第四話 堅物騎士団長の説得
「マリオンは監査役。私は今回に限り、王族として福音の完成を見届ける立場にある。消去法でジュダが依頼人になったのだが、何か問題があるようであれば言ってくれ」
(……問題、か……)
出会ったばかりの間柄だが、エリスから見たジュダの印象は底辺まで落ち込んでいる。
すぐ大声で怒鳴るし、常時、射殺すような眼光で睨みつけてくるのだ。そんな彼を好意的に思えるのは、とてつもない被虐趣味の持ち主くらいだろう。
しかし、プロの聖花術師ともなれば私情で依頼人を選ばない。
(問題があるとすれば私じゃなくて、ジュダさんの方だと思うんだけど)
こっそりとジュダの様子を窺えば、眉間の皺を二本も増やしてこちらを睨んでいた。
事前にウィラードから命じられていたのだろう。依頼人になることに対して、ジュダは決して文句を言わない――が、警戒心を剥き出しにして今にも噛み付いてきそうな雰囲気は、人に慣れていない獰猛な野生動物染みていた。
(私が魔女だって、本気で信じてるんだもんね)
これだけあからさまに疑われて、まったく傷付かないわけではない。
だが、ジュダの態度を非難するつもりもなかった。
――だって、彼は己が職務を全うしているだけだ。
魔女疑惑が晴れていない小娘が、守るべき主の近くにいる。そんな状況下でジュダが自分を警戒するのは当然だし、騎士として正しい判断だと思う。
本来であれば、親切に接してくれるウィラードやマリオン達が特殊なのだ。
(だからと言って、いつまでも疑われ続けるわけにはいかないよね)
ジュダに正しい身分を示す一番の近道は、彼の福音を完成させるに限る。
魔女はどのような手段を用いたとしても、二度と福音は作れない。だからこそ、自らが欲した福音を目の前で作り出されたら、さすがの堅物騎士団長様でも、二度とエリスを魔女呼ばわりできなくなるはずだ。
「早速ですが、福音の作成を始めたいと思います」
大きく深呼吸をして神経を研ぎ澄ませたエリスは、そう言い放つや否や調合台へ向かう。
彼女が真っ先に用意したのは、羽ペンやインク壺、羊皮紙とそれを挟むバインダーだった。次に、二脚の椅子を調合台の隣に向き合う形でセットする。
これで、会話をしながらメモを取る準備が整った。
「それではジュダさん、ご希望される福音の詳細を伺いたいのでこちらへお掛け下さい」
移動させたばかりの椅子を手で指し示し、着席するようにやんわりとジュダを促す。
しかし、エリスを警戒している彼が大人しく従うはずもなく――鼻に皺を寄せて難癖を付け始めた。
「誰が好き好んで魔女と会話などするものか。貴様、俺から情報を聞き出して呪い殺すつもりだろう? その手には乗らんぞ!」
「あの……呪いも花から作られるんですよ? しかも、呪いに使われる花は限られてますから、用意してもらう段階でマリオンさんが見過ごすとは思えません」
「や、喧しいっ! 揚げ足を取るな! 福音くらい適当に作れるだろう!? 本物の聖花術師であると主張するのであれば、さっさと作業に着手しろ!」
至って冷静に正論を述べたエリスを、ジュダが命令口調で怒鳴り付ける。
「……適当、ですって……?」
ブチッ――と、頭の奥で何かが切れる音がした。
身震いを起こすほど大きく膨れ上がった怒りが、烈火の如くエリスの胸中で一気に燃え上がる。激しい感情の変化に呼応して、ポポポンと大量の幻想花まで咲き乱れた。
怒気に染まった大輪の赤い花が舞い散る光景は、あたかも怒りの炎が具現化したかのようだ。
「私は教会に認められた正式な聖花術師です。これまでも、これからも、中途半端な仕事は絶対にしません。なので、今回も全身全霊を捧げて福音を作らせて頂きます」
「貴様、魔女の分際で俺に口答えする気か!?」
「私は魔女ではありません。そして、間違ったことを言った覚えもありませんから。逆にお聞きしますが、ジュダさんは『適当に仕事しろ』と命令されても平気なんですか? そんなはずありませんよね?」
つかつかとジュダに詰め寄ったエリスは、真紅の花弁を撒き散らしながら堂々と意見する。
ジュダの暴慢な振る舞いは、彼の職務上仕方がないと受け流せたが、聖花術師の仕事を軽んじる発言はどうしても許せなかった。
一人前と認められるまで、血の滲む努力を重ね続けたのだ。誇りある自身の職を貶めるような発言をされて、平然としていられるわけがない。
「好き勝手言うな! 貴様に騎士道の何が分か――うぐっ!?」
年下の小娘から説教をされ、激昂したジュダが真っ赤な顔でがなり立て始めると……呆れ顔のマリオンが、手にしていたロッドを容赦なく彼の頭に振り下ろした。
ゴスッ、と。苛烈な一撃を食らった頭部を両手で押さえ、ジュダは声にならない苦悶の呻きを上げる。
凶器のロッドを持ち直したマリオンは、冷めた半眼で盛大な溜め息を吐く。
彼の隣では、ウィラードも困り果てたように眉根を寄せていた。
「~~~~っ! マリオン、俺を殺す気か!?」
「あんたこそ、あたしの出世を邪魔するつもり? 今は教会法に則った試験の真っ最中なのよ? 無実の証明は一度しか使えない切り札なんだから、子供みたいな癇癪起こしてないで、大人しく調合に協力しなさいってば」
「だが、この娘に魔女の嫌疑が掛かっているのは事実だろう! お前は俺が呪い殺されても構わないのか!?」
「お黙り。あんたって、地頭は良いのに変なところで頑固よねぇ。その娘も言ってたけど、呪いも花から作られるの。他の枢機卿なら話は別だけど、このあたしが呪花を見抜けないとでも言いたいわけ? 仮にあんたが呪殺されたら、あたしも責任取って死んでやるわよ」
マリオンが一息に思いの丈をぶちまけると、ウィラードも重い口を開く。
「ジュダ。国教神様から授かった奇跡の御業を『適当に作れ』だなんて不敬にも程がある。その上、無精者を咎めるのであればいざ知らず、仕事熱心な民を無用に叱り付けるとは……それが、私の色を冠する騎士のすることか?」
「……っ、申し訳ありません!」
別にウィラードは、語気を荒げたりはしていない。どことなく悲し気な声音だったが、あくまで優しく窘めていた。しかし、ジュダには絶大な効果を発揮したらしく、彼は綺麗な直角で深々と頭を下げたではないか。
即座に非礼を詫びた従順過ぎる部下に、青の王子は苦笑交じりに軽く嘆息する。
「私が呪われたことを、聖堂の警備責任者を務めていたお前が、誰よりも悔やんでいるのは知っている。だからこそ、魔女に対して過敏になっているのだろう? だが、試験の安全性はマリオンが保証している。――依頼人はお前にしか頼めないんだ。私の信頼を裏切らないでくれ」
「……殿下は未だに、私を信頼して下さるのですか……?」
「当たり前だろう。私達は主従でもあり、同じ師の元で剣の腕を磨いた幼馴染じゃないか。今回の試験結果は、一人の聖花術師の生死を左右する。彼女の命運は、ジュダ――君の行動に掛かっているんだ。私の騎士ならば行うべきことは分かるだろう?」
どこまでも真摯なウィラードの言葉に、ようやくジュダは姿勢を元に戻す。
そして彼は、いつの間にか蚊帳の外に放り出され、茫然としているエリスへと向き直った。
(こ、今度は何を言い出すつもり?)
真紅の花弁を全身に纏わり付かせたまま、我に返ったエリスが身構える。
するとジュダはばつが悪そうに視線を彷徨わせ、軽く首を垂れてきた。
「お前の仕事を軽んじてすまなかった。今後は誠意をもって指示に従うと約束する。だから、ウィラード殿下のために最高の福音を作ってくれ」
――これは驚きだ。
非常にぶっきら棒ではあったが、偏屈騎士団長様が謝ってくれた。しかも、先ほどまでエリスを「貴様」と呼んでいたが、今や「お前」に変化しているではないか。
変わったのはそれだけではない。魔女だの呪いだの大騒ぎしていたあのジュダが、初めて福音作りに協力的な姿勢を見せた。
「ご依頼、謹んでお受けしたいのですが……一つだけ、訂正があります」
室内に浮遊していた赤い幻想花の花弁が、夢のように溶け消える中。
どこか不安げな眼差しでこちらを見つめてくるジュダに、エリスはにっこりと笑って朗らかに告げる。
「私の依頼人はジュダさんです。ですから、あなたのためだけの最高の福音を作らせて下さい」