第五話 朽ちかけの日記
ウィラードの嗅覚を頼りに研究室内を捜索すると、カーペットの下に床下へ続く扉が隠されていた。
こちらも厳重に施錠されていたが、瘴気の影響で金属の腐食が進んだのだろう。剣帯から小剣を鞘ごと引き抜いたウィラードが、その先端で数度突いただけで難なく外れた。
扉を開けると更に瘴気が強くなる。
呪いに加工しなければ人体に害は無いとしても、体内の神力と反発しているのか、エリスは懸命に吐き気を堪えていた。
室内にあったカンテラに火を灯し、土を踏み固めただけの階段を下りる。
最後の段から剥き出しの地面に降り立つと、そこには目を覆いたくなるような光景が広がっていた。
(これが、呪花……!)
いくつも運び込まれたプランターの中で、瘴気の根源である呪いの花が咲いている。
花祝の儀で使用されたスノードロップ以外にも、黒百合やトリカブトなど、恐ろしい花言葉を持つ花が見受けられた。
中でもエリスの気を惹いたのは、大輪のスイートピーだ。
(花祝の儀の朝、私の髪を飾ってくれたのと一緒だ)
祝花として髪を飾った花が呪花だったなんて……傷付いた心が更に抉られる。
ここで育てられているスイートピーは、すべて縁が赤みがかった紫だ。
ギーゼラから贈られたスイートピーの中で、同じ色合いをしていたのは一輪のみだったので、他の花はイレーネが神力で育てたのだろう。
聖花に紛れ込ませて瘴気を浄化させ、呪花の存在に気付けなくしたのか。
(スイートピーの花言葉には【別離】もあったよね。呪花として渡してくるほど、師匠は私と別れたかったの? 何でそこまで嫌われちゃったんだろう。……全部、分からないよ)
土壁を掘って作られた棚には、試作品と思われる呪いが大量に飾られている。
誤って蓋を開けたら――と想像するだけで、途方もない絶望から目の前が暗くなりかけた。
「エリス、今にも倒れてしまいそうな酷い顔色をしているよ。これ以上、無理はしない方がいい。後のことはマリオンに任せよう」
共に地下へ降りてきていたウィラードに、ふらついた身体を支えられる。
その弾みで、入り口付近にある目立たない下段の棚が目に入った。
そこに並んでいるのは、分厚い日記帳と見覚えのある使用済みの福音だ。
ウィラードが何か言っているけれど、耳に入ってこない。
服が汚れるのも構わず地面に座り込み、エリスは恐る恐る福音を手に取った。
(やっぱり、これ……私が入門した時に、師匠が作ってくれた作品だ)
福音は長い年月が過ぎ去ろうとも、使用された聖花が枯れることはない。
エリスが手にしている福音の中でも、五年前に摘まれたはずの花がオイルの中で色褪せず咲いている。
当時の自分は、使用済みの福音を記念に欲しいとねだったが、ギーゼラは困ったように微笑んで、『これはわたくしの御守りでもあるの』と渡してくれなかった。
あれから福音の存在自体を忘れていたが、こんな場所で発見するとは数奇な巡り合わせだ。
五年前は知識不足で分からなかった福音の意味も、今なら正しく読み解ける。
紫と白のノコンギク。
花言葉から導き出した願いの内容は、「幸福に長生きが出来るよう守護する」だった。
(魔女になった師匠は、その罪を私になすり付けようとした。でも、魔女になる前の師匠は私の幸せを祈り、身の安全まで願っていてくれていた――……)
聖花術師だった頃と魔女になってから。
エリスに対するギーゼラの行動は、まったくの正反対だった。
一つ屋根の下で暮らしているうちに、我知らず恩師を追い詰めるような行動を取っていたのだろうか?
何度も過去を振り返るが、怨まれる心当たりはまったく見つからない。
(そうだ、日記に何か書いてないかな?)
福音を元の位置に戻したエリスは、隣に立てかけられている日記へ手を伸ばす。
劣化した頁を破かないよう慎重に読み進めてゆく。
最初に書かれていたのは、ギーゼラの師匠である工房リデルの創始者、マルグレート・リデルについてだった――が、エリスは初っ端から後頭部を鈍器で殴られたような、凄まじい衝撃に襲われた。
『〇月×日
今日、マルグレート師匠が魔女として処刑された。
どうして師匠は私に嫉妬なんかしたのだろう?
師匠の作る福音にずっと憧れていて、弟子になれた時は本当に嬉しかった。
それなのに何故?
地下室で呪花を育てているのを見つけた時、師匠は「才能があるお前が妬ましかった!」と私に襲い掛かってきた。
魔女に身を堕とすくらいなら、私を破門すれば良かったのに。
同期が偶然工房を訪ねてきていなければ、私は今頃死んでいただろう。
聖花術師を続けるのが怖い。
目標だった師匠がいなくなってしまったのだから、もう辞めてしまおうか?
あぁ、首を絞められた痕が消えてくれない――……』
(う、嘘……)
マルグレートは聖花術師を引退して、実家に戻ったはずではなかったのか?
しかし、日記に書かれている彼女は、魔女と成り果て火刑に処された。
マルグレートが魔女になった原因も酷い。
弟子の才能に嫉妬して、最終的にはギーゼラを本気で殺し掛けていた。
そう言えば……と、思い出す。
ギーゼラは常に幅広のチョーカーを首に付けている。
もしかしたら今でも、首を絞められた痕が残っているのかもしれない。




