6.裏の顔
表があれば裏がある。
光があれば闇がある。
どちらも正しく、どちらも間違い。
人間にも同じように、見せている部分と、隠している部分がある。
誰にだってあるはずだ。
意識したことはないけど、きっと私にもある。
それを知り、気づかせてくれた人がいた。
「で、殿下!」
宮廷錬成師になったばかりの私は、与えられた研究室をどう使えばいいのかわからず苦悩していた。
そこへ前触れもなく現れたのが、第二王子のラウルス殿下だった。
予想外の来室に驚き、慌てて頭を下げた私に、ラウルス様は笑ってこう言った。
「良い良い。そう畏まる必要はないよ。僕が勝手に様子を見に来ただけなんだから、もっと気楽にしていて」
「で、ですが……」
「僕が良いと言っているんだ。それとも命令したほうがいいかい?」
「え、あ、あの……わかりました」
私が答えると、殿下はニコリと微笑んだ。
正直に言えば最初、少し変わった人なのかと思った。
だって、私みたいな一族のはぶれ者に声をかけてくれる人なんて、王城には誰もいなかったから。
屋敷にだって。
「研究室の使い方がわからないのかな? ここは君専用の部屋だから、何も気にせず自由に使って良いんだよ? 何なら改造しても良い」
「か、改造ですか?」
「ああ。過去にはしている人もいたね。錬成師はそれくらい奇抜なほうがむしろ良いと思うけど」
「は、はぁ……そうなのですね」
本当に不思議な人だった。
優しい人なのは間違いないとも思った。
ただ、最初から少しだけ気になる部分もあったんだ。
表情は穏やかで、声も優しい。
けれど、目の前で話していながら、どこか別の所を見ているような気がしていた。
しかしそんなものは些細なことだった。
殿下はその日以来、ちょくちょく私の研究室に足を運んでくれるようになった。
特に予定があるわけでもなく、空いた時間に顔を見せてくれているみたい。
嬉しかった……とても。
空いた時間に私に会いに来る。
そんなこと、普通なら絶対に選択肢に上がらないから。
「へぇ~ 君の錬成術は独学なのかい?」
「はい。自分で本を読んで調べたり、素材を集めたりしていました」
「凄いじゃないか。独学で宮廷付きになったなんて」
「い、いえそんな」
宮廷に入ったことで、自分で素材を取りに行く必要がなくなった。
それは良いことだったけど、同時にユレン君と会えなくなることを示していた。
ユレン君ほど気兼ねなく話せる相手はいなかったから、言葉には出さなかったけど、孤独を感じるくらい寂しかった。
それでも何とかやっていけたのは、ラウルス様が気にかけてくれたからだと思う。
そういう意味では、私はあの人に感謝している。
しているのだけど……
ある日、ラウルス様から相談があると持ち掛けられた。
「私に、ですか?」
「ああ、他の人には頼めない。君にしか出来ないことなんだ」
私にしか出来ないこと。
そのフレーズに、少なからず興奮したのを覚えている。
殿下からの直々のお願いで、他には頼めない。
きっとそれだけ重要なのだと思った。
「これを作ってほしいんだ」
私は手渡された依頼書に目を通す。
「薬、ですか? え、でもこれって……」
その内容に唖然とし、目を疑った。
記されているのは作ってほしい薬物の効果と、材料となりえるもの。
ほぼ全ては毒物だった。
「毒……ですよね?」
「そうだよ」
「間違っていたりとかじゃ」
「間違っていない。作ってほしいのはそれだ」
ラウルス様は淡々と言葉を返す。
表情は普段通り穏やかに、声も優しく。
でも……
怖い。
何だか無性に、そう思った。
「お願いできるよね?」
「え、あの……」
「君にしか頼めない。もちろん他言無用だよ」
「……わかりました」
結局、その時はラウルス様の圧力に負けて首を縦に振ってしまった。
私はひどく後悔したし、疑った。
それでもラウルス様はお優しい方だから、何か理由があるのではないかと考えた。
理由が……
本当に?
依頼された内容は、あきらかに致死域に達している効果の毒だった。
こんなものを使うとしたらどこで?
何の目的で?
考えなら作業をして、依頼された毒は早々に完成した。
「やぁアリア」
「ラウルス様」
「例の物は出来たかい?」
「い、いえ……まだできていません」
ラウルス様は依頼後も何度か訪ねてこられた。
その度に進捗を聞かれたけど、私は怖くて嘘をついてしまった。
本当は完成しているのに、苦戦している風を装った。
どうしても、何に使うのかがわからなくて、信じられなくなっていたから。
そして、事件は起こる。
朝、第一王子が急死した。
朝食を食べた後に嘔吐され、そのまま倒れ込み意識を失われ、二度と目覚めることはなかったという。
原因は不明とされているが、私には明らかだった。
宮廷錬成師である私にも、第一王子の容態の急変が知らされたが、そこに記されていたのは……
ラウルス様に依頼され、私が新たに考案した毒の効果そのものだった。
「どうして? 私は誰にも……まさか――」
私は自分の研究室を探した。
悪い予感は的中し、毒の作り方が書いた用紙がどこにもなかった。
隠してあった引き出しの中が荒らされた形跡がある。
代わりに一枚のメモ用紙が置かれていることに気付く。
君はもう、何もしなくていい。
ただ一言だけ。
私はそれを見て、恐怖で身体が震えた。
これが本性かと思った。
第一王子の死後、第二王子だったラウルス様が第一王子の座につく。
これによって、次期国王の有力候補はラウルス様になった。
そういう理由だと悟った。
以降、ラウルス様とは一言も話していない。
最初からあの人は、私を利用するために近づいただけだった。
おそらくこの時からだろう。
私の人生の歯車が、決定的にずれてしまったのは。