35.心配なんだよ
翌日の朝。
私は朝食を済ませ、アトリエに向うため王宮の廊下を歩いていた。
すると、正面からユレン君が歩いてくるのに気づく。
向こうも気づいたらしく、軽く手を振ってくれる。
「おはようアリア」
「おはよう」
彼は私の前で立ち止まり、朝の日差しのように暖かな笑顔を見せる。
「今日もこれから仕事だよな?」
「うん。ユレン君も?」
「ああ、書類がまた増えて来てな~」
彼はやれやれと言いたげな顔をする。
王子の仕事は大変らしい。
最近は外出もしていないのに、仕事がたまる一方だと嘆く。
「ふふっ、無理しないでね?」
「ああ」
「それじゃもう行くね」
「ん、ああ、頑張れよ」
私は軽くニコリと微笑み、いつもより早い足で廊下を歩く。
本当はもっと話していたかったけど、それが出来ない理由が今はある。
いつ、どのタイミングで見られているかわからない。
アトリエ以外でも、普段からユレン君と接する機会は減らしたほうが良いかもしれない。
私はそう思っているのだけど……
昼過ぎ頃のアトリエに。
「あ! お兄さまいらっしゃいませ!」
「おう。頑張ってるな」
「はい!」
ユレン君がやってきた。
彼が来てくれてイリーナちゃんは嬉しそうだ。
「アリアも変わりないか?」
「うん大丈夫、でもちょっと今忙しくて手が離せないんだ」
私はそっけない態度をとる。
会話を長引かせたり、彼をアトリエに留まらせるとまたお怒りをかってしまう。
「そうか。忙しいなら邪魔しちゃ悪いな」
「……うん、ごめんね」
本当にごめんなさい。
せっかく来てくれたのに話すことも出来なくて。
本当は私も彼と話したい。
他愛もない話をするだけで、とても幸せな気持ちになれるから。
でも今は、不安のほうが強くなってしまう。
だからなるべく接する機会を減らす。
そうしていたはずなのに……
「な、何で?」
仕事終わりに部屋へ入ると、机の上に手紙が置かれていた。
内容はナイフと共に送られてきたものと同じ。
ユレン君に近づくなと言う文章と、これ以上は看過できないという怖い一文も添えてあった。
避けていたはずなのに、相手には駄目だと思われてしまったようだ。
その日から、私の不安は強くなった。
噂の影響もあって、周囲からの視線は常に感じる。
誰が見ているのか。
怒っている人がいないかを目で追ってしまう。
それにユレン君との会話も、日に日に短くなっていった。
彼から話しかけて来てくれる時も、そっけない態度で流すことが増えた。
心苦しかった。
本当は話したいのに、不安のほうが勝ってしまうからどうしようもない。
ヒスイさんからの報告は未だにない。
忙しいからなのか、顔を合わせる機会も減っていた。
そのことが不安をさらに煽る。
時折、イリーナちゃんがいない日がある。
彼女も王女様だから、本当ならユレン君と同じくらい忙しい。
お役目で手伝いに来れない日があって、仕方がないと思っていたけど。
彼女がいない、一人でアトリエにいる時間は……特に不安だった。
もしも今、何か起こったら。
不安な時、アトリエの扉がガチャリと開く。
振り返った先に彼はいた。
「ユレン君」
「おう、様子を見に来た」
彼が来てくれて、ホッとしている自分がいる。
全てを打ち明けたい気持ちに襲われて、ぐっと堪えた。
迷惑をかけたくない。
彼の支えになりたいのに、足かせになんてなりたくなかったから。
だけど彼は、そんな私の変化に気付いていた。
「アリア、ちょっと来い」
「え?」
彼は私の手を握り、強引に引っ張る。
力強く駆け足で、アトリエから王宮へと足を運ぶ。
私はされるがままに連れて行かれ、到着したのは物置になっていたラウラさんの部屋だった。
「ここなら物も多くて外から見えない。話を聞かれる心配もない」
「ユレン君?」
彼は小さくため息をこぼし、真剣な眼差しを私に向ける。
「なぁアリア、何かあったんだろ?」
「ぇ……な、何もないよ」
「嘘はつかないでくれ。明らかに俺を避けてるし、何かに怯えてるように見える」
「そ、それは……」
やっぱり気づかれていたみたい。
最初の頃は誤魔化せていたけど、最近は特に態度に出てしまっていたから。
短い期間で送られてきた脅迫文の所為だ。
言い訳がましいけど、あんなものを受け取って、平静でいられる人はいないと思う。
「話してくれアリア! 心配なんだ」
「ユレン君……」
心配をかけたくなかった。
負担になりたくなくて、彼を巻き込まずに解決したかった。
でも結局、彼には心配をかけてしまったことを反省する。
それと同じくらい、心配してくれたことが嬉しくもあった。
「実は――」
これ以上黙っていても心配が増すだけだ。
だから私は、ここ最近に起こった出来事を彼に話した。
「なんでもっと早く相談しなかったんだ!」
「うっ、ごめんなさい」
彼は声を荒げて怒った。
本気で怒る彼を見て、ビクッと身体が震える。
「下手したら怪我じゃすまなかったかもしれないんだぞ? そういうことは相談しろって言ったじゃないか!」
「う、うん……でも……ユレン君に迷惑かけるのは嫌だったから」
「逆だよ。何もしないまま君に何かあったほうが……嫌なんだ」
ユレン君はそう言って、私の両肩を掴む。
最初は力強く、徐々に弱まって行って。
「無事でよかった」
その一言を聞いてしまったら、私の瞳は我慢できなくなった。
気付けば一粒の涙がこぼれ落ち、地面を濡らす。






