8.王子様と騎士さん
ユレン君、男の子と一夜を過ごす。
別に深い意味はなく、同じ部屋で寝ているだけだ。
ドキドキして眠れないと思っていた。
実際最初の数分はそうだったけど、気づけば眠りについていたらしい。
目を開けると朝になっていて、窓からの温かな光が差し込む。
「……疲れてた、のかな」
そうだと思う。
疲れていたんだ。
昨日のことを思い返せば、疲れないほうがおかしい。
突然クビを言い渡されて、流れるように王宮を追いだされ。
懐かしい森に入り込んだら、会いたいと思っていた友人と再会できた。
その友人の優しさに誘われて私はここにいる。
本当なら、硬い地面か湿った草の上で目覚めていたことだろう。
そう思うと、今こうしていることが奇跡のように思えて……
「ぅ、ん? ああ、もう起きてたのかアリア」
ユレン君がソファーから起き上がり、私のほうへ歩み寄ってくる。
寝起きで目を擦りながら、手の届く距離まで近づいて、私と目を合わせる。
「ゆっくり眠れた……」
彼と合わせた私の瞳からは、雨の一滴のように涙が流れ落ちていた。
無意識だった。
悲しいわけじゃなくて、むしろ幸せな涙だった。
自分が泣いていると気づいたのは、ユレン君の表情を見た瞬間で。
「ご、ごめん」
私は慌てて涙を拭おうとする。
心配させまいと笑顔を作ろうとも。
すると――
「ぇ……」
ユレン君は優しく撫でるように、私の頬を伝る涙を拭ってくれた。
そのまま囁くように、私に穏やかな笑顔で言う。
「もう大丈夫だ。俺やこの場所は、お前にとって悪くないはずだ」
頬に手が触れる。
涙の温かさと、手の温かさが重なる。
ああ、その笑顔は反則だ。
そう思った。
だって、枯れたはずの涙がまた、雨の様に流れてしまったんだから。
「ぅ、うん……うん」
心配させたくないのに。
溢れる涙が止まってくれない。
ユレン君は何も言わず、ただ黙って見守ってくれる。
それが余計に心を温かくして、涙がまた増える。
不思議な時間だ。
今、世界には私たち二人しかいないかのように思えるほど、特別に感じる。
トントントン――
だから、扉をノックする音に二人で気付けなかった。
その後に続く声にも。
「おーい、ユレン殿下~ もう朝ですよ~」
男の人の声に気付いたのは、声が聞こえて数秒後になってからだ。
返事をしなかったからだろうか。
その人は扉を勝手に開けて、部屋の中へと入ってきた。
「返事くらいしろよな~ まだ寝てるのか? いいかげん俺が起こさなくても起きれるように……」
目と目が合う。
彼の眼に映っているのは、ベッドに座る私の頬をユレン君が触れている光景。
ちなみに私は泣いている。
かなりの本気で泣いている。
端から、事情を知らない人が見れば、どう思うだろうか?
「ユ……」
「い、いやちょっと待てヒスイ! お前誤解を――」
「ユレンが女の子を部屋に連れ込んで泣かせてるだとぉ!」
「違うから!」
案の定、盛大な誤解を受けてしまったようだ。
部屋に入ってきた恰幅の良い男性は、ユレン君より背が高くて腰に剣を携えている。
髪もツンツンで短いし、男の人って感じが強い。
「あれだけ女っ気のなかったユレンが……しかも俺に隠れてひっそりと逢引きとは……う、泣けてくる」
「お前が泣くな! 別に俺が泣かせたんじゃないし! 大体全部お前の誤解だ!」
「皆まで言うな。大丈夫、周りの奴らには俺が言っておくから」
「だーから違うって言ってるだろ!」
こんなに取り乱しているユレン君は初めて見た。
からかわれている子供みたいに、大声を出して顔を真っ赤にしている。
泣いている所を見られたのは恥ずかしかったけど、無邪気に言い合うユレン君を見ていたら、思わず自然と笑みがこぼれた。
「ふ、ふふ」
「ん? 笑われてるぞユレン」
「お前の所為だよ」
ユレン君は小さくため息をこぼし、微笑みながら私に言う。
「でも良かった。涙は止まったみたいだな?」
「うん。ユレン君、その人は?」
「ああ。こいつはヒスイ、一応は俺専属の護衛だ」
「一応ってなんだよ。お前がいっつも勝手に出歩くから大変なんだぞ~」
どうやら護衛の騎士さんらしい。
砕けた話し方や態度をみて、てっきりお兄さんか誰かだと思ってしまった。
とても主人と部下という関係には見えない。
不思議そうに見ていると、ユレン君が気付いて答えてくれる。
「こいつとは小さい頃からの仲なんだ。立場上の上下はあるけど、俺は気にしてない」
「さすがに公の場じゃ気にするけどな? 初めまして、ユレンのフィアンセ」
「フィ、フィアンセって」
「だから、そういうのをやめろって! ちゃんと一から説明するから」
呆れながらユレン君が彼に事情を説明してくれた。
ふむふむと頷きながら真剣に聞くヒスイさん。
私はというと、話している二人の横でソワソワしながら終わるのを待っていた。
「なるほど。そりゃ随分な災難だな」
「そう思うだろ? だからうちで働いてもらえたらなって思ったんだ。ちょうど人手も足りてなかったし、彼女の錬成師としての腕は一流だ」
「うん……まぁ確かにそうだが……」
ヒスイさんが私のことをじーっと見つめる。
悪い視線ではないけど、まじまじ見られると緊張する。
「そうか。この子が例の……」
真剣だった表情が、不意に優しく崩れた。
「よーし了解だ。それじゃ陛下との謁見の手筈はこっちでやっておくよ」
「助かるよ」
「別にユレンのためじゃない。彼女、話を聞く限り昨日から何も食べてないだろ? 朝食と、それから風呂も使うと良い」
「え、えっと、良いんですか?」
良い、の部分にはいくつかの意味が込められていた。
それに対するヒスイさんの答えは、優しい笑顔と一緒に返ってくる。
「もちろん。殿下が信用した人なら、俺も文句はないよ」
その言葉にはユレン君とヒスイさん、二人の確かな信頼が現れていた。