54.自助努力から始めよう
彼の思いは間違っていない。
助けられたことへ恩を感じ、恩に報いるために行動する。
胸の中に詰まっている感情は善意だ。
真っすぐさも感じる。
私自身、助けられた側だからよくわかる。
その気持ちは……わかるんだ。
だからこそ、それだけじゃ駄目だと知っている。
報いたい気持ちだけでは、誰かのためにという思いだけでは……駄目なんだ。
そこに自分がいないから。
「役に立たないオレに価値なんてないんです。本来ならオレは、ここにいられる人間じゃない。あの場所で死ぬまで生き続けてたはずなんだ」
生まれた環境の辛さもある。
子供ながらに大人びているのは、過酷な環境で生きてきたからだ。
普通の人間とは死生観が異なっている。
私たちが、明日は何をしようかと考えていた時。
彼は今をどう生き抜くかを考えていたはずだ。
明日なんてくる保証はない。
今を生きなければ、数秒先の未来すら危うい。
そんな環境で生きてきたからこそ、今の平穏が特別だと思える。
「オレの命なんて、あの場所でなくしたも同然なんですよ。役に立てなきゃ意味がない。仕事も果たせないオレに居場所はない」
そうなのかもしれない。
もし、公爵様に出会わなければ、彼は今を生きていなかったかもしれないんだ。
光の指す場所へ出てこられたのも、運命的な出会いがあったからこそ。
差し伸べられた手の温かさ、強さを私も知っている。
知ってるのだから、言うべきなんだ。
もっと自分を……ううん、やっぱり私じゃ言えない。
仮に私が彼とまったく同じ立場なら、今の彼と同じことをしたと思うから。
だって、正しいことなのだから。
間違っていないのに、君は間違っているなんて言えないよ。
でも、もし言えるとしたら……
「だから姉さんも、オレが必要なくなったら言ってくださいね。その時は――」
「だめぇー!」
勢いよく開いた扉。
それ以上に大きな声で飛び込んできたのは、イリーナちゃんだった。
「イリーナちゃん」
「姫様」
彼女は涙目だった。
でも、悲しんでいるわけじゃなさそうだ。
表情はむしろ怒っている。
初めて見るくらい顔を真っ赤にして、幼い鬼のように。
「フサ君!」
「え、はい」
「さっき、なんて言ったの?」
「えっと……」
イリーナちゃんはギロっとフサキ君を睨んでいた。
一歩ずつゆっくりと歩み寄り、彼に迫る。
動揺するフサキ君は普段通りに言葉が出ていない。
「さっきって?」
「……必要ないとか言わないで」
「え?」
「自分が必要ないとか! 自分がどうなろうとなんて言っちゃ駄目だよ!」
イリーナちゃんが涙を流す。
瞳からこぼれ落ちる涙が頬をつたり、床を濡らす。
「姫様……」
「命は一つしかないんだよ! 死んだら何もできない。誰にも会えないし、おしゃべりもできない。一人ぼっちになるんだよ!」
彼女だからこそ深みのある言葉。
命を燃やし、明日を夢見ていたかつての彼女だから、命の大切さを知っている。
ゴミと命が同価値だったフサキ君の生まれと、早くして命の終わりを感じ取っていたイリーナちゃん。
二人は似ているようで、似ていない。
片や命の軽さを知り、片や命の尊さを知った。
彼が投げ捨てようとしている命は、彼にとっては軽いのかもしれない。
だけど、その命の価値を誰よりも知っているのは……
「私は……フサ君とおしゃべりするのが楽しかった。狭い部屋で一人ぼっちでいた時に、フサ君が来てくれて嬉しかった」
ボロボロと流れる涙。
そして思い。
あふれ出る感情が言葉に乗る。
「あの時間があったから……明日も生きたいって思えたの。フサ君がいたから、今も笑っていられるの。フサ君にとってはお仕事だったのかもしれないけど、私はフサ君がいてくれるだけで良かった。お話できるだけで幸せだったの」
もしも、彼に言葉を届けられるとしたら一人だけ。
彼の仕事ぶりではなく、彼自身を心から求めている人だけだ。
彼女を置いて、他にいない。
「……役割も果たせないオレなんて無価値ですよ」
「そんなこと言わないでよ。私はフサ君がいてくれないと寂しい。一緒にいてくれるだけで楽しい」
「ただしゃべってるだけなら、オレじゃなくても出来ますよ」
「フサ君がいいの。私がおしゃべりしたいのはフサ君なんだよ」
純粋な思い。
それこそが人の心を突き動かす。
外からも、内からも。
「ねぇフサ君」
イリーナちゃんのお陰で、今なら言えることがある。
彼と同じで、助けられた側の人として。
「フサ君の命はフサ君の物だし、これからどうしたいかは自分で決めれば良いと思う。でもね? その命を大切に思ってくれる人がいるんだよ。才能とか立場とかじゃなくて、君だから傍にいてほしいって思う人がいるんだよ」
命は一つで、その人のもの。
だけどその命を支えている人たちがいる。
触れている誰かがいる。
失われることで、温もりが涙に変わってしまう。
「私の場合は後悔したくないからで、フサキ君とは違うかもしれないけどさ? 何かをするにも、誰かを助けるにも、まずは自分が生きていないといけないんだよ?」
「そうです! お姉さまの言う通り! 生きてなきゃ何も出来ないんだよ!」
「姫様……姉さん……」
「自分を大切にして! フサ君がいなくなったら私、どこにでも探しに行くから!」
どこにでも。
それはつまり、向かった先が死地であろうと。
「……そっか」
彼は笑う。
呆れたように、吹っ切れたように。
「だったらここで頑張るしかないですね」
きっとそれが、正しくて幸せなことだ。






