第一話 ヴィティ、旅立つ
「竜の世話係を探しています」
おそらく、自分に話しかけられている。
私はそう直感したが、無視を決め込んだ。挨拶も無しに、地獄への道をご案内するような人を相手にしている時間はない。
剪定バサミを大きく動かして、シャキシャキと騒音を立てる。『私は忙しいですよアピール』だ。休日の夫に対し、奥様方が見せつける伝家の宝刀である。パチン……パチン……パチ……。
「竜の世話係を探しています!」
美しいテノールは、張り上げても美しいらしい。だが、さすがに慣れていなかったのか、咳払いが二度続いた。
「ブドウを剪定している、そこの女性!」
私の腕に、土も触ったことがないであろう男の手が迫る、が――パタリ。剪定していたブドウの枝先から一粒の水滴がこぼれたことで、私の視界から男が消えた。
「ブドウの涙! キターーーーッ‼」
私は、力いっぱいブンと腕を振り上げる。もちろん、喜び半分、男への拒絶半分だ。たった一滴……この一滴のために、私はブドウの世話係をしてきたのだから、拒絶が半分も混じっているなんて不本意だけど。
「うぉっ⁉」
「ヴィティ!」
男の本能的な叫びと、咎めるような村長の怒鳴り声がシンクロする。瞬間、怒れる村長の面倒くささを思い出した私は、ブドウの涙にも十分喜ぶ暇なく顔をしかめた。
「……なんのご用でしょ、ゔっ⁉」
盛大なため息で飾りつけ、渋々振り返ったその先に、田舎にはおよそ似合わない完璧なまでの造形美。しかも、珍しい髪色も、瞳の色も、自分のものにどこか似ている。あまりの情報量に頭がフリーズし、私は立ち眩みを覚えた。男から後光が見える、気がする。
「大丈夫ですか?」
先ほど自らを殺さんとする勢いで剪定バサミをふるわれたにもかかわらず、男は柔らかな物腰で私を支える。男性らしいゴツゴツとした大きな手。初めての感触に、私は失神しかけた。
遅れて私たちのもとに駆け付けた村長が、ヘコヘコと男に頭を下げる様子を夢うつつに見ながら思う。
(あぁ……お父さん、お母さん……どうやら私の人生はここまでのようです)
竜の世話係。
それは、この国を守っているらしい竜神様の付き人。選ばれし純潔なる乙女のみが就くことの出来る、まさに名誉ある仕事。神を信仰する者はもちろん、女性なら誰しもが憧れる職業である。多分。
「とある事情により、先日、竜の世話係が辞めまして。早急に後任を探しているのです」
男は、この通り、と深く頭を下げた。
「りゅ、竜騎士様! 頭をお上げください! この村から竜の世話係が選ばれるなんて、我々も光栄です!」
慌てふためく村長の言葉と同時に、男の生ぬるい視線が私に突き刺さる。それは、困った風を装いつつも、どこか圧のある視線だった。
「ワタシ、コトバ、ワカリマセン」
最大限の片言で返すと、村長に肘でわき腹を小突かれる。セクハラだ。
「ヴィティ! やめんか、みっともない!」
別に変なことは言っていない。この国の公用語は四つ。男の話している言語は主に王都や北の方で使われているもので、私たちが普段使っている言葉とは少し違う。そんな詭弁を頭の中で並べ立てれば、村長にじとりとねめつけられた。
「すみません。普段は、気立ての良い娘なのですが……少々、肝が据わっておると言いますか……。竜騎士様が素敵なお方で緊張しているのでしょう」
「肝の据わった女性なんて、素晴らしいではありませんか」
「私は竜の世話係なんて知りません。何それ、おいしいんですか?」
「これ! ヴィティ‼」
「いえ、お気になさらず。お仕事については、我々、竜騎士が責任をもってサポートいたします。それに、竜の世話係になられた暁には、この村も、ヴィティさんも、援助させていただきます」
援助。その言葉に、隣に座っていた村長の表情がわずかに明るくなった。
私だって、バカではない。さっきはああ言ったが、それこそ竜の世話係がどんなものかはもちろん、村の状況についても、理解はしているつもりだ。
完全に手回し済み。私は包囲網の中だったのである。
この辺りの村は貧しい。私の両親はお金が無くて薬を買えず、亡くなったらしい。私を引き取って育ててくれた村長も、決して裕福とは言えない暮らしぶりを徹底していた。
この村の収入源は、竜神様に供物として納めているワイン。だが、ブドウを育てるには手間がかかる上、ワインにならなければ収入はない。村人たちが家族同然に支えあっても、一日一日を生きるのに精いっぱい。病や飢えで亡くなっていく人々は絶えない。少しでも美味しいブドウを育て、良いワインに仕上げること。それしか、私にできることはなかった。
それが、竜の世話係にさえなれば、この村はそういった貧しさから解放される。つまり、断る選択肢など、はじめからないのだ。
「突然のことで、ヴィティさんが驚くのも無理はありません。ですが、仕事に見合った対価はご用意させていただきますし、悪い話ではないはずです」
今までそれで何人の女性を落としてきたのか。そんな微笑みを投げかけられ、私は心の中に悪態をしまい込む。
(仕事に見合った対価、ねぇ……)
竜神様は、横暴な人でなしらしい。世話係を何人雇ってもすぐに辞めてしまうときく。乙女たちの間では、もはや常識となった噂だそうだ。この村から一歩も出ずに育った私にまで聞こえてくるのだから、よっぽどやばいのだろう。
だが、両親の代わりに自らを育ててくれた村長の期待を易々と無下にできるほど、肝を据わらせているつもりもない。
村長は噂を知らない。すべて、善意で言ってくれていることも分かっている。私さえ耐えれば、済む話だった。
「分かりました……お引き受けします」
善は急げ。私は、その日の夜に出立することとなった。
村長以外に家族もおらず、少ない私物は後ほど荷馬車で運ばれる。引っ越しの準備すら必要がない。
それでもやはり、育った村を離れることに抵抗がないわけではなかった。何度かこのまま隠れてやり過ごしてやろうか、と思ったりもしたが、そのたびに、村人たちに見つかった。何も知らない村人に「ヴィティは村を救う女神だ」と称えられては、逃走する気力もそがれてしまう。
それに、実在するかも怪しい存在の世話係なんて、実際は大した仕事ではないかもしれない。うん、きっとそう。逃げ出しては負けたような気がして悔しいし。
「こうなったら、死ぬまで竜神様からお金を搾り取ってやらなきゃ」
神様だかなんだか知らないが、こちとら村がかかっとるんじゃい! と村長の口調をまねれば、少し不安も和らいだ。
両親の墓に手を合わせたころには、すっかり夕暮れが迫っていた。
村一面を覆う黄金色の雲と、薄明に照らされる新緑。かすかなブドウの香り。私がもう一度、この光景を見ることは出来るのだろうか。
(――大丈夫。私なら、出来るわ。頑張れ、ヴィティ!)
私は心の中で何度もそう呟いて、不安を精一杯に隠す。
別れの時が近づいていた。
村長の家へと戻り、最後の晩餐を囲む。いつもより少しだけ豪勢な料理を、私はこれでもかと平らげた。
村長が号泣しながらご飯を食べていたのは、素直に嬉しかった。捨てられるわけでも、神に売られたわけでもない。村長はただ何も知らず、良い就職先から声がかかったことを喜んでくれたのだ。
(でも……)
あっけないものだ。
馬車は容赦なく走り出す。薄暗く闇に染まる村で、村人たちが持つ松明が揺れる。彼らに私の姿が見えていたかは分からないが、私はその明かりが見えなくなるまで、手を振り続けた。
数あるお話の中から、お手に取ってくださった皆様、本当にありがとうございます!
イケメンな竜騎士様にほぼ強制的に連行された田舎娘ヴィティ。
彼女の「竜の世話係」としてのお話が、いよいよ始まります。
ですが、彼女の前には、一筋縄ではいかない様々な試練も待ち受けているようです……。
次回「ヴィティ、連行される」
早速物騒なタイトルですが! ぜひぜひ、これからヴィティを応援していただけますと嬉しいです*
何卒よろしくお願いいたします♪♪