……だだだ黙って俺に愛されてろ! そっ、そそその……ききき綺麗な唇も、お前の歩んできた過去も、俺がぜぜぜ全部……ううう受け止めてやるからよっっっ!―①
声の主は、整った容姿に、小柄な体型、そしてこのアレスティア王国では珍しい見る者を惹きつける銀色の美しい髪が特徴の女の子だ。
穏やかな、そして何処か儚げな印象を抱かせるその少女の名は、ソフィア・ヒストリア。俺の一つ歳下の妹である。
母さんは顎でしゃくり、ソフィアに発言の許可を出す。
話をする前に、ソフィアは優雅に一礼をする。その所作は王女として完璧なものだった。
「お兄様に女性経験を積ませるだけなら、他の女性でも代わりは務まります。このような形で聖女様の持つ退魔の力を損なうようなことなど、このアレスティア王国の不利益を生むだけです。ご再考ください」
「我々は聖女に頼らず生きていくと決めたのだ。彼女の――ナターシャの持つ退魔の力を当てにはするな。それにいい加減、聖女様という堅苦しい呼び名を改めてはどうだ? ナターシャは、いずれお前の姉になる女なのだぞ」
「そうは言いますが、我が国は現在聖女様の力の恩恵を受けているではありませんか? 聖女様はお兄様が魔王を倒す以前の生活に戻っただけ。それだけのことです。その維持を今まで通り国が管理することに、何の問題があるのでしょうか?」
「ナターシャが神殿に戻ったのは、あくまで彼女の意志だ! それをずっと国の力で強制させるつもりはない。それに、彼女が国に無償で奉仕している合間に、彼女のシュヴァルツに浮気まがいのことをさせるなんて言語道断だ!」
真っ向から対立するソフィアと母さん。
ここでは混乱を避けるため、母さんが許可を出した者以外の発言は許されていない。
だけどこの場にいる俺以外の人たちは、母さん派かソフィア派かのどちらかの意見を持っている。
その割合はざっくり言って、母さんに賛同する者が半分、反対する者が半分と言ったところだ。
こうも意見が分かれるのは、俺の婚約者の女性が聖女だからに他ならない。
聖女とは、その身に宿す退魔の力を使いこなせる女性のことを言う。
退魔の力をわかりやすく言うと、強力な魔除けだ。
そんな聖女の加護を受けている国に、魔族が近づくことはできない。
それはあの圧倒的な力を持つ魔王とて例外ではなかったほどだ。
もし聖女がこの世にいなかったとしたら、俺が魔王を倒す前に人類は滅びていただろう。
だが、強力な力とはやはり得難いものだ。聖女になる道のりは決して平坦なものではない。
退魔の力を扱えるようになるために、聖女には厳しい精神修行が毎日課される。
それは大の男ですら音を上げるほどの過酷なものだ。
その修行中に死人が出ることだって珍しくはない。
国を思う優しさと、精神的な強さを両立できて初めて聖女になれるというわけだ。
だが、こうして厳しい修行を乗り越えた後に彼女たちを待ち受ける運命は、外界から完全に隔離された生活だ。
そもそも退魔の力を宿す女性自体が非常に少ない。
その素養を持つ者の中で、先の過酷な修行を乗り越えられる者は、一国に一人いるか、いないかだ。
このアレスティア王国のような大国ですら、俺の婚約者であるナターシャ以外に聖女としての務めを果たせる者はいない。
故に、聖女を巡った国家間のいざこざは後を絶えない。
魔から人を守るための力は、皮肉にも守るべき対象である人間同士の争いを誘発してしまっているのが現状だ。
だから聖女たちの身柄は人里離れた僻地にある神殿へと幽閉され、そこで退魔の力を使うための道具として国に管理されてその一生を終えるのが一般的だ。
聖女に人としての自由なんかありはしない。
彼女たちの生涯は、人類が魔族という脅威から生き延びるために捧げられる供物のようなものだ。
そして、そんな聖女への扱いの中に、絶対に犯してはならない禁忌が存在している。
……それは聖女が男と交わることだ。
聖女が持つ退魔の力は男と肌を重ねただけで大幅に弱まってしまう。
幸い、男によって触れられた箇所を、聖水で清めれば以前通りの力を取り戻すことはできる。
だが、男女として一線を越えてしまえば最後、聖女は単なる人へと成り下がってしまう。
そうなれば、彼女たち聖女に退魔の力は二度と戻ることはない。
一度の過ちが取り返しのつかない事態を招くため、聖女の身の回りの世話を行う人間は女性のみで構成されている。
わざわざ男を近づけるようなことは、本来ありえないことだ。
なのに、この国は聖女に人並みの人権を与え、しかも俺と男女の仲になることまで容認している。
この決定に至ったのは、俺が魔王を倒して聖女の力に頼らなくても生きていける世界を齎したことが大きい。
そもそも俺が魔王を倒すという偉業を成し遂げられたのは、俺が今代の聖女であるナターシャと自由に生きられる未来を望んだからに過ぎない。
俺が欲しかったものは、英雄という肩書きなどではなく、ただ愛した女と添い遂げる未来だったというわけだ。
もっとも、魔王がいなくなったところで魔族が人間の脅威である事実に変わりはない。
聖女の役割を解くか、解かないかを決めるのは、最終的にその国に住まう国民たちの意志である。
そして、この国は聖女に頼らず生きていくことを選んだ。
それは俺のナターシャへの強い想いに感化された人々が、俺たちの関係を強く後押ししたからなのは言うまでもない。
もちろん、この決定に対して皆が納得しているというわけではなかった。
その反対派の一人がソフィアというわけだ。
「お兄様が記憶を失くされた際、この国は退魔の力の加護を受けてはおりません。もしこの犯行が魔族の仕業だとしたら、魔王を倒した英雄を超える強さを持つ魔族が現れたことを意味します。そうなれば、我々は聖女様のお力に頼る他ありません。ご再考ください、この国の安全のためにも」
「つまりお前は、民が選んだ決定を私の権力で覆せ……と言いたいのか? たしかに女王という立場ならそれは可能だろうな。だが、それはできん相談だ。私は民の意志を尊重する」
「民意を尊重していては、国の安全を維持することは困難です。そもそも、あのような決定に至ったのは、大衆がお兄様と聖女様の美談に絆された感情的な判断によるもの。人の上に立つ者は、一歩引いて考え、常に合理的な行動を心掛けるべきです。感情に流されるのではなく、正しいご決断をお願いします、女王陛下……!」
果たして昔の俺ならば、この二人の話を聞いてどのような判断をくだしたのだろうか。
はっきりしているのは、記憶を失くした今の俺に軽々しくどちらが正しいと言えるだけの確たる意志はないということだ。
……だから俺がこの議論に口を挟む資格はない。
黙って母さんたちが出す決定に従うだけだ。
暫しの沈黙の後、母さんは徐に口を開いた。
「人の上に立つ者は、一歩引いて考え、常に合理的な行動を心掛けるべき……か。以前の私なら、きっとお前と同じことを考えていただろうな。……だが私は気づいてしまったのだ。人の強い想いには、未来を創造する力を秘めているということにな」
そう言い、母さんは俺を見る。
「そのことを私に示したのは他ならぬお前だ、シュヴァルツ。お前は愛した女に自由を与えるために魔王を倒した。そしてその強き想いが民の心を動かし、聖女の力に頼らずに生きる決断を国民にさせたのだ。それは国民が、お前たちが幸せになる未来を望んだと言い換えることができる。そんなお前たちの行く末にこそ、きっとこの国を――いや、この世界を明るく照らす希望があると私は信じている。だから私はシュヴァルツとナターシャの行く末を邪魔するような決定をくだすつもりはない。私の考えに納得がいかない者がいることは重々承知している。だが、その上で私は民意を――想いの力を尊重したいのだ」
話し合いに結論は出た。民意に加えて女王陛下の後押しまである。
母さんがここまで言った以上、ナターシャを以前のように国の所有物として管理することなんてもう不可能だ。
「そんなもの、ただの希望的観測に――」
だがまだ反論しようとするソフィアに、母さんは言葉を被せた。
「――それにソフィアよ。人に感情的になるなと言っておきながら、お前もさっきから冷静ではないように思えるぞ。正直に言ったらどうだ? シュヴァルツとナターシャの仲が深まることに嫉妬していると? 私は知っているぞ。お前は、この玉座を奪い、シュヴァルツとの結婚を目論んでいるのだろう?」