優しすぎるから傷つける
廊下で待ち伏せされていた。
「あの……。好きです。付き合ってください」
僕の前にそう言って立ち塞がる女子の顔を見ながら、返す言葉を見失ってしまった。
どう言おうか。
『ごめん。好きな人がいるから』じゃ嘘になる。
『うん、いいよ』では、本心じゃないし、なんか面倒臭いことになりそうだ。
『ふざけんなよ、てめー』なんて僕にはちょっと言えない。
『じゃあ、友達から』と言えば彼女のほうから退いてくれるらしいことは知っていたが、それじゃヨーイチの真似になる。自分の言葉で返してあげたい。
無視しようか? だめだそんなこと、出来ない。
それで僕は、こう言ったのだった。
「ちょっと……考えさせて」
なんとかあの娘から逃げることが出来て、教室へ急ぎ足で入ると、タツヤとヨーイチを探した。探すまでもなく、いつものようにタツヤの席に向かい合って、ヨーイチも一緒にいた。
「ちょ……、ちょっと聞いて、聞いて!」
そう言いながら僕が近づいて行くと、ヨーイチは不思議そうに振り向いて、タツヤがいつものようにニヤニヤしながら聞いてきた。
「どうした、ハルキ。面白い話かぁ?」
僕は単刀直入に、そのことを告げた。
「殿蔵さんに告白された」
「おまえもかよ!」
タツヤがプーッ!と吹き出した。
「やっぱりそういうこと……ね」
ヨーイチが脱力したような声で、笑ってしまいながら言った。
「タツヤと仲いいヤツなら誰でもいいってことなのかな」
殿蔵さんは隣のクラスの女の子で、タツヤのことが好きだった。
ちょいワルなタツヤは背も高く、顔はいいとは思わないが『女好きがする』ってやつなのか、結構モテる。
それで数日前、殿蔵さんはタツヤに告白して、振られたばっかりだったのだ。
それからほんの数日後、彼女はヨーイチに告白した。
事情を知っていたヨーイチは、ちょっと呆れながらも『じゃあ、友達から』と言ったそうだ。
すると殿蔵さんは執拗に嫌がって、『じゃあ、やめる』と言って告白を撤回したらしい。
『将を射んとする者はまず馬を射よ』──つまりはタツヤに接近するために自分と親しくなる作戦なんだろうとヨーイチは言っていたが、よくわからない。じゃあヨーイチとまずは友達になればいいじゃんと思うのだが……。単に手っ取り早くカレシが欲しいのだろうか。彼女の気持ちがわからない。
そして今度は僕に告白してきた。
やっぱりタツヤと仲のいい男なら誰でもいいのだろうか……。
結構モテるタツヤやそこそこ顔のいいヨーイチと違って、僕なんかに告白してくるなんて。
「どうすんだ、付き合うのか?」
そう言ってタツヤがからかうように笑う。
「まさか」
僕は答えた。何を考えてるかわからない不気味な女の子となんか付き合うつもりはない。僕はタツヤに聞いた。
「参考までに……。タツヤはどう言って断ったの?」
「え。ハルキおまえ、聞いてなかったっけ?」
ヨーイチが横から教えてくれた。
「『画数の多い女は嫌いだ』って言ったらしいぞ」
「もっとやんわりした言い方だったけどな」
タツヤは苦笑した。
「『ごめん。画数の多い名前の人、俺、苦手だから』だったかな」
意味が分からなかった。
「アイツの名前、こんななんだ」
タツヤがノートに殿蔵さんのフルネームを書いた。
殿蔵重爾
僕は思わず叫んだ。「画数、多っ!」
「これで『とのくらしげみ』って読むんだって」とヨーイチが、他人の名前に対して失礼なぐらいに笑う。
「よ……、よくフルネーム知ってたな?」
僕がそこにツッコむと、
「そりゃまぁ、な。あの娘そこそこ可愛いっちゃー可愛いし……」
タツヤは一応興味はあったことを認めた上で、
「名前が嫌だったのは本当にあったけど、それよりなんか嫌な予感がしたんだわ。だから断ったんだけど、こうなってみると正解だったかな」
そう言って、誇らしげな顔をしてみせた。
確かに殿蔵さんは異常だ。
こんな短期間に僕ら3人に告白してくるなんて。何を考えてるかわからない要注意人物だと思える。
でもなんだか可哀想な気もした。名前の画数が多いからとか、そんな理由であっさりかわされるなんて……。
「僕……、どう言って断ろう」
僕は二人に相談した。
「ねえ……。僕、どう言って断ったらいい?」
「ハルキはこういうの、慣れてねーもんな」
タツヤが出来のよくない頭を振り絞って考えてくれる。
「テキトーでいいんだよ、テキトーで」
ヨーイチは他人事みたいに軽い口調だ。まぁ、他人事なんだけど……。
「『顔洗って出直してきな』で、いいんじゃね?」
「そんなの言えないよ! もっと優しく断る言い方、ないかな」
「めんどくせ」
タツヤが言った。
「好きにすればいいと思うわ」
「それでも友達!? ねえ、教えてよ!」
「『御免蒙る!』ってのは?」
「ふざけないでよ、ヨーイチ! それじゃふさげてるし、彼女絶対傷つくよ!」
「ま、これも修行だ」
タツヤは立ち上がると、
「女の振り方を覚えるチャンスだ。しっかりやれ」
廊下へ出て行ってしまった。
色々考えたけど、上手な断り方は考えつかなかった。
優しく、彼女が傷つかないように、でも期待をもたせないように、あるいは彼女がストーカー化とかしてしまわないように……
まあ、今日はなんとか彼女と顔を合わせないようにしてコッソリと帰ってしまおう。
そう考えながら、終業のチャイムが鳴ると同時に教室を急ぎ足で出た。
「あっ」
そんな感じの顔で、殿蔵さんが廊下の向こうから僕を見つけた。
「うわっ!」
僕は慌てて彼女に背中を向け、階段へ向かって走り、玄関に辿り着くと、駐輪場まで全力疾走し、自転車で校門から飛び出すように、逃げた。
家に帰り着くと、後ろを振り返りながら二階の部屋に上がり、閉めたカーテンの隙間から表の通りを覗った。
殿蔵さんの姿は影も見えず、僕はほっとしてようやく寛ぐことが出来た。
次の日の朝は、彼女に校門とかでばったり出会ってしまわないように、いつもより30分早く家を出た。
早起きは三文の得っていう言葉の意味はよくわからないけど、なんとなくわかるような気がするぐらい気持ちいい。
スズメもなんだかいつもより楽しそうに歌っていた。
「おはよう」
後ろから声をかけられ、振り向くと、殿蔵さんが乗った白いあさひ自転車のスポーツサイクルが僕を追いかけて来ていた。
にっこり朝日を頭に載せて笑う彼女の顔が、なんだか好きな女の子みたいに眩しかった。
僕はサッと前を向き、逃げた。ママチャリのペダルを今まで漕いだことがないぐらいの高速回転で漕いで、彼女のスポーツサイクルから逃げた。
校門に辿り着いた時には汗びっしょりで、100m走を3回全力疾走したぐらいハァハァいっていた。
駐輪場で恐る恐る辺りを見回したけど、彼女のことは引き離せたようだった。
帰りには雨が降り出して、仕方なく自転車を押して、鞄の中に入れてあった折り畳み傘を差しながら歩いた。合羽は忘れたけど傘はあったのだ。
しばらくそうやって歩きながら、ドキドキしていた。彼女が後ろから追いついて来たりはしないだろうかと思っていると、恐れていた通り、僕の名前を呼ぶ女の子の声が聞こえた。
振り返ると、殿蔵さんが白いスポーツサイクルに乗って、制服姿で走って来ていた。合羽を着ていないのでビショビショだ。
「わあっ! 雨降るなんて聞いてなかったよう! あっ、傘だ! 傘、傘! 一緒に傘に入れて?」
そう言われたので、彼女に傘を持たせた。
持たせると自転車に跨り、全速力でペダルを漕いだ。
後ろから聞こえて来る彼女の声はなかったが、彼女が呆気にとられながら僕を見送っているのはわかった。
その次の日はよく晴れたけど、合羽を忘れず鞄に入れて行った。
いつも通りに家を出て、いつも通りのペースで自転車を漕いだ。
昨日は30分早く出たら遭遇してしまったので、このほうがいいだろうと思いながらも、学校へ向けて自転車を走らせながらビクビクしていた。
結局、今朝は殿蔵さんと出くわすことはなかった。
ほっとしながらも、なんだか寂しい気持ちが胸にじわーっと広がっていた。
「見てたぞ」
タツヤに言われた。
「おまえ、あの女から必死で逃げてたな」
「だって……」
僕は教室の窓をビクビク気にしながら、タツヤに言った。
「何て返事したらいいかわかんないし……、あの娘へんなやつだし……。それに迂闊に言葉なんか交わしたら傷つけちゃうかもしれないだろ」
「優柔不断だな……」
ヨーイチに言われた。ため息をつきながら、
「だから傷つくんだよ」
その言葉が痛かった。
何も返事できずに逃げてばかりいるのは、やっぱり彼女を傷つけてしまうことになるのか。
ああ……。もう嫌だ。楽になりたい。こんなだったら誰かから好意を寄せられるなんてのはまっぴら。結構だ。
でも、こんな僕のはっきりしない態度のせいで、彼女を傷つけてしまっているのか。なんとかしないと。なんとかしないと。
やっぱり何も言わずに避けてるだけじゃ、口ではっきり『ごめん』って言うよりも嫌われてる気がしちゃうのかな。
彼女の目から見た僕って、どうなのかな。へんなやつかな。それとも、やっぱり気持ち悪がって必死に逃げてるように見えちゃうのかな。
そんなんじゃないのに。ただどう返事したらいいかわからなくて、困ってるだけなのに。でも……
「彼女、傷ついてるのかな……」
僕がそう言うと、タツヤに呆れたように言われた。
「何言ってんだ。傷ついてるのはお前だろ」