第三話 第一王子の誕生祭
聖リュミエール王国の首都、ルベリエの中心部に建つウィンズレット城。
気品溢れる佇まいは花の都の燦然たる宝冠と名高く、国政の中枢であると同時に王族の住居も兼ねていた。
王城の敷地内には、慶事において様々な儀式が執り行われる聖堂も存在する。
本日は隣接する控室に、青色の正装をした女性が幾人も集っており――その中には、可哀想なほど表情を強張らせたエリスの姿もあった。
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(うぅ……心臓、吐きそう……)
春の到来を告げる寒明けと時を同じくして、聖リュミエール王国の第一王子ウィラード・ルネ・ランドルリーベが、二十歳の誕生日を迎えた。
朝は国の重鎮が参列する厳粛な式典が開かれ、昼は王都を一周する煌びやかな祝賀パレードが開催された。夜になると、国中の貴族を招いた絢爛豪華なダンスパーティーが催されるのだが――昼と夜を結ぶ黄昏時に、【花祝の儀】と呼ばれる特殊な儀式が執り行われる。
花祝の儀とは読んで字の如く、花で王族の誕生祭を祝う儀式の名称だ。
教会選りすぐりの聖花術師は、自身が作成した福音にて、王族の向こう一年の幸福を祈願する。
控室に集った女性達は全員が聖花術師であり、本日の主役である第一王子に捧げる福音を持参していた。
(これから私、王子様と会うんだよね?)
教会からの指名でエリスが招かれた国儀は、第一王子の誕生祭だった。
(儀式の流れは師匠が事前に教えてくれたから大丈夫。福音も大満足の出来栄えだし、最低限のマナーも頭に叩き込んできたから問題ない……はず。多分、きっと)
控室に集められた他の聖花術師は年配者が多い。誰もが祝いの席に相応しい穏やかな微笑を湛えており、場馴れしている雰囲気が伝わってくる。
去年の秋口に十五歳となり、成人の儀を済ませて間もないエリスに欠ける、大人の余裕と言うものだろう。
長椅子に腰掛けているエリスは、隣に座るギーゼラをチラリと見遣る。
彼女も他の聖花術師と同様に、落ち着いた様子で儀式の場へ呼ばれる順番を待っていた。
(ど、どうしよう! 緊張してるの、私だけだ……っ)
このままだと、感情が昂ぶり過ぎて幻想花を咲かせてしまう。
ギーゼラは控室へ入る前に、「幻想花は国教神に通ずる天上の花。佳節だから咲かせても問題はない」とフォローしてくれたが、己の未熟さを人前で晒したくはなかったし、イレーネの忠告も忘れたわけではない。
バクバクとうるさい鼓動を宥めるべく、何度も深呼吸を繰り返していると、
「エリス、聖花術師の本分は何かしら?」
声を潜めたギーゼラから、唐突な問いを投げかけられた。
翡翠色の大きな瞳をぱちくりと瞬かせたエリスは、躊躇いがちに答える。
「えっと。悩み苦しむ人々を助け、幸福を求める者の前途を祝福する……ですよね?」
「正解。では、花祝の儀と普段受けている依頼、どちらが大事だと思う?」
静穏な声音で尋ねられた内容にハッと息を呑む。
(そっか。今日は〝特別〟じゃないんだ)
王族だろうと平民だろうと、依頼主の身分は関係ない。
報酬額が多かろうが少なかろうが、引き受けた仕事は全力で取り組む。
それこそが、エリスの心掛ける聖花術師の務めだった。
「どちらも大事です」
腑抜けていた表情を引き締め、姿勢を正して淀みなく言い切る。
すると、ふわりと目元を和ませたギーゼラは、それ以上何も言わずにゆっくりと首肯した。
(やっぱり、師匠は凄い人だなぁ……)
彼女が口にしたのは、さり気ない二回の質問だけだ。たったそれだけで、弟子の緊張をあっという間に解し、聖花術師にとって大切な心得まで思い出させた。
エリスが改めて、師匠の偉大さを噛み締めていた時だ。
「次、工房リデル!」
案内役の騎士に工房名を呼ばれ、凪いだ音声でギーゼラが「はい」と返事をする。
聖花術師の工房名は創設者の姓であるのが一般的だ。
工房リデルの創設者はマルグレート・リデルと言い、ギーゼラの師匠にあたる人物だと聞いている。現在は聖花術師を引退して実家に戻ったらしく、エリス自身はマルグレート本人と面識がなかった。
「師匠、先輩。預かっていた福音です」
荷物持ちとして壁際に控えていたイレーネから、福音の入った箱を渡される。
花祝の儀で使用する福音は、言うなれば「王族への誕生日プレゼント」だ。献上品をそのまま持ち歩くのは礼儀に背くため、箱に入れてリボンをつけるのが通例である。
エリスの箱も御多分にもれず、銀糸で縁取られた瑠璃色のリボンで飾れていた。
ギーゼラの箱を彩っているリボンも同じ物だが、花のように豪華な結び方をされているため、取り違える心配はどこにもない。
「ありがとう、イレーネ」
エリスが感謝の意を告げると、「別に、私の役目ですから」とそっぽを向かれる。
後輩のつんけんした態度には慣れっこなので、気にせず「行ってくるね」と告げ、ギーゼラに先導されて控室を出た。
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聖堂へ続く回廊は斜陽に照らされ、神秘的な鴇色に染め上げられていた。
蒼の軍服を纏う騎士が其処此処に見受けられ、厳重な警備態勢が敷かれていると察する。
(私はいつも通りの仕事をするだけ)
辺り一帯に漂う張り詰めた空気に呑まれぬよう、心の中でおまじないのように「大丈夫、大丈夫」と唱え続けていると、すぐに聖堂の入り口へ辿り着いた。
聖堂の門前には、他の騎士よりも凝った作りの軍服を着た青年が立ちはだかっている。幾多の勲章を左胸につけている彼は、第一王子に仕える【蒼華騎士団】の団長だろう。
硬質な短い髪と猛禽を彷彿とさせる鋭い双眸は、どちらも黒曜石のような深い漆黒。鍛え抜かれた逞しい肉体に、意志の強さが滲む精悍な顔立ちをしている。年の頃は二十代半ばくらいだろうか。
外見年齢とは似つかわしくない、重々しい風格の持ち主だ。
青年はギーゼラから手渡された招待状の内容を改めると、芯のある低い声で「通って良し」と奥へ進む許可を出す。
エリスも見様見真似で通過を試みるが、思わぬ事態が発生した。
「えっ? あれ?」
誤って落とさぬよう、ケープの内ポケットの奥深くへしまっていた招待状が、裏地に引っ掛かってしまったようだ。右手には福音が入った箱を持っているので、左手だけで引っ張り出そうとするも、気ばかり急いて上手くいかない。
あたふたポケットの中を探っていると、青年の眉間に深い皺が刻まれる。
「おい、早くしろ。ウィラード殿下をお待たせするんじゃない」
地の底から響くような、恐ろしく不機嫌な声だった。
青年から放たれるとてつもない威圧感に、冷や汗が背筋を伝い落ちる。「す、すみません」と小さく謝罪をした直後、どうにか招待状を取り出したエリスだったが――緊張の糸が緩んだ弾みで、頭の天辺に一輪の幻想花をポンッと咲かせてしまった。
(私の大馬鹿者ぉ~~っ!)
花を咲かせるにしても、この上なく最悪なタイミングだ。
真っ青な顔色で血の気が引く音を聞いていると、青年が軍靴の踵を鳴らしてつかつかと歩み寄ってきた。エリスの手から招待状を奪い取り、素早く中の書面に目を通した彼は、
「殿下の御前で妙な真似をしてみろ。どうなるか分かっているだろうな?」
ドスの利いた声音で脅し文句を吐き、エリスの頭部に生えた花をブチッとむしる。
青年の手中で夢のように溶け消えた幻想花に、ぞわりと凄まじい悪寒が全身を駆け巡った。第一王子の面前で粗相を働いた暁には、自分の命もあの花のように容易く消されるのだろう。
仏頂面の青年から「さっさと行け」と通行許可が下り、「ひゃいっ!」と情けなく裏返った声で返事をしたエリスは、まろぶようにギーゼラの元へ向かった。