第十話 フィグ、気に入る
今回は、竜神様視点です。
「竜神様、邪魔です」
『今日はなんだ』
「カチョエペペ……チーズパスタです」
『悪くない』
まるで虫でも払うかのように、片手であしらわれ、ワタシは渋々彼女から離れた。
キッチンに放置されていた埃だらけだった椅子は、新しいカバーがかけられていて、どこか嬉しそうに見える。
仕方なくそれに腰かけると、小麦とチーズ、オイルのまざった香りが鼻についた。
ヴィティの後ろ姿を眺めていると、無意識のうちに目を細めてしまう。
華やかだが優しいシェリーカラーの髪は、生まれつきなのか、毛先にいくにつれて緩やかなウェーブを描いている。もっと食べたほうが良いのではないか、と思うほど華奢で小柄な彼女の背中から足先までを見つめ……ピンとつま先立ちになっていることに気付いた。上の戸棚に入ったハーブを取るのに必死だ。ワタシには気にもならない高さだが、彼女には手を伸ばすので精いっぱいらしい。
人間とはかくも可哀想な生き物だ、と思うものの、だからこそ、守ってやらねばならないような気がするから腹立たしい。
この地に生まれてから、一時は数えきれないほど抱えていた世話係たち――というよりも、むしろ、人間が勝手に送り付けてきた女たちは、時代と共に数を減らした。そもそも、人間の寿命は短いものだし、五十年もすれば辞めざるをえない。少しでも寿命を延ばしてやろうと竜の血を分け与えてやっても、ほとんどが適合できずに死んでしまう。断じて、ワタシのせいではない。
とはいえ、新たに雇った女たちは、何かにつけて、神様だなんだとすり寄ってきて面倒だったし、心の内で神を侮辱したり、主を殺そうとしたりする輩まで混じっていたこともある。表では笑顔を浮かべていても、裏がそれでは解雇もしたくなる。
実際、殺されそうになったことも何度かあるが、逆に殺してしまわないよう手加減するのが難しく、苦労した。
横暴をふるい続けた結果、ようやく最後の世話係が辞め、清々したと喜んだ……のも、つかの間。
孤独とは、恐ろしいものである。
人の姿でいるのも面倒になり、竜の姿に戻ったら、屋敷が狭くて暮らせない。かといって、人間の姿に戻れば、食べられるものに制限があり、服も着なければ竜騎士から咎められる。髪が痛むことも、体が臭うことも気になって、やはり満足な暮らしは送れない。
とにかく、八方ふさがりだった。人間は、一人で生きることもままならないのか、と悟った瞬間だった。
竜騎士が、世話係の代わりを務めた時期もあった。だが、彼らは本来、世話係を雇い、管理するための組織。ほとんどが貴族の出身か、そうでなければ軍人の出身者である。家事など到底できるはずもなく、むしろ家の中が大惨事となった。もちろん、即日でお引き取りいただいた。つまり、キッチンを汚してしまったのは、ワタシだけではないのだ。多分。
だから、早々に世話係をもう一度雇えと竜騎士に頼まざるを得なかった。新しい世話係の娘は、一番気に入っているワインボトルに書かれていた村の人間に決めた。これこそ、神様の気まぐれなお告げであろう。光栄なことだな。
ワインは、古くからワタシに供えられているもの。供えているということは、ワタシを信仰しているということ。信心深ければ、すぐに辞めていくこともないはず。神に仕える名誉を存分に与えてやる、そんな気持ちだった。
そしてやってきたのが、目の前にいる乙女、ヴィティである。
一目見て、人間のくせに美しい、と思った。今までに何人もの女を見てきたが、最も優れている。ピンクがかった髪色と、マスカットのような緑の目も、珍しくて興味を引いた。
何より、まっすぐな心の在り方に。
頭が良く、口が回る。肝が据わっていて、嘘もつかない。神を呪うというジョークはなかなか良かった。従順なふりをして、裏では殺意をたぎらせているような女ばかりを見てきたせいか、ここまでまっすぐな存在は新鮮の一言に尽きる。しかも彼女は、口では悪態をつく癖に、態度は素直で、むしろ信頼できた。田舎娘も悪くない。
もちろん、褒めてやる義理もなければ、失礼な人間であることに違いはないので、喧嘩もするが……孤独を知ってから、ワタシも、人というものを大目にみてやれるようになったつもりだ。
仕事に関しては真面目にこなすし、気もそこそこ利く。あえて口に出す必要などなくとも、ヴィティは敏い。ワタシが彼女を気に入っていることは気づいているはずだ。だいたい、こういうものは言わなくても伝わる、と人間の本にも書かれていた。相手のことを慕っているのであれば、人間は自然と微妙な心の機敏を察知する生き物なのだ、と。
名前をつけてもらったのも初めてのこと。なぜか、あれ以来、呼ばれることはないが。
それにしても、時折、無性に彼女を抱きしめて、食べてしまいたいと思う瞬間があるのはなぜか。弱きものを支配したいというただの欲求か。
(……彼女が柔らかな、明るい声で自らの名を呼ぶ瞬間が来たら、耐えられるだろうか)
「竜神様」
『……なんだ』
「今日も、こちらでお食べになられますか?」
『文句か』
「いえ。ここで食べられるなら、ご一緒させていただこうかと」
ヴィティは、ワタシの返事も待たずに隣へ腰かける。
今までの世話係ならありえなかったことだ。主従関係というものを理解しているのか、主と同じテーブルにつくことをひどく嫌がった。ワタシ自身は気にしてもいないのだが。どちらかといえば、過去の世話係たちの本音は、横暴な主人から少しでも離れていたい……もしくは、竜神という存在が恐ろしくてたまらない、といったところだろうか。
心の声が聞こえていることは、ヴィティを除いて、今までのどの世話係にも最後まで告げなかったが、ワタシとていい気はしない。気にしないでおこうと思っても聞こえてくるのだから、たまらなく不快だ。
「……竜神様?」
呼ばれて、ワタシは視線をヴィティの方へと向ける。
『なんだ』
「いえ、お気に召しませんでしたか?」
目の前に並べられたパスタとシチュー、ヴィティの村で生産されているお気に入りのワイン。それらから立ち上る、食欲をそそる香り。気に入らない要素はどこにもない。
『別に』
まさか、昔のことに思いを馳せて、ヴィティはその点なんと良い世話係だろう、と思っていたとは口が裂けても言えない。取り繕うように、美しく磨かれたフォークを手にして、パスタをくるくると巻き付ける。最初はこれにも苦戦していたが、手慣れたものだ。
ヴィティの料理は育ちゆえか、比較的シンプルで飾り気がない。だが、その味は悪くない。
思えば、竜神様だから何を食べても平気だろう、どんな料理を出してもけなされるのだから適当でいいだろう、と手を抜いて調理されていたくらいだ。その点、ヴィティは、決して手は抜かない。必ず、丁寧に、最もおいしいと思える料理を作り上げた。その心の内は、今日こそあの憎たらしい神をぎゃふんと言わせてやる、というなんとも子供じみた負けず嫌いなものだが。
「夜はキッシュを作りますから、食べすぎないようにしてくださいね」
釘をさすように隣からじとりと視線を送られ、ワタシはさっと顔をそむけた。何のことだか分からない。ごまかすように口笛を吹くと、ヴィティがふっと笑った気配がする。
――どんな、顔をしているのだろうか。
ヴィティはあまり笑わない。だから、どうしても彼女の笑みを目に焼き付けておきたくなるのだ。ワタシがそっと彼女の様子を伺うと、パスタをゆっくりと口へ運び、春の陽だまりみたいに柔らかく目を細めるヴィティの姿があった。
「なんですか、竜神様?」
目ざとく視線に気づいた彼女に、ワタシはつい、ふん、と鼻を鳴らす。
いつかその顔で、名前を呼ばれたい。どうしてか、そんなことを考えてしまった自分の気持ちを、必死にごまかすために。
竜神様は、ヴィティをずいぶんと気に入っているご様子。
ただ、その思いがヴィティにうまく伝わっていないことには気づいていないようです。
そうこうしている間に、ヴィティの交友関係も当然広がっていくわけで……?
次回「ヴィティ、驚く」
次回は、当然、竜神様の気持ちなど知らないヴィティ視点に戻ります。
何卒よろしくお願いいたします♪♪
※作中に登場したカチョエペペ(チーズパスタ)は実在するお料理です。
シンプルなパスタなので、良ければ皆さまヴィティと一緒に作ってみてくださいね*




