56.アッシュ・セイレム
魔法。
それは奇跡を体現する力。
理屈や常識を無視した現状の発生を、人の手によって引き起こす。
最盛期だったのは大昔。
世界は魔法によって繁栄を築いていた。
だが、その繁栄は長く続かなかった。
魔法は強力過ぎた。
人の手に余る。
小さな人間が手にしたことで膨張し、歯止めが効かなくなって。
やがて争いが横行した。
権力、土地、人、それら全てを奪い手に入れるために。
力を行使すれば奪い取れる。
奪われたくなければ力をつけなくてはならない。
争いはより大きな争いを生んだ。
世界は争いで満ちた。
そんな世界を悲しいと思ったのかもしれない。
誰かって?
神様がいたんだ、当時は。
人ではなく、動物でもなく、生命ならざる絶対の存在がいた。
人知を超えた神様は、世界を正しい姿に戻すために、人々から魔法の力を奪ったんだ。
そうして人類は衰退し、原始の生活に戻る。
やがて穏やかに、緩やかに進化を続けて、新しい人類史を作る。
魔法という万能な力を失ったからこそ、人々は知恵と勇気を振り絞った。
人々が生きていくために、魔法は必要なものではなかったようだ。
それでも尚、奇跡の力に夢を見る者はいる。
何十年、何百年かかろうとも、それを手に入れたいと願った者たちが。
だから神は再び与えた。
奇跡の力を。
ごくわずかな……選ばれし人間にのみ。
◇◇◇
「ユレン君のお兄さんが……魔法使い?」
「ああ。だからってわけじゃないけど、この国で一番強い人って言われてる。俺の目から見ても実際そうだからな」
「な、なんだか凄そうだね……」
「凄い人だよ。ただたぶん、アリアの想像は裏切るかな」
そう言ってユレン君はニヤリと笑う。
私の想像は、一言で表すと大きくて怖い男の人……なんだけど。
違うっていうならどんな人なのかな?
気になって色々と想像を膨らませていると、ユレン君が私に言う。
「近いうちに会えると思うよ。そろそろ一時帰国される頃だから」
「帰国……今は外の国にいるんだ」
「ああ、外交半分、けん制半分くらいの名目でね。兄上がいるから、この国に正面切って喧嘩をしかけてくる国はいない。そのことをアピールする目的もあるんだよ」
「な、なるほど……」
ますます気になってくる。
ユレン君のお兄さん……アッシュ・セイレム第二王子様。
一体どんな人なのだろう。
会える日が楽しみだ。
「その時は俺から紹介するよ。初対面は緊張するよな?」
「うん! そうしてくれると嬉しい」
その後もしばらく二人で盛り上がった。
他愛ない話も多かったけど、ユレン君のお兄さんの話も聞けた。
ユレン君に剣術を教えたのはお兄さんらしい。
小さい頃から武闘派で、よく稽古をつけてもらっていたそうだ。
ユレン君が一度も勝てない程にお兄さんは強敵だという。
「次に戻って来られたら、また稽古をつけてもらうつもりだよ」
「今度は勝つ?」
「そのつもりでいるよ。よくわかったな」
「顔に描いてあるからね」
ユレン君は顔に出やすい時があるよね。
私とかヒスイさんの前では特に。
気を許してくれている証拠なんだと思って、一人で嬉しくなった。
◇◇◇
穏やかで楽しい休日を過ごした翌日。
私はいつものようにアトリエで仕事に励んでいた。
「これ室長さんのとこに持っていけばいいんですか?」
「うん、お願いして良いかな?」
「了解です。パパっと渡してきますよ!」
元気になったフサキ君も一緒にせっせと働いてくれている。
彼に室長さん宛の荷物を預けて、私は自分の作業に集中していた。
錬成台の光と音、それ以外には聞こえない。
集中していると、周りの音は聞こえなくなる。
こういう時にこそ、ユレン君が急に声をかけてきたりする。
と、思った時に気配を感じた。
ユレン君じゃないのはすぐに分かった。
だって……威圧感が違ったから。
誰かがいる。
大きな存在感を放つ人が、アトリエの前に。
私は恐る恐る扉を開ける。
「あの……どちら様でしょう?」
「お? 俺に気づくとは中々鋭いじゃないか」
扉の前に立っていたのは大きな男性だった。
壁?
それとも大樹と表現するべきだろうか。
身体の大きさもだけど、存在感がそんな気がして。
「お前が新しい錬成師だよな?」
「は、はい。アリア・ローレンスです」
「アリアか。良い名前だな」
「あ、ありがとうございます」
知らない人だけど、服装からして高貴な身分なのは間違いなさそうだ。
それ以上に気になるのは、背中に背負っている大きな剣。
身の丈ほどある大剣を背負っている。
騎士さん……には見えなくもないけど、誰かに似てる気がした。
「話はいろいろ聞いてるぜ? 凄腕なんだってな! 俺の妹も助けてくれたみたいで、感謝してるよ」
「は、はぁ……妹?」
もしかしてこの人……
「あ、そういや自己紹介がまだだったな? 俺は――」
「兄上! 勝手にいなくならないでくださいよ!」
「ユレン君?」
「遅いぞユレン!」
ユレン君が息を切らしながら走ってきた。
そして彼は兄上と口にした。
つまりこの人が……この国で一番強い人、ユレン君のお兄さん。
第二王子アッシュ・セイレム様なんだ。
道理で誰かに似ているわけだよ。






