第四話 花祝の儀
「蒼華の騎士団長様は相変わらず苛烈な御方ね。初参加者はただでさえ萎縮しているのだから、もう少し柔軟な対応をして頂きたいものだわ」
一連のやり取りを見守っていたギーゼラは、困ったように眉尻を下げて苦言を呈する。
何度も王宮に招かれた経験のある彼女は、青年が第一王子専属騎士団の団長であると、最初から知っていたようだ。
「エリス。ちょっとしたトラブルを、いつまでも引きずったら駄目よ。さぁ、気持ちを切り替えていきましょう」
「――っ! はい!」
そうだ、自分はまだ聖堂の中にすら入っていない。
聖花術師の真価が問われるのはこれからなのに、今から心を乱しているようでは、最良の成果を自ら手放すようなものだ。
(今は、目の前に迫ってる役目に集中しないと!)
細く長く息を吐き出すと、雑然としていた思考が落ち着きを取り戻し、怯えて丸まっていた背筋も自ずと伸びる。仕事前のほどよい緊張感に包まれ、沈んでいた表情まで凛と引き締まった。
エリスが平静を取り戻すと、ギーゼラが「行くわよ」と身を翻して歩き出す。
神獣の石像が並ぶ短い回廊を進むと、重厚な両開きの扉の前に辿り着く。
王城内で唯一、教会の紋章が彫金された聖堂の大扉だ。
両脇に控えている騎士が二人の姿を認めると、恭しい所作で扉を開く。
(うわぁ……っ!)
聖堂内に足を踏み入れたエリスは、思わず感嘆の声を上げそうになった。
西に傾いた日差しが、経典の一節を描いたステンドグラスを通り抜け、極彩色の光が辺り一面に降り注いでいる。青い絨毯が敷かれた身廊の先には、国教神フロス・ブルーメの彫像が飾られた祭壇があり、様々な種類の青い花で装飾が施されていた。
何よりエリスの目を引いたのは、女神像の前に置かれた豪奢な椅子に座る青年だ。
(……この人が、第一王子のウィラード殿下……)
程良く引き締まった体躯を包んでいるのは、白を基調とした盛装だ。ケープや差し色に青が使われており、細やかな銀糸の刺繍が美しい。
青みがかった黒髪は清潔感のある短髪で、瑠璃色の瞳は深い英知の輝きを宿している。形の良い唇に、スッと通った高い鼻梁。誠実そうな顔立ちは恐ろしく整っており、色恋に疎いエリスでさえ甘い胸の高鳴りを感じた。
――絵本から抜け出た王子様も、彼の前では存在が霞むだろう。
「工房リデルの主ギーゼラ・バッツドルフと、門下生のエリス・ファラーであるな?」
低くしわがれているが、柔らかい響きの声が響く。
声の主はウィラードの傍らに立つ、純白の法衣を纏う老翁だ。皺が目立つ手で握られているロッドには、フィオーレ教の紋章を象った金色の石が輝いている。
王族と枢機卿以上の教会関係者には、役職とは別に〝色〟が与えられる。中でも金は特別で、国王と教皇を示す最も尊い色だった。
ちなみに、ウィラードを象徴する色は青なので、ドレスコードや聖堂内の飾り付けも青で統一されていたりする。
(遠目で何度か見たことはあるけど、この優しそうなおじいさんが教皇様なのね)
聖職者として教会に籍を置く聖花術師からしてみれば、極めて偉い上司と言えよう。
「花の女神フロス・ブルーメより賜りし聖なる御業にて、第一王子ウィラード・ルネ・ランドルリーベ殿下の誕辰を祝す福音を奉呈せよ」
「謹んでお受け致します」
教皇の命を受け、ギーゼラと共にエリスは優雅に一礼する。
頭を上げたタイミングで、祭壇の下に控えている大司教の男から「エリス・ファラー」と名前を呼ばれた。この大司教が福音を開栓しているのだろう。工房主よりも先に門下生が福音を披露すると聞いていたので、エリスは速やかに大司祭の元へ歩み出た。
「こちらをお納め下さい」
箱を渡すと、すぐに瑠璃色のリボンが解かれる。
慎重に取り出された福音を見たエリスは――次の刹那、後頭部を思い切り殴られたような衝撃に襲われた。
(な、なんで……!?)
ウィラードの色に合わせて、福音に使う花も青でまとめたはずなのに。
丸い小瓶の中でオイルに浸されているのは、お辞儀をするように下向きに咲く白い花。
(あれは、私の作った福音じゃない!)
自分の福音が別物にすり替わった。それだけでもあり得ない事態なのに、福音から発せられる禍々しい気配に総毛立つ。
瓶を満たすオイルには、祝福とは程遠い恨み辛みが込められている。
白い花の正体も、祝花には向かないスノードロップ。
花言葉は【あなたの死を望みます】。
間違えようがない。これは福音ではなく〝呪い〟だ。
「待って! それを開けちゃダメ――ッ!」
悲鳴染みた声でエリスが叫ぶも時既に遅し。突然の絶叫に大司教はわずかに怯んだが、それでも彼は瓶のコルク栓を引き抜いた。
瓶の中からは黒々とした悪意の風が吹き出し、無防備なウィラードに襲いかかった――が、それよりも早く薄藍に輝く神聖な風が、彼の身体を螺旋状に駆け上る。聖なる光を纏ったその風こそ、神より授かりし福音の力だ。
斯くして、呪いの脅威にさらされた第一王子は福音の恩恵で死の運命をまぬがれた。
その代わり、福音の力で跳ね返された呪いは、運悪く真正面からエリスに直撃してしまう。
「……っ!」
全身から急速に力が抜け、青い絨毯の上に倒れ込む。
薄れゆく意識の中で見たのは、深い絶望が浮かぶ銀朱の瞳を見開き、使用済みの福音を取り落すギーゼラの姿。
弟子の作品が呪いだと逸早く気付き、自身の福音でウィラードの身を守ったのだろう。
「エリス……貴女はいつから、魔女になっていたの……?」
悲嘆に暮れた眼差しを向けてくるギーゼラに、誤解だと弁解しようにも言葉が出ない。激しい倦怠感から身動き一つ取れなくなり――……、
やがて、蝋燭の炎が吹き消されるように、エリスの意識は完全なる闇へと沈んだ。