一日一回私とキスしないと死んじゃう公爵令息
「クリストフ様、本日も麗しいですわ!」
「ハハ、ありがとう」
「クリストフ様、今度私にダンスをご教示願えませんか?」
「あっ! ズルいわよあなた! 抜け駆けはナシっていつも言ってるでしょ!」
「ハハハ……」
貴族学園のとある放課後。
そこでは今日も見慣れた光景が繰り広げられていた。
我が校で一番の有名人である公爵令息のクリストフ様を、数多の令嬢たちが取り囲む――そんな光景が。
クリストフ様は男女問わず誰しも魅了するほどの美貌を持つうえ、魔法学の成績も常に学園トップ。
その割には何故か未だに婚約者がいらっしゃらないのだから、令嬢たちが自己アピールに必死になるのも無理もない話だろう。
もっとも、クリストフ様に話し掛けられるのは、身分の見合う上級貴族の令嬢のみ。
私たちのような下級貴族の令嬢は、そんな光景を遠巻きに眺めるくらいしかできないのが現実だ。
「あ、ちょっとゴメンよみんな。大事な用事があるので、僕はそろそろ失礼するね」
「そ、そんなぁ、クリストフ様ぁ」
「……」
「……!」
令嬢たちの包囲網から颯爽と抜け出したクリストフ様が、去り際私のほうに意味あり気な目線を向けてきた。
『今日もいつもの場所で』――その瞳はそう言っているようだった。
私は小さく頷き返し、そっと一人ある場所へと向かった。
「お待たせいたしましたクリストフ様」
「いや、僕も今来たところだよ、リーゼ」
そして私がやって来たのは、学園の裏庭の隅にある小さな東屋。
ここは生徒も滅多に寄り付かない、言わば穴場スポットだ。
「では、早速今日もいいかな?」
「――!」
澄ました様子で、グイと距離を詰めてくるクリストフ様。
吸い込まれるような翡翠色の瞳が、真っ直ぐに私の目を見つめてくる。
私の心臓がドクドクと早鐘を打ち始めた。
何度見ても慣れないわ……。
「は、はい……、いつでもどうぞ……」
「うん、では、失礼して」
「――!」
中性的なお顔と反して、ゴツッとした雄々しいクリストフ様の手が、私の両肩に置かれる。
そして徐々にそのお美しいお顔が近付いてきて……。
思わず目をつぶった次の瞬間――。
「……んっ」
「……んふっ」
私の唇に柔らかいものが触れる――。
1……2……3……4……5……。
嗚呼――頭がボーッとする――。
「……」
「……」
6……7……8……9……10……!
「……はっ」
「……ふぅ」
――永遠とも感じられる10秒が過ぎ、クリストフ様はそっと唇を離す。
私の勘違いかもしれないけれど、クリストフ様の瞳には、餓えた狼みたいなギラついたものが宿っているようにも見える。
「……ありがとう、リーゼ。これで今日も僕は、一日寿命が延びたよ」
「そ、そうですか、それは何よりです」
「では、また明日ここでね」
「は、はい、また明日……」
クルリと私に背を向け、スタスタと立ち去っていくクリストフ様。
その背中を、私は形容し難い複雑な感情で眺めていた。
――私とクリストフ様がこんな不思議な関係になったのは、今から一ヶ月ほど前。
「クリストフ様、本日のお召し物も素敵ですわ!」
「ハハ、ありがとう」
「クリストフ様、今度我が家でパーティーを催しますの。是非お越しくださいませ」
「ちょっと! 隙あらば抜け駆けしようとするんじゃないわよッ!」
「ハハハ……」
今日も今日とて見慣れた光景が繰り広げられている、貴族学園の放課後。
自分には関係ない世界だと割り切って、一人帰ろうとした私だけど――。
「リーゼ、少しだけ今いいかな?」
「……え?」
人気のない廊下を歩いていると、誰かから不意に声を掛けられた。
はてと振り返ると、そこにいらっしゃったのは、あろうことかクリストフ様その人――。
ク、クリストフ様が私なんかにいったい何の御用が――!?
――実はクリストフ様のお父様と私のお父様が仕事上懇意にしている関係で、幼い頃、よくクリストフ様のお父様は、クリストフ様を連れて私の家を訪れていた。
そのたび歳の近い私がクリストフ様のお相手をさせていただいていたので、当時はお互いが唯一と言える友人だったのだ。
でも、成長するに連れ、次第に身分の差を知った私たちは、自然と疎遠になっていった……。
今では貴族学園の中ですれ違っても、お互い無言で通り過ぎるような間柄だというのに。
「は、はい、私は大丈夫ですけど……」
「……折り入って大事な話があるんだ。僕についてきてもらえないかな?」
「へ?」
大事な、話……?
「――実は僕は、『ニャッポリート症候群』という病気なんだ」
「っ!?」
そして私がクリストフ様に連れてこられたのは、学園の裏庭の隅にある小さな東屋。
ニャッポリート症候群!?
「聞いたこともない病名だよね」
「は、はい……」
「無理もないよ。世界でもまだ数例しか発見されていない奇病だからね」
「――!」
そんな珍しい病気に、クリストフ様が――!?
「……どのようなご病気なのでしょうか、そのニャッポリート症候群というのは?」
「原因は未だ不明なんだけどね、ある日突然、耐えられないくらい胸が苦しくなるんだ」
「――!」
「身体中が熱くなって、もう何も考えられなくなる――。正直、何度も死にかけたよ」
「そ、そんな!?」
それほど重い病気だなんて!?
「幸い治療薬は開発されてて、この薬を一日一回飲めば、症状は抑えられるんだけどね」
クリストフ様は懐から白い液体が入った小瓶を取り出し、ちゃぷちゃぷと振って見せた。
あ、そうなんですか。
それは不幸中の幸いですね。
「……でもね、これにも問題があって」
「え?」
問題?
「この薬はニャッポリート草という特殊な植物が原材料になってるんだけど、昨今の干ばつの影響で、ニャッポリート草は絶滅寸前なんだ」
「っ!!?」
何てこと――!!
干ばつによる被害が、こんなところにも――!!
「このままじゃ僕は、長くは生きられないかもしれない」
「クリストフ様……!」
憂いを帯びた顔で項垂れるクリストフ様。
……くっ、あんまりじゃないですか神様!
こんな国の宝とも言えるクリストフ様の命を、若くして奪おうだなんて――!
「どうにかならないんでしょうかクリストフ様!? その薬の代わりになるようなものはないのですか!?」
「――あるよ」
「え?」
あ、あるんですか……?
だとしたら、早く言ってほしかったのですが……。
「――それはね、リーゼ、君の魔力さ」
「………………は?」
今、何と?
私の聞き間違いでなければ、私の魔力と仰ったように聞こえたんですが?
「これは最近やっと判明したことなんだけど、ニャッポリート症候群は、魔力の相性のいい人間から魔力を提供してもらえれば、症状を抑えられることがわかったんだ。――そして僕の魔力と一番相性のいい人物が、リーゼ、君だったんだよ」
「――!!」
魔力の、相性……!?
確かに我が国の人間は、大なり小なりみんな体内に魔力を宿している。
でも、その魔力に相性があるなんて話は聞いたことがない。
まして最上級の貴族であるクリストフ様と、最下級の貴族である私の魔力の相性がいいなんて、にわかには信じられない……。
「フフ、君が疑問に思うのも無理はないよねリーゼ」
「っ! クリストフ様」
余程私の考えが顔に出ていたのか、クリストフ様ははにかみながら首肯した。
「でもこれは事実だ。これでも魔法学には少々自信があってね。その僕が言っているんだ、信じてはもらえないだろうか?」
「――!」
クリストフ様は凛とした瞳で、私をじっと見つめてきた。
はわわわわわわわ。
「い、いえ、クリストフ様のお言葉を疑っているわけではないのです! ただ少し、ビックリしてしまって……」
「うん、不躾にこんな話をしてしまって、僕も申し訳ないと思っているよ」
クリストフ様は私に深く頭を下げた。
「ク、クリストフ様! どうかお顔を上げてください! ……承知いたしました。私なんかの魔力でよろしければ、いくらでもご提供いたしますわ」
「ほ、本当かい!」
頭を上げたクリストフ様は、太陽みたいにぱあっと顔をほころばせた。
アッッッッ(萌死)。
「――ありがとうリーゼ。君は命の恩人だよ」
「――!!」
私の手をぎゅっと握ってくるクリストフ様。
ふおおおおおおお!!
そ、それ以上は私の心臓がもたないので、どうかご勘弁をををを!!!
「では、早速いくよ」
「……え?」
そう言うなり、私の両肩に手を置いてくるクリストフ様。
んんんんんん???
「え、えーと、クリストフ様、いったい何をなさるおつもりなのでしょうか……?」
「ああ、説明が足らなくて申し訳なかったね。これも最近判明したばかりのことなんだが、魔力を提供するには経口投与――つまりキスが一番効率がいいということがわかったんだ」
「えっ!?!?」
キキキキキキ、キスですか!?!?
今から私、あのクリストフ様に、キキキキキキ、キスされちゃうんですか!?!?
「こんなこと、これから婚約者を選定する立場にある君に頼むのは、甚だ問題のある行為だということは百も承知だよ」
「あ、いや、あの」
私の婚約者云々は、別にいいんですけど……。
どうせ爵位はお兄様が継ぐことになってますし、両親からは好きな相手と結婚していいと言われてますから。
「もしも万が一このことが公になってしまった暁には、然るべき責任は取らせてもらう所存だ」
「は、はあ」
責任、ですか……。
それは具体的にどういう……?
ま、まあ、それは今はいいか。
何より肝要なのは、私がクリストフ様とキスをすれば、クリストフ様の命が救えるということ。
「……承知いたしました。どうぞ、好きなだけキスをしてくださいませ」
「――!! あ、ありがとう、リーゼ! ――では、十分に魔力を提供してもらうためにも、10秒ほどキスさせてもらうね」
「10秒!?!?」
好きなだけとは申しましたが、まさか10秒の大台に乗ってくるとは予想外でしたッ!!
「……ダメかな?」
「――!!」
子犬のような潤んだ瞳で私を見つめてくるクリストフ様――。
アッッッッッ(萌死再び)。
「い、いえいえいえいえ! 全然オッケーです! 10秒、どんとこいです!」
もうどうにでもなーれ。
「フフ、では遠慮なく――」
「――!!」
天使のようであり――あるいは悪魔のようにも見える蠱惑的なお顔が、私に近付いてくる――。
思わず目をつぶった次の瞬間――。
「……んっ」
「……んふっ」
私の唇に柔らかいものが触れる――。
1……2……3……4……5……。
あ、嗚呼――私今、クリストフ様にキスされちゃってる――。
「……」
「……」
一度も経験したことのないような多幸感が、全身を包んでいく――。
6……7……8……9……10……!
「……はっ」
「……ふぅ」
――永遠とも感じられる10秒が過ぎ、クリストフ様はそっと唇を離した。
クリストフ様の顔には、何故か達成感のようなものが浮かんでいるような気がする。
「……ありがとう、リーゼ。これで僕は、一日寿命が延びたよ」
「あ、いえ、私なんかがクリストフ様のお役に立てたのでしたら、本望ですわ」
心臓がドクドクと早鐘を打っていて、自分のものじゃないみたい……。
足もガクガクしてるし、クリストフ様のキスの破壊力は禁術魔法並みだわ――。
「フフ、では、また明日ここで、この時間に会おうね」
「……え?」
クリストフ様……?
「だってそうだろ? 僕は毎日リーゼとキスしないと死んでしまうんだよ? だからこれからも、ずっとキスさせておくれ」
「――!!」
そんな――!?
ままままま、毎日クリストフ様とキス――!?!?
そんな生活、私の心臓は果たしてもつかしら!?
で、でも、今更後には引けないし……。
「――承知いたしました。また明日、この時間に」
「フフフ、ありがとう」
天使――あるいは悪魔のような笑みを浮かべながら、私に背を向けるクリストフ様。
――その時だった。
「……もう逃がさないよ」
「……へ?」
クリストフ様?
「今、何か仰いましたか?」
「いいや、何でもないよ。――ではまたね」
「は、はい、また」
一度も振り返らず、颯爽と私の前から去っていくクリストフ様。
その背を見つめながら、何故か私は透明な檻に閉じ込められたかのような錯覚に陥った。