第四話 ヴィティ、やっぱり罠にかかる
私は促されるまま、床へ膝をついた。ひやりとした床の冷たさが、ドレス越しにもしんしんと伝わる。カーペットすら敷かれていない。自由の利かない腕を必死に動かして床を触れば、サラリとした感触。磨かれた石の上に座らされているようだ。
見えないなりに、後ろに嫌な気配を感じて振り返れば、
『少しはマシなやつを連れてきたんだろうな?』
透き通る氷のような冷たい声が耳に滑り込んだ。
まるで脳に直接語りかけられているような感覚。全てを支配された気がして、私は威勢と共に唾を飲みこむ。状況だけは全く飲み込めなかった。
「……誰?」
『このワタシを知らぬ訳がなかろう』
「っ⁉」
耳元で甘い男の声が聞こえる。吹雪のように凍てつく冷風が頬を撫で、竜騎士様とは明らかに違う気配が――いや、人間離れした何かが、自らのすぐそばに感じられた。私の体は本能的に粟立ち、思わず姿勢が崩れる。
『この程度で怯えていては務まらんぞ』
嫌みな言い方にカチンとはきたものの、それ以上に、得も言われぬ恐怖が体を支配する。
だが、ここで負けては世話係を引き受けた意味がなくなる。村に援助をもらわねばならない。竜神様がなんだ。気合いだ、ヴィティ。
「気が早いですよ。適合するかもまだわかりません」
咎めるような、少しだけトゲを含んだ物言いが、私の気持ちを代弁した。が、気になることがある。私の気持ちには含まれていない、重要な情報が。
「適合?」
「言い忘れておりました」
「言い忘れが多くありませんか」
『必要ない』
「必要です!」
私が声を荒げれば、穏やかな男の笑い声と、舌打ちの音が聞こえた。おそらく舌打ちをしたのは、横暴な物言いしかできない冷たい誰かさんだ。世話係のくせに生意気だと思っているのだろう。身分を持ち出されようとも、そもそも身分不相応なのは知っているし、痛くもかゆくもない。ふんだ。私はべぇっと舌を出す。先ほどの仕返しだ。
『貴様!』
「ま、まぁまぁ」
氷点下の空気が体に押し寄せるが、私はプイと顔をそむけた。
「とにかく、ヴィティさんには竜の血を飲んでもらいます。竜の血に適合したものだけが、選ばれし純潔なる乙女……つまり、竜の世話係となるのです」
男の懇切丁寧な説明は、わざとか、元来の天然か、知りたい情報だけが根こそぎ抜けている。
「だから、その適合って何なんですか?」
「本当に聞きたいですか」
想定していたよりも真剣な声色の質問返しに、私は滑らかなシルクの下で眉をひそめた。
「……当たり前です」
「では、竜の血を絶対に飲むと約束してください」
絶対に怒らないで聞いてね、と自らのミスを語る際に念押しする子供みたい。かくいう私も言ったことがある。村長は「わかった」と言ったくせに、いざ話したら、こっぴどく怒られた。
「何を聞いても、竜の血を必ず飲むと、約束してください」
「わ、分かりました」
変な圧をかけられて、私は渋々うなずく。どうせ飲まなくてはならないことに変わりはない。私の覚悟が伝わったのか、男のため息が聞こえた。
「では、はっきり言います。竜の血は人間にとって毒です。耐えられなければ死にます」
「……ちなみに、耐えられたら何が……?」
「竜の世話係になることが正式に認められるほか、様々な特典が受けられます。ちなみに、耐えられなくても村への援助は出しますよ」
「やっぱり罠じゃないですか!」
様々な特典だなんて怪しすぎる。メリットの説明が雑すぎて、竜の世話係にならねばならないという本来のデメリットすらまかなえていない。赤字も良いところだ。
「……村のため、でしょう?」
竜騎士様の静かな声。男はどうしてこうも愚鈍なのか。繊細な乙女心が分からないのはおじさんの始まりだ。
『ワタシはおじさんではない!』
「おじさんですよ! そうでなければ、醜き真の不細工です!」
『ぶ、ぶさいく……⁉ ワタシは美しいぞ! 美しい、よな……?』
「え、えぇ。本日も美しくていらっしゃいますよ」
『はん! ほれみろ、小娘!』
「私には、お姿が見えませんので。見た目ではなく心の話ですし」
『な、何⁉』
私がもう一度べぇっと舌を出せば、鼻息荒く、ふんすと音が聞こえた。
『と、とにかく! 貴様が適合すればいいだけの話だ。適合してみせろ』
「……わかりましたよ! やればいいんでしょ、やれば!」
全く理不尽な話である。もとはといえば、竜神様とやらが横暴なのがいけないのだ。私はただ、辞めた世話係の穴埋めをさせられたにすぎない。自らが決めたとはいえ。
だが、ここで尻尾を巻いて逃げることは出来ない。自らの命が犠牲になっても、村が守れるのならば、やるしかない。村長への恩返しだって、まだ一つも出来ていない。
私は姿勢を正して、ゆっくりと顔を上げた。
「では、正式に竜の世話係となるための儀式を始めましょう」
場を落ち着かせるためか、男が仕切りなおした。途端、緊張の糸がピンと張られたような静寂が押し寄せる。
しかし、それも長くは続かない。しばらくすると、雨音のような、液体の落ちる音が耳についた。
『飲め』
冷たい声は、どこか楽し気にクワンクワンと反響する。かすかな空気の振動に、雪の気配が混じっているのか、私は寒気にブルリと体を震わせた。
――竜の血に適合しなければ、その毒で死ぬ。
村の処遇を改善できるなら、竜の世話係になろう。そう私は決意した。正直に言えば、悪評とは言え、名高い職業に間違いないのだから、どこか誇らしくさえあった気もする。
まさかそれが、こんな風に、一か八かの運に身を任せたものだとは思いもしなかったが。
(もしも、もしも本当に竜神様が、この国を守る神様なのだとしたら――私だけは、神様を一生呪ってやる)
私は、再び心の中で抗議の声を上げた。だが、唇に硬質な感触があてがわれ、抗議は中断させられる。
「お飲みください」
ゴクリ、と喉が鳴る。たっぷりと息を吸いこむと、液体の――竜の血のなんとも甘美な香りが鼻を抜けた。ワインのような、甘酸っぱくて、深い独特の香り。村のブドウ畑の匂いによく似ている。
(ま、待って⁉ これ、もしかしてお酒⁉ 私、未成年ですけど!)
正確に言えば、秋には成人の年を迎えるが、それにしたって良いものなのだろうか。死ぬか生きるかの窮地に立たされて、そんな法律のことを考える人間も私くらいなものだろうとは思う。思うが、私は真剣に、駄目なものはダメだ、と頭を振った。
「どうかされました?」
「あの」
そう口を開いた瞬間、私の顎が力強くつかまれ――
「んっ!」
私の唇に、柔らかな感触が重なった。
(キス、されてる⁉)
ぬるり、と冷ややかでなまめかしい感触が私の唇を這ったかと思えば、それは閉じようとした唇を驚くほどの力で割り開き、強引に口内へと侵入した。
「ん、ふ……っ」
目の覚めるような冷たさ。氷ではない。液体そのものが口内を凍らさんとばかりに冷たい。鼻を抜けるのは爽やかな草原の香り。とろりとした流体はしびれるような甘みと少しの苦みがあって、その芳醇さが口いっぱいに広がる。
(これが、竜の血……? こんな、素敵なものが……?)
とろん、と思考が解け始めた時、ようやく唇が離れ、私はハッと我に返る。
――しまった!
そう思った次の瞬間には、酸素を求めた私の体が、ごくん、と口の中にあった液体を飲み干した。
初めてのキスのせいか、私の頭はいつもほど回転もせず、再びぼんやりとしてしまう。
(いや、もしかしたら、キスじゃなくて毒のせいかも……)
だが、対処をする術もない。あれほど冷たかった液体が、じわじわと体を蝕む熱に変わる。
気づけば私は、ぐったりと床へ倒れこんでいた。
ファーストキスを奪われた上、「竜の血」なるものを飲まされた哀れなヴィティ。
果たして彼女の体は、その毒に耐えられるのか……。
そして、「冷たい誰かさん」の正体とは?
次回「ヴィティ、対面する」
何卒よろしくお願いいたします♪♪




