第19話 小さい頃の彼女
「紅音……」
目の前で腕を組む妹の顔を見て、ぼんやりと呟く。可愛いけれど、苦手な妹。
久しぶりに顔を見れたのは嬉しいけれど、やっぱり苦しい自分もいる。
隣を見れば当たり前だけど一颯くんは混乱していて、とりあえず紅音を家へと招き入れた。
昔の自分が思い出されて、気づかれないようにため息をつく。
☆
小さい頃から、パパのことは大好きだった。
家にいる、お手伝いさんのことも大好きだった。
私の家はそこそこ大きな会社で、だからこそ、私が家を継がなきゃいけなくて。
ごく小さい頃から塾に入れられて、勉強を頑張っていた。それこそ、幼稚園に入る前から。
幼稚園に入ってからは、髪と目のことで散々からかわれた。からかわれた、というよりもいじめられた、の方が正しいかもしれない。子供の方が、人と違うことに敏感で、純粋な悪意をぶつけてくる。
ママは私の髪を黒く染めた。
目はどうしようもないから、なにもしなかったけど。髪を染めたのは、幼稚園に入ってから半年くらい経ったときだったかな? 近所の幼稚園、保育園は満員だったから、受け入れてはもらえなくて。そうするしかなかった。
当たり前かもしれないけど、髪を染めたくらいではやっぱり友達はできなくて、休み時間はずっと1人で絵本を読んでいた。
一颯くんが引っ越してきたのはそんなときで。
一颯くんは明るいし性格が良いからみんなとすぐに仲良くなったけど、いつも1人でいる私を見かねて、ずっと一緒に遊んでくれた。
2人きりで、ずっと、砂場で遊んでいた。幼稚園を卒園するまで、ずっと。
一颯くんが、家以外の初めての居場所だった。
同時に、初恋でもあった。
小学校はお受験したから、離れてしまって。
その1年前ににママが事故で死んでいたから、学校生活は最悪だった。
家では暗いムード。幼いながら大変なことが起きたのは分かっていたし、ぼんやりとママには会えないことも分かっていたから辛くて。
逃げるように、勉強した。私には、それしかなかったから。
ただ勉強しても、ずっと1番にはなれなかった。模試とかで50番に入ることはできても、10番に入ることは決してない。それが私の立ち位置で、目指さなきゃいけないところは1番だったけど、パパは褒めてくれて。
私が小学2年生になったとき、パパが再婚した。
新しいお母さんは、ママみたいな外人さんじゃなくて、純日本人だった。真っ黒い目で、真っ黒い髪の。紅音もしっかり遺伝を受け継いでいるから、黒髪黒目だ。
お母さんは私にあまり優しくなくて、まるでドラマみたいだと思ったけれど。
程なくして、妹ができた。
それが紅音だ。
紅音は昔から頭が良くて、1番が取れるような子だった。私の何倍も早く文字を覚えて、書けるようになった。何倍も、言葉を喋るのが早かった。
私と紅音の差は、火を見るより明らかだった。
お手伝いさんたちは、紅音の方が優れているとみんな噂する。わざと私に聞こえるように。パパだけは相変わらず私にも優しくしてくれたけれど。
けれど聞いてしまった。
夕方、ママとの会話。明らかに紅音を優先するような口調で話していて。
今までパパに褒められるためだけに頑張っていたけれど、もう無理だと思った。
中学受験、全部白紙で出して、全部落ちた。
一颯くんに会いたいと思った。もう私のことは忘れてしまっているかもしれない。もう性格も変わってしまっているかもしれない。もしかしたら、引っ越してしまっているかもしれない。
だけど、会いたいと思った。
初恋の人だから思いを振り切りたい、そんな隠された理由もあって。
当然、受験に落ちたことで家の雰囲気はかなり悪くなった。お手伝いさんや親戚には陰口も言われた。お金を無駄にしてしまったことは、申し訳ないと思ってる。もっと方法もあったかもしれない。
だけど私は気にならなかった。
一颯くんもいたし、学校生活は楽しくて仕方なくて。
ただ家にいるのは辛かったから、高校からは一人暮らししたいと頼み込んだ。
お金もかかってしまうし、パパはかなり渋っていたけれど、あからさまに嬉しそうなお母さんの様子を見れば、それで良かったのかもしれない。紅音1人に手をかけられることだし。
だからこう……今までたくさん迷惑かけたことは反省しているけど、後悔はしていないのだ。
今の生活は楽しいし。楽しくて、幸せで仕方ないし。だって一颯くんがいるから。
いつ離れてしまうんだろうと思うと怖くて仕方ないけど、今は一颯くんがいる。あの頃から変わらない、優しいままの一颯くんがいる。大好きで仕方ない、一颯くんが私の生活の一部になっている。
「それでね、電車に乗ってきたの」
目の前に座る紅音が、ズズっとストローでりんごジュースを啜った。
一際高い声で我に返る。
「だってさぁ、うちとお姉ちゃん家、けっこう距離あるし、夜だから暗いしさ。小学生が夜道歩くのはダメでしょ」
「えっと……お母さんと喧嘩したんだよね?」
「そうそう。ゲーム時間と、あと学校のことで喧嘩して。まぁ、しょうもないことなんだけどね」
ませている紅音は、淡々と話す。こういうところが、賢いと言われる所以なのかもしれない。実際、学力もすごいんだろうけど。学年1番だという話を、よくパパから聞く。
「それで泊まりにきたの」
「うんうん。でさ」
紅音が一颯くんへと目を向ける。小学生らしいツインテールが揺れた。
「その男の人、誰?」




