第二話 福音に秘められたメッセージ
お茶会の中もジュダとマリオンは交代で立ち番をする。
今日はマリオンが先に休憩をするらしく、一人掛けのソファに座っている彼は、花茶を啜ってほうっと感嘆の息を漏らした。
「取れたての聖花で淹れた花茶って、改めて考えるとかなり贅沢よねぇ。市販品よりも疲れが取れる気がするんだけど、これってやっぱり花が新鮮だからなの?」
「はい。販売されてる花茶は時間経過と共に、内包する神力の量が減ってしまうんです。神力が減ると、聖花の力が上手く発揮されませんから」
「なるほどね。あー……休憩時間に日替わりの花茶が飲めるって最高よぉ。エリスのお陰で、どんどんお茶菓子のグレードも上がってるし、まさに至れり尽くせりだわ」
「? お茶菓子と私は関係ないと思うんですけど……」
どんぐり眼を瞬かせて小首を傾げたエリスに、「関係大ありよ」と断言したマリオンは、小皿のマカロンを摘まむ。
角度を変えながらマカロンを眺める彼は、にんまりと狐のように笑う。
「最近のウィルってば、政務の合間に王都中のお菓子屋さんをチェックしたり、料理長に新作スイーツの開発を依頼してるのよ? 自分はそれほど甘い物好きじゃないのに、少しでもあんたを喜ばせようと必死なんだから。――そうよねぇ、ウィル?」
無理やり話題をウィラードに丸投げして、マリオンはマカロンを口の中へ放り込んだ。
エリスが首を傾けて隣を見ると、ウィラードもこちらを見つめていた。
目が合った瞬間、彼はふにゃりとはにかんだ。
「参ったな。ついにバラされてしまったか」
「それじゃあ……いつもウィラード様は、私のためにお茶菓子を用意してくれてたんですか?」
「そうだよ。全部、マリオンの言った通りだ。エリスはとても幸せそうにお菓子を食べるから、もっと可愛らしい表情が見たくなってしまってね。いつも花茶でもてなしてくれるお礼も兼ねているから、気に入った品があったらいつでも用意するよ」
頭頂部に生えた犬耳はピクピクと動き、ローテーブルの下では、モフモフの尻尾が忙しなく揺れている。
最近は人間の姿を目にする機会が多かったので、久し振りにじっくりと観察した半獣姿に、エリスの心臓が見事に打ち抜かれた。
(か、可愛らしいのは貴方の方です……っ!)
不謹慎は承知の上だが、半獣特有のちょっとした仕草が、エリスの庇護欲をこれでもかと刺激する。
母親譲りと思われるウィラードの穏やかな笑顔も、人懐っこい大型犬のように見えてしまい、うっかり頭を撫で回さないようにエリスは気を引き締めた。
――と、その時。
「おい。これは何だ?」
ジュダの不機嫌そうな低い声が聞こえたかと思えば、ローテーブルの上にある物が置かれる。
それは、雫型の硝子瓶で……花比べの際にイレーネが捨てて帰った福音だった。
「お前が作った福音以外は危険だから処分しろと、俺は何度も言い聞かせたはずだぞ。しかもこの福音は、お前の妹弟子の作品だろう? 魔女ではないにしろ、赤の陣営に属する人間に関する物を、蒼の宮殿内にそう易々と持ち込むな」
「で、でも……その福音の安全性は、六花枢機卿全員が認めたんですよ? 開栓も済ませた後ですし、インテリアとして飾る分には、何の問題もないはずですけど……」
「駄目だ。問題が起きてからでは何もかもが遅い。万が一を考えて、我々騎士は行動しているのであって――……もがっ!?」
長引くと思われたジュダのお説教だったが、マリオンが彼の口にマドレーヌを突っ込み、「うるさいわよ」と強制的に黙らせる。
「使用済みの福音を飾るくらい許してあげなさいよ。他の枢機卿ならいざ知らず、このあたしが検品して危険物を見逃すとかあり得ないわ」
麗しい笑顔できっぱりと言い切ったマリオンは、優雅に足を組んで花茶を啜った。
暫し無言でモグモグと口を動かしていたジュダは、やっとの思いでマドレーヌを嚥下すると、「この馬鹿者が! 菓子を喉に詰まらせて死んだらどうする!?」とマリオンに噛み付く。
二人の言い争いは日常茶飯事なので、エリスは「また始まった」と内心で苦笑する。
放っておいても勝手に収まる――というか、ジュダがマリオンに言い負かされるので、エリスは気にせず自分の分のフィナンシェを頬張った。
「そう言えば、夜会で初めて第一王妃様のお姿を拝見したんですけど……イレーネが作った福音から受ける印象とは、まったく違っていて驚きました」
花茶で口の中をさっぱりさせたエリスは、何とはなしにウィラードへ語り掛けた。
「どんな御方だと思っていたんだい?」と興味深げに問われ、福音から得たイメージを率直に伝える。
「国王陛下を一途に愛されている、情熱的な御方を想像してました。福音に込められていた願いが、『愛し愛され永遠の愛を育みたい』という内容でしたから」
「……それは本当に、シルヴィア様が依頼された福音なのだろうか? シルヴィア様は『国の為に生き、国の為に死ぬ』と公言されるほど、愛国心に溢れた崇高な精神を御持ちだ。国と教会を橋渡しする重責を自ら背負い、国務にも精力的に携わっておられる――私が言うのもおかしな話だが、誰よりも国母に相応しい女性だよ」
ウィラードの説明に耳を傾けていると、夜会に列席していた第一王妃シルヴィアの姿が自然と脳内に浮かび上がった。
頭の高い位置で結われた銀糸のような髪に、燃え立つような紅の瞳。
ナターシャを〝柔〟と表現するのであれば、シルヴィアはまさに〝剛〟の女性だ。凛とした美しい顔立ちをしており、堂々とした居住まいは女傑と呼ぶに相応しい。
故に、イレーネの福音が示している恋愛に現を抜かすような人物には見えず、エリスは奇妙な違和感を抱いたのだった。
「私の両親は好き合った物同士だが、シルヴィア様の場合は、国と教会の親睦を深めるための政略結婚でね。嫁いできたその日に『私からの愛情を期待するな』と、夫となった父上へ宣言なされたらしい」
「聞けば聞くほど、福音のイメージから遠ざかりますね……」
何気なく口にした「福音のイメージ」というワードだったが、直後、エリスは妙な引っ掛かりを覚えた。
(どうしてイレーネは、福音を赤で統一したんだろう?)
花比べでエリスが用意した福音は、依頼人を務めたナターシャを象徴する白で纏めた。
けれどイレーネは、依頼人であるシルヴィアを示す黄色ではなく、第二王子クリストファーの色で福音を作成した。
――否、一種類だけ完全な赤でない花がある。
中心部分のみ、僅かに黄色味がかっているチグリジアだ。
(チューリップと薔薇の赤を引き立てる、差し色で選ばれたと思ってたけど……まさか、チグリジアがこの福音の主役だったの?)
そう思い至ると同時に、エリスは脳天を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
チグリジアにまつわる花言葉の中に、【私を助けて】というものがあるからだ。
イレーネはギーゼラの補佐を務めているのだから、単純に救いを求めるのであれば、こんな回りくどい手法は取らないだろう。
しかし、嫌な予感が脳内で囁くのだ。
ギーゼラを頼れない状況に、イレーネが置かれているとしたらどうするのだ――と。
「ウィラード様、確認したいことがあるので今すぐ工房へ戻らせて下さい!」
エリスは蒼白な顔色で、傍らのウィラードへ縋り付いて懇願する。
一瞬、驚いたように瞠目したウィラードだったが、彼はすぐさま真顔へ戻り冷静に問うた。
「理由を聞かせてもらえるだろうか?」
神妙な面差しで頷いたエリスは、イレーネの福音に隠された意味を説明する。
イレーネとの関係は短くて浅いものだ。その上、決して仲が良いとは言い難い。
――それでも、彼女は自分の妹弟子だ。
福音の意味を深読みし過ぎて、解釈違いをしてしまったのなら、その時は自分のうっかりで済むが――放置して取り返しの付かない事態が起きたら、きっと一生後悔する。
今は何をおいてもイレーネの安全を確認することが最優先だ。
(だって私は、困っている人の力になりたくて、聖花術師になったんだから)
病に侵され死にかけていたところを、敬愛する師匠のギーゼラに命を救われて――……。
彼女のような聖花術師を目指すと決意した瞬間から、エリスは人助けに尽力する道を歩み出していた。




