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第一話 花比べ、再び

 春も半ばを過ぎ、夏の足音が遠くから聞こえ始めていた。


 宮廷聖花術師(せいかじゅつし)用の広々とした調合室では、今月で二度目となる花比(はなくら)べが行われようとしている。

 工房リデルの門下生エリス・ファラーが独立を希望し、工房主であるギーゼラ・バッツドルフへ卒業試験を申し込んだ――……というのは、赤の陣営を誘き出す口実だった。


(ついに、この日がきたんだ)


 先に調合室で待機していたエリスは、静々と入室してきたギーゼラの姿を認め、ごくりと生唾を呑み込む。

 ギーゼラの後に続いて室内に足を踏み入れたのは、彼女の後見人を担う紅花枢機卿グレアム・エイボリーだ。


 久方振りに再会したギーゼラは、赤銅色の髪を上品に結い上げ、工房にいた時よりも華美な衣装を纏っていた。


 首元のチョーカーから足元を彩る靴まで、身に付けているのはすべて赤色だ。

 赤の王子の護衛を務めている立場上、彼の色に染まっているのだろう。


 対するエリスも、第一王子の婚約者を名乗るに相応しい装いをしている。


 普段の庭師の衣装も豪華だが、より繊細な意匠が施された青のドレスが本日の戦装束だ。

 長い癖毛は作業の邪魔にならぬよう、一つに編んで背中に垂らしている。


(私一人だったら、こんなとんとん拍子に事は運ばなかった)


 ギーゼラが魔女だと判明した日。蒼の宮殿へ戻ったエリスは、ウィラード達に事件の全容を説明した。

 真相を知った三人は、危険を承知で協力を約束してくれた上に、各々が知恵を出し合って渾身の作戦を編み出したのだ。


 孤独な闘いではないと分かっているからこそ、魔女に堕ちたギーゼラを前にしても、エリスは怖気付かず堂々と立っていられる。


「師匠、何の前触れもなく花比べを申し込んですみませんでした」

「気にしなくて良いのよ。これからエリスはわたくしのもとを離れて、ウィラード殿下と生涯を共にしなければならないのだから。独立を宣言される日は近いと覚悟していたもの」


 非礼を詫びる一番弟子に、ギーゼラは以前と変わらぬ美しい笑みで応じた。


「バッツドルフ殿の寛大さには、私も感謝の念に堪えない。新たな工房を立ち上げるよう、エリスに独り立ちを促したのは私だ。第一王子の婚約者として、聖花術師の活動を続けさせるには、その方が好都合だと思ってね。教会からの覚えもめでたいだろう」


 エリスに寄り添いその肩を抱き寄せたのは、人間の姿に戻っているウィラードだ。


 今回の花比べは、師弟で行われる極めて私的な勝負である。

 第二王子のクリストファーが姿を現さないのも、彼には無関係の事柄なので当然だ。


 では、弟王子と同じ立場にあるはずのウィラードが、何故この場に平然と顔を出しているのか?




 ――それは、彼が作戦の決行に必要不可欠な〝餌〟だからだ。




『花比べに強制力はないわ。普通に勝負を挑んでも、相手に拒否されたらそれまでよ。だから、こっちが意図的に断れない状況を作り出すの』


 事の始まりは第一王子暗殺未遂事件だった。


 中庭を散策中も、暗殺者と思しき連中から襲撃を受けたので、ウィラードの命は現在進行形で狙われ続けている。

 エリスは魔女の罪をなすり付ける人柱として、ギーゼラの私怨で選ばれたに過ぎない……と考えるのが妥当だった。


『調合室に集まるのは当事者と後見人の計四名。そこに、エリスの独立を内々に推し進めているウィルが、婚約者可愛さに立ち合いを求めたら……必ず食い付くでしょうね。呪いを使ったとしても、密室で全員殺しちゃえば証拠隠滅し放題だもの』


 策士のマリオンが練った渾身の案は見事に成功した。

 今、目の前にギーゼラとグレアムの二人が居る。それこそが何よりの証拠だ。


 ここから先は、相手の出方を見ながら機転を利かせた行動が肝となる。


「グレアム殿もお忙しい中、御足労頂きありがとうございます。バッツドルフ殿の準備が整い次第、花比べを開始したいと思うのですが、異論は御座いますでしょうか?」


 猫を何重にも被ったマリオンが、余所行きの口調でグレアムへ尋ねると、壮年の紳士は鷹揚に「構いませんよ」と答えた。

 その時、ギーゼラが控えめに挙手をして口を挟んだ。


「花比べを始める前に、ウィラード殿下へ福音を御贈りさせて下さいませんか? 誕生祭の当日は不完全な形でしたので、改めて生誕二十年目を奉祝させて頂きたいのです」

「バッツドルフ殿の福音は、事前に私が安全性を確認致しました。長年、聖職者として数多くの福音を目にしてきましたが、近年稀に見る素晴らしい作品で御座います。どうか彼女の願いをお聞き届け下さいませんでしょうか?」


 グレアムは物腰穏やかに、さり気なくギーゼラを支持した。

 二人から揃って頭を下げられたウィラードは、暫しの沈黙の後に顔を上げるよう告げる。


「分かった。命の恩人であるバッツドルフ殿の頼みだ、特別に許可しよう」

「有難き幸せに存じます」


 ドレスの裾を摘まんで優雅に一礼したギーゼラは、銀朱の眼差しをグレアムに向ける。

 すると、グレアムが法衣の懐から丸い硝子瓶を取り出した。

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