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第四話 魔女の正体

 次の瞬間、紫と黄色の花弁を孕んだ風が瓶の中から舞い上がる。


 下から上へ螺旋状に吹き抜ける風に包まれると、脳内で様々な光景が浮かんでは消えてゆく。

 これがイレーネの追憶かと認識すると同時に、エリスの心臓がドクリと嫌な音を立てる。


(な、何がどうなってるの……?)


 一番最初の記憶からして衝撃的なものだった。


 何者かに囚われている家族と思われる人々から、イレーネだけが強引に引き離される。

 泣いて嫌がる彼女は馬車に放り込まれ、どこかへと連れ攫われてしまう。


 次の記憶になると場面は工房へ移り変わっていた。

 どことなく具合が悪そうなイレーネが、調合室でギーゼラに見守られながら、きつく唇を噛み締めて福音作りに励んでいる。


 完成した作品を検分したギーゼラは、深い溜め息を吐くと、躊躇無く床に叩き付けて破壊した。


 仄暗い冷酷な銀朱の瞳が、怯えて縮こまるイレーネを鋭く睨む。

 床で砕けた瓶の破片を靴底で踏みにじり、ギーゼラが苛立たし気に命ずる。


『全体のバランスが美しくない。こんな不出来な福音では、わたくしの作品と偽ることは出来ないわ。今すぐ作り直しなさい』

『ですが……今日は、三つも福音を作りました。私は人よりも神力が少ないので、これ以上作業を続けたら倒れてしまいます。何卒お許しを……』

『あら、わたくしに反抗しても良いのかしら? 貴女の家族の命を誰が握っているのか、忘れたとは言わせないわよ。分かったら作業を再開しなさい。わたくしが今後も聖花術師(せいかじゅつし)で居続けるためには、貴女が代わりに福音を作らなければならないの』


 脳に直接流れ込む幻聴に、エリスの身体が急速に冷えてゆく。


(この人は、誰? 本当に私の知ってる師匠なの?)


 ギーゼラの弟子になって五年。

 出会った時からずっと、少女のように微笑む穏やかな人だと思っていた。


 軽く叱られた経験は数あれど、本気で怒られたことは一度もない。

 それなのに、何故? イレーネの記憶に刻み込まれたギーゼラは、顔色一つ変えず残忍な言動ばかり取る。


 自分が受けた依頼の福音を、イレーネに作らせている意味も分からない。

 ――否。本当はその可能性に気付いているが、心が真実を認めたくないと激しく拒むのだ。


『……先輩……』


 記憶の再生が終わると、目の前にイレーネの幻影が現れる。


 普段のイレーネは氷のように冷たい無表情で、口を開けば毒を吐き散らしているのに……。

 目の前に佇む幻の彼女は、見る者の心を抉るような切ない表情をしており、鳶色の瞳からはらはらと涙を零している。


『家族を人質に取られて、私はこの工房に連れてこられました。福音が作れなくなった師匠の代わりに、依頼品を作る傀儡が必要だったんです。逆らったり、誰かにこのことを話せば、両親や兄弟が殺されてしまう。そんなの、私には耐えられません……ッ!』

(イレーネ……)

『先輩だけは巻き込みたくなくて、ずっと冷たく接していました。だけど、もう限界です。私だけでは捕らわれている家族を助け出せないし、堕ちてゆく師匠も止められません。だから、お願いです……私を、助けて下さい……』


 幼子のようにくしゃりと顔を歪ませて、最後までイレーネの幻影は泣き続けていた。






   ✿   ✿   ✿






 妹弟子の姿が煙のように掻き消えると、エリスの意識が現実へ引き戻される。


 宙を舞い散る紫と黄色の花弁を茫然と見つめていたエリスは、瞬き一つで我を取り戻した。

 手にしていた福音の蓋を閉めて机の上に置くと、踵を返して勢い良く廊下へ飛び出す。


「エリス、どこへ行くんだ!」


 背後から慌てた様子でウィラードが追いかけてくる。

 待てと制止されるが無視して階段を駆け下り、ギーゼラの研究室まで脇目も振らず走った。


 研究室の扉を押し開けようとすると、ガチッと鈍い金属の音が響く。

 鍵が掛かっていると認識するや否や、エリスは扉に思いきり体当たりをする。しかし、扉は軽く軋んだ程度で、逆にエリスの身体が後方へ仰け反った。


「危ないだろう!? 怪我をしたらどうするんだ!」


 倒れると思った刹那、ウィラードの逞しい胸に抱き込まれる。

 強い語気で窘められたエリスは、怯んだ様子でビクッと大きく肩を揺らし、そのまま脱力して動かなくなった。


「……ウィラード様、魔女の正体が分かったかもしれません」

「! それは、本当かい?」

「イレーネの福音に手掛かりがありました。憶測を確信に変えるため、この扉の先を調べたいんですけど、鍵が掛かっていて開かないんです」

「だから扉に体当たりをしていたのか。あのね、エリス。そういう時は私を頼りなさい。ジュダほどではないが、これでも身体は鍛えているんだ。――さぁ、今度は君が少し離れている番だよ」


 エリスが一人で立てることを確かめ、ウィラードは抱き留めていた身体から手を離す。


 鍵の掛かった扉と対峙した彼は、フッと鋭く息を吐き出すと同時に、程よく引き締まった長い足で強烈な蹴りを繰り出した。

 軍靴の靴底がめり込んだ箇所が凹んだかと思えば、鍵の金具と蝶番が壊れたらしく、凄まじい勢いで扉が室内に吹っ飛ぶ。


 その光景を唖然と見つめていたエリスだったが、室内から一気に溢れ出した禍々しい気配に背筋を震わす。

 獣の嗅覚も異様な臭気を嗅ぎ取ったようで、険しく柳眉を顰めたウィラードは鼻と口を片手で覆った。


「ぐ……っ! この饐えたような臭気は何だ?」

「私の鼻では臭いまで感じ取れませんが、恐らく、呪いに使われる呪花(じゅか)から放出されているものでしょう。室内には濃密な瘴気も漂ってますから、間違い無くこの部屋のどこかで呪花が育てられています」

「つまり、魔女の正体は……」


 エリスは肩越しにウィラードを振り返ると、深い悲しみを湛えた眼を伏せて頷く。


「工房リデルの工房主、ギーゼラ・バッツドルフです」

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