第18話 積極的なカノジョ
あのデキゴトから一夜明け、学校も終わって、るんるんの気分で家に帰る。恥ずかしさもだんだん薄れてきたし。もうちゃんと顔を合わせることもできそうだし。
さすがに男女でシングルベッドは狭くて、だからこそあんな流れになっちゃったわけで。一颯くんの瞳には月が反射して映っていて、綺麗で。
――目が合った瞬間、たまらなく幸せで。たまらなく、愛おしくて。あどけない表情が、本当に本当に愛おしくて。気持ちより先に、体が動いた。
愛おしくて、それを表現できるのは、言葉なんかじゃなくてあの行動しかないと思って……
「今日は一颯くん早く帰ってくるし、2人きりなのかぁ」
ふふっと思わずニヤけてしまって、通りすがりの人に変な顔をされる。
それに――
「絶対にもう、離さない」
玄関の扉を開けて、呟いた。絶対に、忘れさせたくない。可愛い彼女でいたい。
けれどウザい女にはなりたくないから。
「離させない」
依存するくらいに、私でいっぱいにしたい。
いつまでも、私に居場所を作っていてほしい。優しくしていてほしい。
「……いつか本人にこれくらい言えたらな」
嫌われないように、冗談めかして。
それでも、いつか必ず。
☆
帰ってくると、天音はソファーに座っていた。俺がリビングの扉を開いた音が聞こえたのか、走ってくる。
「おかえりなさい……とそのハグ、もしてみたかったりするな、なんて……」
家に帰ったら『おかえりなさい』を言ってくれる人がいるというのは、けっこう良いものだなと最近思う。天音と同棲し始めてからなおさら。
天音はギュッと抱きつくと、少し顔を赤らめてふふっと照れたように笑った。可愛さの暴力。これは殺しにきてるな。
「ただいま」
「うん、おかえり」
手を洗って戻ってくると、天音はまたソファーに座っていた。俺も隣に座ると、ちょっと距離を詰めてくる。
今日の服装はゆったりした深緑色の花柄ワンピース。ロングで、足首まである。だけど背中は少し大きめに開いていて、首筋でリボンで止められていた。
それに髪型は編み込んでからゆるく低めのポニーテールにしていて、耳元で揺れるシルバーのリングのせいか、大人っぽくまとまっていた。
家着にしてはちょっと気合いが入ってるけど、それもまた可愛い。
「今日は時間があるからいいね」
うーん、と伸びをして彼女が言う。確かに、最近忙しかったもんな。
「だな」
「ねぇ、週末どっか行きたいな」
「確かに予定空いてるもんな」
「それでね、ここら辺の週末のイベント調べたんだけど……」
天音がスマホの電源をつけた。画面に映し出された文字は……
「秋祭り?」
「そう、今まで知らなかったんだけど、電車でちょっと行ったところで、秋祭りっていうのやるらしいの。今回は花火も上がるんだって」
「へぇ。世の中いろいろあるんだな」
そんなお祭りがやってるなんて、全然知らなかった。
「でね、これに行きたいなぁって。夏祭り行けなかったし……いいかな?」
ちょっと小首を傾げて言う天音。そんなの良いに決まってる。時期的にちょっと微妙だけど……浴衣姿も見れるかもしれないし。
「いいよ。行こう」
「よしやったぁ! ありがとう!!」
拳を突き出す天音に笑みをもらす。
やっぱりこうやって喜んでくれると嬉しい。
「ふふっ。嬉しいな」
左手で手を繋いでくる。いわゆる恋人繋ぎ、というやつだ。
「ねぇ。一颯くんは、浴衣だったらどんな柄が好き?」
「浴衣、かぁ」
そんなの考えたこともなかった。色くらいであんまり柄も分からないし。
「天音はどんなのが好きなの?」
「え、私?」
うーん、と人差し指を顎に置いてから、スマホの画面をスクロールする。しばらくして見せられたのは、深緑色の生地に、白い大きな牡丹? の柄のものだった。
「なんかこういう、ざっくりした柄のやつが好きかな」
「確かに似合いそうだね」
瞳の色ともよく合うし。
もっとも、天音はなにを着ても可愛いだろうけど。
「ありがとう……じゃあ、これにしようかな」
微笑んで、購入ボタンを押す。それから、思い出したように他のなにかも合わせて購入。
「今なにか買った?」
いつの間にか手は解かれていて、スマホが俺から見えないようにされていた。
「うーん、当日の秘密!」
いたずらっぽく天音が笑う。
「えー、なんか気になる」
「内緒。一颯くんだけには絶対秘密。当日までね」
ちょっと追い討ちをかけてみるが、天音は白を切り続ける。彼女は頑固、な方だと思う。
これはいくら聞いても教えてくれないな。
「ふーん。俺には教えてくれないんだ」
そういや、と思い出し、ちょっとだけ拗ねたような顔をしてみる。だいぶぎこちなさもなくなってきたし? 天音がどう反応するのか、ずっと気になっていた。なんか場面としてはしょうもない気がするけど。
「あれれ、ちょっと拗ねてる?」
「拗ねてないよ」
掛かった。横を向くと天音が軽く服の袖を引っ張り、またいたずらっぽく笑った。
「えー、拗ねてんじゃん」
「拗ねてないって」
身を乗り出してくる。ちょうど横向きに正座する感じになって、肩に手を置いて。最近思うけども……天音って意外と、こう、積極的だよな。こういう時。
「うーん、こっち向いてよっと、うわっ」
無理やり目を合わせられる。
と、そのまま、天音がバランスを崩し、トン、と押し倒される形になった。こんな漫画みたいなことあるんだ。
途端にドク、と心臓が大きくなるのが聞こえてくる。これは、予想外……
まだ昼だからか、天音も恥ずかしそうに固まっていて。いやそりゃそうか。
「えっと……」
とりあえず押し返そうかと手首を掴むと力が抜けて倒れ込んできて、ゼロ距離。逆効果。
「えぇっと……」
脳はとっくに思考停止し、天音の顔を見ると、目をぐるぐるさせたまままだ固まっていた。夜中ベッドに侵入してきて抱きついてくるのに。
「えぇぇ。えっと……」
微動だにしない天音をどうしようかと必死に脳に血を巡らせていると、天音がつと顔を上げた。真っ赤な顔で。久しぶり……ではないけど、首まで真っ赤だ。
少しだけ唇を震わせて、目を閉じて。
顔の距離も近くて。体は柔らかくて。
ゴクリと唾を飲み込んだ瞬間。
玄関の、チャイムが鳴った。それも立て続けに何回か。
宅配便は、頼んでいなかったはず。
いったいなんだろう、と内心首を傾げる。
天音がほんのちょっと目を開いて。
しばらく名残惜しそうにちょっと熱っぽい視線で見つめてから、ソファーから降りて、歩いていった。
やっとほっとして、少し息を吐く。心臓は、ドキドキとうるさくて。
どうにか息を整えていると、インターフォンの画面を覗いた天音が小さく悲鳴を上げた。
もしかしたら、天音についた変なストーカーかもしれない。
慌てて駆け寄ると、映っていたのは小学生くらいの小さな女の子だった。
すぐに天音が玄関のドアを開けに行く。
「お姉ちゃん。ちょっと今日泊めてくんない?……って、なに男連れこでんの? あーあ、そんなことしてたらお父様に怒られるよ?」
後ろから覗き込むと、ドアの奥に立っていたのは、少々お口の悪い――天音の妹みたいだった。




