第二話 聖花術師としての再出発
「私のことよりも、先輩はこれからどうするんですか? 師匠は魔女でなくなりましたけど、神力も失ったと聞きました」
そうなのだ。魔女化を解かれたギーゼラは、文字通り〝只人〟になってしまった。
神に通ずる力を失った彼女は工房を畳み、再び魔女になる危険性の有無を調査するため、暫くはマリオンの監視下に置かれるらしい。
ちなみに、花祝の儀で開栓役を務めていた大司教の死に、ギーゼラは一切関わっていなかった。
尋問の担当者がグレアムに買収されており、呪殺に見せかけた口封じを行ったのだ。
エリスの特殊な能力を隠すため、ギーゼラが法で裁かれることはない。
ウィラードを呪った加害者であり、グレアムに利用されていた被害者でもある彼女は、今後どのような人生を歩むのか……それはまだ、本人も決めあぐねているようだ。
けれど、エリスは信じていた。
師匠は二度と過ちを犯したりしない――と。
「イレーネには初めて話すけど、実は私、師匠の福音で命を救われたんだよね。その時の師匠は、本物の女神様のように神々しく見えて……私も師匠のような、誰にでも迷わず救いの手を差し伸べる聖花術師になりたいと思ったの」
「既に先輩は、命懸けで他人に尽くす素晴らしい聖花術師ですよ」
「その評価は嬉しいけど、人助けに終わりはないからね。しかも、今はウィラード様の依頼を受けてる最中だから、思い切って自分の工房を作るつもりなんだ」
次の瞬間、ガタンと椅子を倒す勢いでイレーネが立ち上がった。
テーブル越しに身を乗り出した彼女は、目を見開いて固まっているエリスの手を取り、胸中の興奮を隠さずに熱願する。
「お願いします、どうか私を先輩の一番弟子にして下さい!」
「えっ!? 私は第一王子の婚約者だから、普通の工房と様式がかなり違うよ? 依頼を受けても料金は取らない慈善活動になっちゃうから、お給料の面もどうなるか分からないし、私に関係する秘密保持の都合で、王城の外へ出られなくなる可能性もあるんだよね」
「構いません。先輩と一緒に働きたくて、ずっと探していたんですから。金銭面の問題も私は一般市民なので、個人で受けた依頼の報酬は貰えるはずです。城内に滞在する許可が下りるのであれば、外出できなくても文句は言いません。むしろ、その方が好都合です。……あ」
気が昂っているせいで、余計なことまで口走ってしまったのだろう。
イレーネは口元を手で覆い、気まずそうにエリスから目線を逸らす。
妹弟子が表情豊かになったのは喜ばしいが、隠し事はよろしくない。
「ねぇ、イレーネ。私に弟子入りを志願した理由を全部教えて。そうじゃないと、私は貴女を心から信用出来なくなっちゃう。やっと仲良くなれたのに、疑ったりしたくないよ」
「すみません、私が浅慮でした! 一番弟子として認められるためには、先輩との関係に軋轢が生じる要素は排除するべきですよね。今度こそ、すべての事情を話しますが……えっと、その……クリストファー殿下には、内緒にして頂けますか?」
「それは内容によるけど、クリストファー殿下に関係があるの?」
エリスが率直に問えば、椅子に座り直したイレーネはもじもじと身体を揺らし出す。
よく見ると頬が赤みを帯びているし、辺りに漂う雰囲気も何やら甘酸っぱい。
「紅の宮殿にいた時。御自身も辛い思いをなさっているはずなのに、クリストファー殿下はいつも温かな言葉で、不安に押し潰されそうな私を力付けて下さいました。あの状況下で私が心折れずにいられたのは、全部、クリストファー殿下のお陰なんです」
そう言えば――と、エリスは思い出す。
クリストファーの反抗的な態度は、自分に近付かないよう、ウィラードを警戒させる意図があったらしい。
エリスに対して工房へ帰れと嫌味を言っていたのも、イレーネの福音を発見させるためだったそうだ。
グレアムが異心を抱いていると、逸早く気付いたのもクリストファーだった。
自身の派閥に属する者が、兄の誕生祭で悪事を働かぬよう独自調査を行った際に、叔父が第一王子の暗殺を企てていると知ったのだとか。
叔父だからと情けをかけ、話し合いの場を設けたのが悪夢の始まりで……。
暗殺を止めるよう説得するはずが、逆に母親を人質に取られ、傀儡の王になることを強要されたのだ。
『昔から姉ばかり評価され、弟の私に関心を寄せる者は誰もいない。姉を心酔する者達を見返したくて、政教一致の大国を作ろうと思い付いた。私が欲するものすべてを有する、姉の絶望一色に染まった顔が見たくて、甥を利用する計画を立てたのだ』
獄中で自白したグレアムの犯行動機は、姉に対する嫉妬心がきっかけだった。
工房リデルの創設者マルグレートと、彼女の弟子だったギーゼラは、弟子の才能を妬んで心を濁らせた。
実姉を激しく妬むグレアムの心にも、残虐な悪魔が宿ったのかもしれない。
「先輩の一番弟子になりたい気持ちに嘘偽りはありません。ただ、同じお城の中で生活をしていたら、クリストファー殿下にお会いできる機会があるのでは……と、不埒な考えを抱いたのも事実です」
「そっか。クリストファー殿下のことを、お慕いしてるんだね」
生き地獄のような日々を過ごすイレーネが、唯一頼れたのはクリストファーだけだった。
赤の王子に好意を寄せるのは、彼女の境遇を鑑みれば極めて自然である。
エリスの指摘にぽふんと顔を赤らめ、イレーネはぎこちなく首肯した。
「勘違いしないで下さいね? この想いが成就しないのは理解しています。それでも私は、クリストファー殿下の役に立ちたい。少しでもお側にいたいと思ってしまって……」
「それじゃあ、宮廷聖花術師を目指せば良いんじゃないかな? 見習いで師匠の依頼をこなしてたんだから、イレーネの技術と才能は、磨けばどんどん輝きを増すはず。決して楽な道のりじゃないけど、努力を積み重ねて実績を残していけば、クリストファー殿下の専属になれる可能性もゼロじゃないよ」
「で、でも! こんな不純な動機で宮廷聖花術師を目指してもいいんでしょうか?」
目に見えて狼狽えているイレーネに、エリスは晴れやかな笑顔で「大丈夫」と断言する。
「とっても偉い聖職者なのに、物凄く強欲な人を知ってるから。それに、私だって欲張りだよ。同年代のお友達がいなかったから、イレーネと仲良くなれて嬉しい。出来ることなら、これからもっと仲良くなりたい……って、思ってるの」
だからね――と続けたエリスは、はにかんだ微笑と共にイレーネへ右手を差し出す。
「上下関係のある師弟としてではなく、対等な立場の仲間として、新しく設立する工房で私と一緒に働いてくれませんか?」
「――っ、勿論です!」
感激のあまり目尻に涙を浮かべたイレーネ。彼女は差し伸べられたエリスの手を、しっかりと握り返した。
その手の温もりが嬉しくて、エリスが笑みを深めると、空中に暖色系の幻想花が咲き始める。
もう、花咲き体質を恥ずかしいとは思っていない。ウィラードが〝個性〟だと言ってくれたから。
だけど、見習い聖花術師のイレーネは、この光景をどう感じているのだろうか?
エリスがそんなことを気に掛けていると、
「先輩の幻想花って綺麗ですよね」
宙に漂う色とりどりの花を眺めつつ、イレーネが感嘆の息を漏らす。
「私は頑張っても三輪しか咲かせられませんよ。こんな沢山の花に囲まれるなんて、まるで夢みたいです」
「……そう、思ってくれるの?」
「演技していた時は貶してしまいましたが、本当はいつも見惚れていたんですよ。こんなに沢山の幻想花を一度に咲かせられるのは、先輩の神力が潤沢だからに決まっています」
「イレーネは私を買い被り過ぎだよ。そんな風に褒められたら――……」
ぽぽぽんっと、濃いピンク色の幻想花が追加で室内を彩る。
「照れちゃったんですね?」
現在の心境をイレーネに言い当てられ、エリスは赤面して無言で頷く。
暫しの沈黙が流れ、どちらからともなく笑い声が零れた。
「イレーネ。改めて、これからよろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」




