第一話 独房への訪問者
「どうして、こんなことになったんだろう?」
石壁に寄り掛かり、膝を抱えた体勢でぽつりと呟く。
王城の聖堂で気絶したエリスは、教会の地下にある独房の中で目を覚ました。
(意識を失ってる間に運ばれたんだろうけど、こっちの言い分も聞かずに牢屋へ入れるなんて酷過ぎるよ! こんな横暴、神に仕える聖職者がすることなの!?)
聖花術師が悪心に憑りつかれると、体内の神力は瘴気へと変化し、人々に害を成す呪いを生み出すようになる。
堕ちた聖花術師は【魔女】と呼ばれ、福音が作れなくなり――教会に存在を知られたが最後、問答無用で捕縛され火刑に処される定めだ。
現段階で魔女を元に戻す術はない。
だからこそ、災いを招く悪意の権化は早々に抹消される。
(このままだと私、魔女として火あぶりにされちゃう……)
教皇の目の前で呪いが発動してしまったのだ。目撃者が魔女を裁く組織の最高責任者では、誤解を解くのは非常に難しいだろう。
魔女が捕らえられている独房には、見回りの教会騎士すら寄り付かないので、弁明の機会を要求することもできない。
――これぞまさに、完全なる八方塞がりである。
(花祝の儀からどれくらい経ったのかな?)
蝋燭の灯りすらない独房の光源は、天井付近の換気口から差し込む自然光だけだ。
室内が薄っすらと明るいので、太陽が出ている時間帯だろう。花祝の儀が行われたのは夕方だったので、いつの間にか翌日になっていたらしい。
(……お腹、空いたなぁ……)
囚われの身になってからというもの、食事はおろか水一滴も口にしていなかった。
空腹を訴えるうるさい腹部をさすりつつ、何気なく視線を足元に落とせば、冷たい石床の上で萎れている花が目に入る。ギーゼラが髪に差してくれたスイートピーだ。麻痺系の強い毒性がある花だが、食べられそうなものはこれしかない。
ごくりと生唾を呑み込み、薄紫の花弁へ手を伸ばそうとした時……、
独房の扉の向こうから鈍い金属音が聞こえてきた。
(――っ、誰かが鍵を開けてる!)
処刑台への迎えがきたのかもしれない。
顔面蒼白になったエリスは咄嗟に逃げ場を探すが、狭い独房内に死角などなかった。「どうしよう、どうしよう」と、冷や汗を掻きながらパニックに陥っていると――……ギギギッと耳に苦しい音を立て、ついに分厚い鉄扉が開かれてしまう。
独房の中に入ってきた人物は三名だった。
「まぁ! 今回の魔女は随分とちんちくりんねぇ~」
カビ臭くじめついた室内に、なんとも場違いな明るい声が響く。
声の主は中性的な顔立ちをした美しい青年だった。
垂れ目がちな紺碧の双眸は長い睫毛に縁取られ、興味深げにエリスを眺めている。長身痩躯でスタイルがよく、膝裏まで届く薄藍の髪は毛先だけ束ねられており――高く澄んでいるが、男性のそれと分かる声を耳にしなければ、彼を女性だと勘違いする者が続出するだろう。
(この人……っ!)
豪奢な白の法衣を隙なく着こなしている優美な青年に、エリスは心当たりがあった。
青年の手に握られているのは、六枚花を象った青い石が輝くロッド。
六枚花は六名で構成されている枢機卿の象徴で、古くから【六花枢機卿】と呼び称されている。
現在、青を基調にしているのは、二十二歳という異例の若さで最年少の枢機卿となった人物だ。
その名も――、
「蒼花のマリオン・プロイツ猊下」
我知らず唇から滑り落ちた名前に、青年が「あらやだ!」と口元を手で覆う。
「あたしったら有名になったものねぇ。名乗る手間が省けて助かるわ」
予想は的中したようだが、マリオンの独特な話し方にエリスは目を丸める。
――……なぜに女口調?
彼は今も片手を頬にあて「うふふ」と朗らかに笑っている。
絶世の美女と見紛う容姿と相成り、性別という概念が行方不明になった。
「この大馬鹿者がッ!」
マリオンの突飛な言葉付きに毒気を抜かれていると、突如として、落雷のような怒声が室内に響き渡る。
すっかり緊張感を欠いていたエリスは、驚きのあまり心臓が止まりかけた。
「マリオン、お前は魔女に顔と名前を知られていたのか!? 六花の一席を預かる者として、大いに危機感を持つべきだ! 呪われても知らんぞ!?」
怒号の発生源へ視線を送ると、見知った顔に二度驚かされる。
多くの勲章が煌めく青い軍服。硬質の短髪と鋭い眼はどちらも黒い。腰の剣帯では使い込まれた長剣が剣呑な存在感を放っている。
記憶に新しいこの人物は確か……、
「蒼華騎士団の騎士団長様?」
おずおずと声をかければ、射殺すような眼光で睨まれた。
そんな騎士団長に、オネェ枢機卿が盛大に笑いを噴き出す。
「ちょっと、ジュダ。あんたもバッチリ面が割れてるじゃないの。そんなんで、人の事をとやかく言えるわけ?」
「おい、魔女の前で気安く名前を呼ぶな! 何かあったらどうしてくれる!?」
「何かってなによ? まさか、名前を知られたくらいで呪われるとでも思ってんの? そんなわけないでしょー。魔女も聖花術師と同じで花がなければ呪いは作れないの。あんた、相変わらず肝っ玉が小さいわねぇ~」
「~~っ、喧しい! 俺はお前と違って慎重なだけだ!」
尚も、ギャンギャン吠えようとする騎士団長――ジュダだったが、そんな彼を片手で制する者がいた。
漆黒のローブを纏った長身の人物だ。目深にかぶったフードで顔は見えないが、聞こえてきた声は、年若い青年と思われるテノールボイスだった。
「止めないか、二人共。私達がここへ足を運んだ理由を忘れたのか?」
ローブの人物から咎められたジュダは、どこか臆した様子で「申し訳ありません!」と謝罪して口を噤む。マリオンも狐のような笑みは絶やさないが、それでも「ごめんなさいね」と詫びてピタリと黙った。
途端、独房の中に静寂が戻る。
蒼華騎士団の騎士団長と、六花枢機卿の蒼花。
栄誉ある地位に就いている二人が、こうも従順な態度を取るだなんて――……。
(一体、この人は何者なの?)
エリスが床に座り込んだまま、ぽかんと黒ローブの人物を見上げていると、彼はゆったりとした足取りで歩み寄ってくる。
「君と会うのはこれで二度目だね」
穏やかな口調でそう言うと、黒ローブの人物は徐にフードを外す。
(なっ……!?)
現れたのは、これまた見覚えのある顔だった。
光の加減で濃藍に艶めく黒髪と、強い意思が宿った聡明な眼差し。こんな時でも見惚れてしまいそうになる美しい顔は、青く彩られた聖堂内で見た第一王子ウィラード――……なのだが、彼の頭頂部にはとんでもない物体が生えていた。
(……獣耳……?)
例えるならば、狼や大型犬のような三角形の立派な耳だ。
奇妙としか言いようのない代物が、なぜウィラードの頭にピンッと立っているのだろう? 髪の隙間から人間の耳は見えないし、時折ピクリと動く様が作り物にしては精巧過ぎる。
(もしかして、本物なの?)
信じられない光景に軽い眩暈を覚え、上ばかり見ていた視線を下に落とせば、ウィラードが身に付けているローブの裾から、長毛の尻尾らしき物が覗いていた。毛先が床をかすめるほど長く、こちらも獣耳と同じく意思を持ったように揺れ動いている。
王城の聖堂で会った時は普通の人間のように見えたが、この奇妙な姿は一体――……。