第二話 ヴィティ、連行される
初めての馬車は、決して快適なものではなかった。道の凹凸に合わせて上下左右に遠慮なく揺れるし、隣には男がいて狭い。夜通し走っているせいで、普段ならぐっすりと眠っている時間にも寝付けず、ようやく眠りにつけた、と思えばまた揺れで起こされる。
隣の男は慣れているのか、馬車に乗ってすぐまぶたを閉じていて、一言もしゃべらない。サポートすると言ったのはなんだったのか。私は恨めし気に男をにらむ。長いまつげがふぁさふぁさと揺れるたび、その綺麗なまつげを一本ずつ抜いてやろうか、と思ってしまう。
しかし、見れば見るほど、男の姿がどうも自分に重なって奇妙な気持ちが沸き起こった。
シェリーと称される自らのものよりも、薄いストロベリーブロンドの髪。瞳の若葉色はまさに同じで……。
「あの……何かついてます?」
「ひぁっ⁉」
自ら覗き込んでおきながら、私は飛び上がった。幽霊を見たことはないけれど、きっと幽霊を見た人と同じ反応だっただろう。私が飛び跳ねたことで、馬車が大きくガタンと揺れて、目と鼻の先に男の顔が迫る。
「っと……大丈夫ですか」
私の背中を支えるように回された手が、優しくて暖かい。恋愛には疎く、男性には慣れていない私にも安心感を抱かせるのは、彼がどうにも自分に似ているからだろうか。
それとも――
「眠れませんか」
思考を遮る男の声に、私は素早く体勢を戻してうなずいた。
短く答えたのは、馬車の揺れで舌を噛んでしまうから。本当は嫌というほど、まくし立てたい。
なぜ、竜の世話係に自分が選ばれたのか。竜神様の噂は本当なのか。明日からどうなってしまうのか。お尻が痛い。食べ過ぎて吐きそう。おうち帰りたい。せめて面白い話の一つや二つくらいしてくれれば……。
渦巻く思いを全部飲み込んだとしても、おつりが口からこぼれそうなほどだ。
「目を閉じているだけでも違いますよ」
「子守歌でもあればいいんですけど」
意地悪のつもりで要求すれば、男はぎょっと目を丸くして、それだけは勘弁を、と呟いた。
「音痴なんです。母の遺伝で」
村長によると、私の母親も相当な音痴だったらしい。もう亡くなってずいぶんと経つ上、両親の記憶だってないのに、こんなところで不意に思い出すとは。私はどうしてだか泣きそうになり、いなくなった家族をまぶたの裏に描いた。
私が隣の男に肩をゆすられて目を覚ましたのは、数日以上の移動を要して、すっかり体力が限界に近づいていたころだった。そのころには、ぐっすりと馬車で眠れるようになっていて……危ない、よだれが垂れるところだった。
「なんですかぁ……?」
「つきましたよ」
「ほんと⁉」
私がガバリと体を起こすと、男は苦笑した。
「さ、おりましょう」
馬車から下りても、体が馬車の揺れを覚えているのか、地面が揺れているような気がした。生まれたての小鹿より足を震わせる私を無視して、男はスタスタと歩いていく。慌てて男を追って角を曲がり――私は目の前の光景に足を止めた。
「すごい……」
真白な壁と金の装飾が、ギラギラと朝日に反射している。広大な庭に青々とした芝生。入り口ははるか遠く、真四角に切りそろえられた塔が左に。中央の建物を挟んで、ドーム型の屋根を持つ建物が右に。銅色のドーム天井は、シックで美しかった。
目移りする、という言葉の意味が体感できるほど、どこを見て、何を褒めれば良いのか分からない。村を出たことのない私は、こんなに大きな建物があることさえ知らなかった。すごい以外の言葉も出ない。
「行きましょう」
「えっ⁉」
「どうしました?」
「いやいやいやいや! こんな場所に入ったら死んじゃいます!」
どうみても、田舎のおのぼり娘が足を踏み入れていいような場所でない。それくらいは私でも分かる。いくら竜の世話係とやらが立派な役職だとしても、だ。
大体、こういう無駄に豪奢な建物は、選ばれし者以外の侵入者に、容赦がないと決まっている。どこからともなく吹き矢が飛んできて死ぬか、獰猛な犬が飛び出してきて死ぬか。とにかく、そういう類のトラップが続々登場なドキドキハラハラが楽しめる超絶必死のお屋敷に違いないのだ。
「変な想像をしてませんか?」
「な⁉ 別に変なことなんて……」
「吹き矢が飛んでくるとか」
「フ、フ~、フュ~、ピュイー……あ、鳴った!」
「嘘が下手ですね」
口笛が下手なんです、と口答えすると、男は小さくため息をついて、むんずと私の首根っこを掴んだ。
「安心してください。話はついてますから」
一体どこに安心する要素があるのか。「こんなところで死にたくない」と赤子よろしくジタバタするも抵抗むなしく、私はそのままズルズルと連行された。
「どうぞ」
通されたのは、村にあったどの家よりも大きな一室。村長の家のものよりも、ずっと高価そうな絨毯が敷かれている。大きな鏡、たくさんのドレス。靴にまで宝石があしらわれていて目がチカチカする。
「し、失礼します……」
突然床が落ちたり、天井から刃物が飛んできたりしないだろうか。そうでなくても、泥だらけの靴で踏んでいいような絨毯ではない。私がためらっていると、あまり時間がないから、とせかされてしまった。
「支度が済んだら、竜神様とお会いすることになりますので、そのおつもりで」
では、と爽やかな笑みを浮かべた男は、私が言葉を発する前に去って行った。数瞬と待たず、男の代わりに、女たちが部屋へと入ってきたことで、私の男への恨みも霧散する。
「失礼します」
暴れる暇も与えられなかった。服を脱がされ、髪も体も洗われて、ドレスの着付けに靴の交換。何やら粉をはたいたり、口へ紅を引いたりとせわしなく、鬼気迫るその顔ぶれに声をかけることさえままならない。
もちろん、そのどれもが抵抗できるものではなく、私はされるがままだ。赤ちゃんか老人か。両方の姿になった自分を思い描き、想像するんじゃなかったと即座に顔を振った……ら、「動かないでください!」と一喝された。
私がしょんぼりしているうちに、一人、二人と仕事を終えていく。終わった者から私の周りに整列し、やがて最後の一人が揃うと、ピタリと完全に動きを止めた。
「ヴィティ様のお仕度ができました」
女の声と共に、再び扉が開かれる。私は思わず振り返った。支度が済んだら竜神様と会うことになる、と言っていた男の言葉が頭を通り過ぎる。
(怪しいものではありません。誘拐されてきたんです! むしろ助けてください、お願いします! 話し合えば分かります! 絶対に分かり合えるはずです!)
額に冷や汗、顔に愛想笑いを浮かべる。だが、扉の向こうに立っていたのは先ほどの男。悔しいかな、私はホッと胸をなでおろしてしまった。知らぬ顔より、知った顔。必死の愛想笑いや神頼みはもったいなかったが。
「……よくお似合いです」
少しの空白に、私が訝しむと
「お世辞ではありませんよ」
と付け加えられた。余計に怪しい。そもそも、見目麗しいせいか、男の全てが胡散臭い。私の表情で何を察したか、男は気まずそうに身をひるがえした。
「では、ついてきてください」
いよいよ、引き返せぬところまで来てしまったらしい。
レベル一でのラスボス対峙。
私は、着慣れないドレスの裾をぎゅっと握り、男の背を追った。
ついに、長旅を経てお屋敷へと連行されたヴィティ。
支度ができてしまった彼女は、いよいよラスボス、もとい竜のもとへとご挨拶へ向かうことになるようですが……?
次回「ヴィティ、罠にかかる?」
何卒よろしくお願いいたします♪♪