして急にそんなことをし始めたのかは分からないが、陛下の大きな手は心地よく、私は黙ってされるがままになるのだった。