第七話 ヴィティ、餌付けする
結局、素晴らしきかなキッチンの片隅でワインボトルを見つけたのは、夕方のことだった。
一緒に見つけたワイングラスを洗うため、バケツに張った水へ手を突っ込めば、指をちぎらんとする冷たさが容赦なく襲う。目の前にそびえたつ霊峰、あるいはその霊峰が属する、国の北側を城壁然と囲う山脈から流れてきている雪解け水だろうが、まだ解けるには早いそれは、凍らないでいる方が不思議なくらいだ。
凍傷になりそうなほどの水にも耐え、グラスを洗い、ワインを注いでも褒められることはない。むしろ、遅いだの、まずいだのと文句を言われるのだろう。村の暮らしに比べれば驚くほど良い環境なのに、それを補って余りある主の悪質さに気が滅入る。
「とにかく、火を起こさなくちゃ」
嘆いている暇はない。飲み物を出せば、当然次に来るのは「腹がへった」の一言だろう。神なのだから、霞でも食べておけと言いたいところだが、わざわざ人の姿になってやっていると豪語していたところを鑑みれば、おそらく食事は必要なのだと思う。
キッチン同様荒れた庭に落ちている枝を集める。なるべく乾燥しているものを選びつつ、火種となりそうな葉や木の実も拾う。持てるだけの物を持って、私はそそくさと屋敷の中へと戻った。
幸いにも、火打石はかまどのそばに置かれていたし、麻はそのあたりの袋から拝借できる。私は、かまどに溜まった灰や煤をいったん外へとかき出して、後の自分が何とかしてくれる、と火を起こした。
掃除の際に見つけたハチミツの瓶を取り出して、小指で掬い取る。少し舐めれば爽やかな甘み。腐ってはいないようだ。
水と共にハチミツを鍋へ注ぎ、鍋を火にかける。やがて雪解け水はとろりとした琥珀色のハチミツ湯へと変化した。
ハチミツ湯の完成を待っている間に、私はワインを用意する。コルクを抜けば、瞬間、その香りに、竜の血を飲んだ記憶がよみがえった。
やっぱり、あれはただのワインだったのかもしれない。このワインは、村で作ったワインだろうか。
私は、グラスに現れる美しい黄金を見つめる。ずっとそれを見ていたら、なんだかおなかがすいてきた。
「料理の前に、何かつまめるものでも作ろうかしら」
決して私のせいではないが、竜神様を待たせているのも事実。ワインだけというのも寂しい。
ハチミツ同様に、宝の山からチーズと玉ねぎ、そら豆の束を引き抜いて、ハーブを探す。はらぺこ大魔神の手から逃れられたものがいくつか見つかった。
完成したハチミツ湯を半分ほど、鍋から大きめのカップに移し替え、代わりに少量のワインを加える。そこへ、そら豆を放り込んだ。
玉ねぎを細かく刻んで、ハーブと一緒に小鍋へ。かまどの中心から少し離れたところの弱い火を使って、優しく玉ねぎを炒めていく。ここにもワインを加えれば、ぶわりと一瞬炎が立ち上がり、私の心にも火が付いた。
食の好みなど知らないが、あの暴君を、自らの料理でぎゃふんと言わせるのも悪くない。
玉ねぎがあめ色になったところで、小鍋をかまどからおろす。続いて、鍋で煮込まれて柔らかくなったそら豆を取り出し、細かくすりつぶす作業だ。いくつかは食感を残すためにも、そのままに。ふわりと湯気を立てるペースト状のそら豆をまとめたところで、私は味見だから、と口に一欠け放り込んだ。
「うん、おいしい!」
ほくほくとした甘みが、じんわりと胃を温める。これだけで十分じゃないか? そんな考えが頭をよぎるものの、さすがに可哀想だとなけなしの慈愛をひっぱりだす。竜神様と私がそら豆をかじる様子を想像したら、あまりにも切なかった。
気を取り直して、チーズを細かくナイフの腹で潰し、そら豆と和えて、玉ねぎの上へドサリとのせる。後はこれを再び弱火でじっくり溶かして……。
『何をしている』
「きゃぁっ⁉」
突然現れるのやめてもらっていいですか、と私がジト目で訴えかければ、竜神様は自覚がなかったのか、きょとんと首をかしげた。綺麗な顔を無自覚に乱用するのは心臓に悪いので、それもできればやめてほしい。
「……料理ですけど」
『ワインは』
声にトゲがあるものの、私の手元への興味が隠しきれていない。
「ありましたよ。でも、どうせすぐに腹が減っただのなんだのとおっしゃるでしょう」
じゅわじゅわと音を立てるチーズが、そら豆と玉ねぎに混ぜ込まれていく様子を見て、彼の溜飲も下がったようだ。私は、とろけたチーズでつながれたそら豆と玉ねぎを円盤状に成形していく。
好奇心に耐え切れなくなったか、竜神様は私の肩口に顔を乗せ、その様子をしげしげと眺め始めた。相変わらず、竜神様からはひやりとした温度が伝う。
「邪魔なんですけど……」
『うるさい』
「ひっくり返しますよ」
大げさに腕を振るうと、ガチン、と歯がぶつかる音が聞こえて、私は思わず笑みをかみ殺した。してやったりだ。だが、竜神様はそれ以上に、宙を舞って、再び小鍋へと吸い込まれたそれに魅入られたようである。文句の一つくらいは覚悟したが、それすらもなく
『なんだ今のは』
とあからさまに驚いた様子だった。
「もう一度やりましょうか?」
そもそも、均等な焼き色にするための作業なので、頼まれなくてもやるのだが。
『どうしてもと言うなら見ておいてやる』
偉そうな物言いの裏側に、期待と興奮がのぞいていた。
私がポーンと数度、チーズによって固まったそら豆と玉ねぎの塊を空へと放りあげれば、竜神様はそれを素早く目で追いかける。投げた物を追いかける姿は、もはや犬だ。
柔らかに小鍋へと着地するそれが、若葉と満月の色に染まったところで、私は小鍋をかまどから避けた。
「家庭料理ですので、竜神様のお口に合うか分かりませんが」
ふるりと滑らかに皿へ移動するそれを見せつけつつ、私が皮肉めいた一言を付け加えれば、竜神様はごくりと喉を鳴らす。
『……食べてやらんでもない』
「お気に召さないようでしたら、私が食べますので結構ですよ」
『べ、別に食べないとは言ってないだろう!』
「そうですか? では」
いつかは磨きたいと思っているカトラリーを差し出せば、竜神様はそれを奪い取った。キッチンで食事をするのもなんだが、村長の家は、キッチンとリビングに区別はなかったし、私にとっては大差ない。竜神様も、神という性質上、人間の風習を気にすることがないのか、そのままキッチンに置かれた小さな椅子に腰かける。どうやら、ここで食べるつもりらしい。
「ワインもどうぞ」
開けてから時間が経ってしまったが、元々、その辺に転がっていたものだ。さして差もないだろう。私は、まだお酒を飲めないので、ワインの代わりにハチミツ湯をカップに注ぐ。
主と世話係が乾杯などするものではないだろうけれど、ここにはそれを咎める人もいない。初めての食事くらい、一緒に楽しんでやってもいい。竜神様の口調を真似て、心の中で呟けば、彼は神妙な顔つきで、ワイングラスをそっと持ち上げた。何か言うのかと思ったら、無言のまま私を見つめて、グイとワインを煽る。そのまま、そら豆と玉ねぎのチーズ焼きにフォークを突き刺して、彼は早々に美しい口へと運んだ。切り分けることすらせず、大口を開ける姿は、とても竜神様とは思えない。
『熱っ⁉』
そんな当たり前の感想を叫ぶ姿も、神様からは程遠い。
だが、ただ黙々と、でもどこか嬉しそうに料理を口へ運ぶ麗しい竜神様の姿に、私はなんとなく胸があったかくなるのだった。
無事にキッチンの掃除を終えて、ワインと料理を竜神様へ提供できたヴィティ。
竜神様の餌付けは無事に成功したようです!
ほんのちょっぴり距離が近づいた二人ですが、次回はますますその距離が縮まる予感……?
次回「ヴィティ、提案する」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




