68.霧の奥へ
騎士さんが最後の一匹を倒す。
戦闘は終わっても周りを警戒しつつ、アッシュ殿下が尋ねる。
「フサキ、他に接近は?」
「ちょっと待ってくださいね」
フサキ君が耳を澄ます。
鍛えられた彼の五感は普通の人よりも数段鋭い。
音を聞き、危険な空気も肌で感じる。
「大丈夫みたいですね。この辺りは今ので最後みたいです」
「そうか。アリア」
「はい」
「時間は少ししかとれないが、こいつらの死体を調べてみてくれ」
倒したブラックウルフの死体。
比較的綺麗な状態を保っている一匹を殿下は指さす。
「ありがとうございます」
私は死体に近づき、恐る恐るしゃがんで眺める。
死んでいるとはいえさすがに怖いな。
でもせっかく用意してもらった機会だし、元からそのつもりでお願いもしていたんだ。
今さら怖気づいたりできない。
「よし」
意を決して、ウルフの死体に触れる。
毛並みや感触はごつごつしているだけで犬と変わらないな。
血の色も赤い。
見た目の黒さも含めて、ほとんどただの動物に見える。
凶暴性を省いてしまったら、魔物と動物の違いってどこにあるのかな?
考えながら毛をかき分け肌を見る。
すると――
「――これ、茨の模様……」
領地で蔓延している奇病と同じ、茨の模様が魔物の肌にも浮かび上がっていた。
「何かみつけたか?」
「見て、ユレン君」
「これは……同じ模様か?」
「うん」
これでほぼ確定的になった。
茨の模様が出現する奇病は、魔物と関連している。
「ありがとうございました。アッシュ殿下」
「もういいのか?」
「はい」
「よし。隊列を戻せ! このまま進むぞ!」
アッシュ殿下の指示で騎士たちが列を形成、戦闘前の同じ状態に戻って歩き出す。
訓練された動きの中で、私だけがポリツと浮いている感じだ。
「しかし妙だな」
「何がですか? 兄上」
「さっきの魔物な。普通なら俺たちみたいな大所帯を襲ったりしないんだよ」
魔物は本能で動く。
生きるための本能と、研ぎ澄まされた感覚。
彼らは生き抜くためなら手段を選ばない。
だからこそ、本能的に勝てないと悟った相手には挑まないという。
「ブラックウルフは群れで行動する魔物で、自分たちの数より多い相手には手を出さない。だが今回、奴らは平気で襲ってきた。異常だぜ」
「なるほど……それも奇病と関係がありそうですね。もしかすると、本来は魔物にだけ感染する病なのかも」
「違うと思うよユレン君。それなら人間に広がった理由がない。たぶん、感染先によって症状が違うんだよ」
魔物に感染すれば凶暴化して、人間に感染すれば弱体化する。
そういう病なのだと私は推測している。
「だとしたら迷惑な話だな。まるで魔物を生かすために誰かがやってるみたいだぜ」
「意図的……だとしたら恐ろしいですね」
不穏な気配が漂う。
怖い話をしている所為か、空気が冷たくなったように感じた。
ぶるっと身体が震える。
情けなくも恐怖で身体が震えたと、最初は思った。
でも実際は違う。
「……霧」
私はぼそりと呟く。
気付けば森にうっすらと霧が出ていた。
寒気は恐怖ではなく、実際に気温が下がったことが生じていたんだ。
◇◇◇
「兄上、霧が出てきましたね」
「おかしいな。この森で霧が出たことなんかないんだが……逸れないように注意しろよ。出来るだけ固まって――おい、アリアはどこだ?」
「え?」
「なっ、そんな! さっきまで隣にいたのに!」
焦るフサキとユレン。
二人とも、アリアのことは常に気にしていた。
それなのに気づけばいなくなっている。
「アリア!」
「くっそ、なんですかこの霧! 至る所から気配が感じられて定まらない」
「まさか、こいつも魔物の仕業じゃねーだろうな?」
嫌な予感が全員の頭をよぎる。
しかし周囲の霧は濃くなり、身動きが取れない状況に陥る。
探しに出れば自分たちが逸れ迷う危険性。
それがわかっているからこそ動けない。
「アリア……どこにいったんだ」
◇◇◇
「ユレン君! みんなー!」
油断した……いや、そこまでしていなかったはずだ。
気付けば周囲を霧に包まれ、私は一人で孤立していたんだ。
近くには誰もいない。
呼びかけても返事が返ってこない。
私は木々を辿り、進んでいたはずの方角へと歩き出す。
「みんな……どこに行ったの?」
不安が湧き上がる。
思えば久しぶりだった。
本当の意味で一人ぼっちになるのは。
怖い。
長く一人で生きてきた。
だから慣れていると自分では思っていたんだ。
でも違う。
慣れてなんかない。
私はいつだって、誰かと一緒にいたかった。
話しかけて、返事が返ってくることに安心していた。
だけど今、それがない。
私は改めて実感する。
一人きりの孤独を……怖さを。
視界にかかった霧は、私の心にもかかっていく。
何も見えない。
誰もいない。
どうか誰かの声を聞かせてほしい。
そんな風に思う私は歩き続けて――
「ここ……は?」
気付けば見知らぬ木の家が一軒。
美しい湖の辺に建っていた。






