恋のライバルは俺自身!?―①
「あれは女慣れの修行の一貫で行なったものでありまして、オリヴィアさんとはそれ以上でもそれ以下の関係でもありません! でも、俺がオリヴィアさんの胸で失神したことは紛れもない事実です! そのことは、猛反省しております! どうか、どうか、おゆるしくださいッッッ!!!」
そう言い、俺はナターシャに頭を下げた。
オリヴィアさんとは背中に胸を押し付けられる以上の間柄ではない。
しかも直にではなく、服越しである(ここ重要!)
記憶は曖昧だけど、ナターシャと行なったキスの方が間違いなく気持ちがこもっていたはずだ。
それに俺が女慣れの修行中であることは、ここに来る前に先触れがナターシャに伝えてはいる。
本来はここまで謝る必要はないのかもしれないが、俺は婚約者がいる身でありながら、ナターシャ以外の女性に対して失神するほど興奮したのは紛れもない事実だ。
ここはチンケなプライドなんか捨てて、しっかりと謝罪をしておくべきだろう。
……あと、単純に目の前にいるナターシャがめちゃくちゃ怖いというのもある。
決して顔が怖いというわけではない。むしろぷんぷんという感じの怒り方のため、外見だけなら可愛らしくて迫力が全くない。
……だけどそんな愛らしい雰囲気に反して、彼女が放つオーラが凍てつくように俺の肌に突き刺さる。流石は聖女だ。
十分な時間が経った後、俺は恐る恐る頭を上げてみた。
まだ怒っているのかもしれないと思いながら、ナターシャの顔色を窺うと、意外なことに彼女は申し訳なさそうな表情をしていた。
一体どういう心境の変化なのだろうか。
「……先程は取り乱してしまい、申し訳ありません。あなたの事情は理解しているつもりです。ただ、女心とは複雑なものでして、理屈と感情を上手く割り切れない部分があるのです。それに私は聖女。恋というものを、自分とは無縁なものとして割り切って生きてきました。そのため、シュヴァルツ様が他の女性に惹かれたという事実に対して、普通の女性以上に嫉妬してしまっているのだと思います。昔のあなたは、その……わ、私以外の女性以外に対して、一切の興味を示されませんでしたからっ!!!」
そう言い、赤面しながら下を向くナターシャ。
……ああ、そうだった。
ナターシャは今まで聖女として生きてきたんだ。俺以外の男と関わることには慣れていないのだろう。
しかもその俺が記憶を失くして、こうも変わってしまったのだ。困惑してしまうのも無理はない。
俺は自分のことで手一杯になっていたけど、どうやらそれは彼女も同じだったようだ。
そのことがわかって、俺は少し安心した。
「正直に言うと、あなたとこうして話をするまで、俺はあなたのことをもっと浮世離れした人だと思い込んでいました。何せ、聖女ですし、昔の俺がめちゃくちゃ愛した人ですからね。……でも実際に会ってみたら、そんなことはなかった。あなたは年相応の悩みを抱えるごく普通の女の子です。そして、どうやら俺とあなたはある意味、同じ悩みを抱えている似た者同士なのかもしれませんね」
苦笑いを浮かべながら俺は正直に本心を吐露する。
どうやら、聖女という神職と、昔の俺が愛した女性という先入観が、俺の中の彼女の虚像を膨らませてしまっていたようだ。
でもこうして彼女と話してみたらその誤解は解けた。
だから俺は、彼女の悩みが俺と同じものだということに気づけたのだ。
自分に振り回されるという悩みに。
「私とシュヴァルツ様が似た者同士……ですか?」
「ええ、そうです。俺は過去の自分の言動に。あなたは芽生えたばかりの慣れない感情に。つまり、俺たちは自分に振り回されているという共通点を持っています。そんな俺たちに必要なことは、自分と向き合うことです。ね、同じでしょう?」
「言われてみれば、たしかにそうかもしれません。……でも、私はあなたのように強くはありません。記憶を失くされる以前のあなたは恋に不慣れな私を嫉妬させないように、どんな女性の色仕掛けにも反応を示されませんでした。今思えばあれはあなたの優しさだったのですね。おかげで私は自らの黒い感情を自覚せずに今まで過ごせてきました。……でも、今は違う! 私は、私自身に宿る醜い感情を自覚してしまいました。私は、それと向き合うことが、とても怖いのです……!」
聖女たる者、他者を僻むな、国の民を平等に愛せ……だったか。
退魔の力を維持するための教えが、今の彼女自身の心を苦しめているのだろう。
……まぁ、自分と向き合うことが辛い気持ちなら俺もよくわかる。
それに俺もナターシャが想像しているほど完璧な男ではない。
「自分のことを知るのが怖いのは、俺も同じですよ……」
「……あのシュヴァルツ様が、ですか?」
「ええ、そうです。みんなからは英雄やら何やらと散々持て囃されてはいますけど、俺はみんなが思っているほど完璧な男ではありませんよ。時折、不安で押しつぶされそうになることだって当然あります……」
俺が記憶喪失であることは極秘事項。
些細なミスによって、国の統率が崩れる可能性があるという重圧を、俺は日々感じながら昔の自分と向き合っている。
偶にそのことから無性に逃げたくなることだってある。
思えば、こんな話をしたのはナターシャが初めてかもしれない。
そんな共通の悩みを持つ彼女だからこそ、自然とこんな提案ができた。
「……ナターシャさん。俺と一緒に、自分に慣れていきませんか? 俺はあなたを通して昔の自分を。あなたは俺を通してその黒い感情を。俺はあなたになら、弱い自分を曝け出せると思うんです。だからあなたも俺のことを頼ってください」
「たしかにこういった感情に慣れていくことが大切なのはわかっております。それにこんな私がシュヴァルツ様のためになるのだとしたら、喜んで協力致します。……でも、シュヴァルツ様に私の醜い部分をお見せするのは――きゃっ!? シュヴァルツ様、いっ、いきなり何を!?」
俺は強引にナターシャの手を手繰り寄せた。皆まで言わなくてもよくわかっている。
彼女が怖いのは、俺に嫌われることだ。だから俺が彼女を嫌わないであげれば良いだけだ。
「安心して。俺はどんなあなたを見ても、決して幻滅したりはしませんよ。……返事は?」
「……はぃ!」
そう言い、ナターシャは小さく頷いた。
……まぁ、幻滅されるとしたらきっと俺の方だろうけどな。
昔の俺は、ナターシャ以外の女を女として見ない規格外の男だ。
昔の俺が彼女にとって理想の王子様だとしたら、今の俺は単なる女性慣れしていない思春期の男児である。
違いが大きすぎて、もはや比較対象にすらなりはしない。
……そして何よりも、今の俺はナターシャに対して恋心を抱いてはいないからだ。