第一話 新米書記官ファラー
王家の紋章が燦然と煌めく馬車が、美しく整備された街道を進んでいる。
馬車の周囲で警備に当たっているのは、蒼い制服を纏う第一王子専属騎士団――蒼華騎士団の面々だ。
「無理を言って付き添いを頼んでしまい、本当にすまない」
普段着よりも華やかな蒼と白を基調とした清涼感のある盛装姿のウィラードが、馬車の座席に座った状態で頭を下げる。
彼の正面の席では、小柄な騎士が居心地悪そうに身を縮めていた。
童顔のせいで少女のように見える騎士は、ふわりと波打つ亜麻色の癖毛を、頭の高い位置で結い上げている。分厚いレンズの丸眼鏡の奥には、澄んだ翡翠色の大きな瞳が隠されており、頬にはまばらにそばかすが散っていた。
この地味な顔立ちの騎士は、新米書記官のファラーという。
言わずもがな、正体は男装中のエリスだ。
「ウィラード様、謝らないで下さい! 私は視察に同行させて頂けて嬉しいです」
聖リュミエール王国には、花の女神フロス・ブルーメの神力の影響を強く受けた土地が、東西南北に四ヵ所存在している。
そのような場所は【聖域】と呼ばれ、神力を宿した土壌にて、福音に使用される多くの植物が培われていた。
聖花術師にも育てられない花がある。それが、樹木に分類されてしまう花木だ。
故に、聖域では花木を中心に、木の葉や木の実まで高値で取引されていた。
「視察先のマクニース領は、国内で最初に発見された聖域です。土壌に含まれる神力の成分は弱まる気配を見せませんし、最高品質の商品を良心的な価格で販売して下さるので、聖花術師業界では一番人気の領地なんですよ」
他三ヵ所の聖地を有する領主は、商品の品質に見合った値段よりも、十パーセントほど上乗せして販売している。
聖地毎に地質と馴染みやすい花木は違うので、マクニース産以外の素材が欲しければ、高くても購入する以外の選択肢はないのだ。
聖地で育った植物は、誰にでも馴染む濃密な神力が最初から浸透している。
摘み取った後も半月は瑞々しさを保つので、福音作りには大変重宝する素材だった。
「マクニース領の地質は、極東の国に生える花木に適してるんです。特に竹林が素晴らしいんですけど、福音の材料にする以外では、今の時期だとタケノコという食材が旬ですね。土から頭を出したばかりの竹なんですけど、これがまた絶品でして――……」
三年前。ギーゼラのお供でマクニース領を訪れたことがあるエリスは、当時の記憶を思い出しながら珍しく饒舌に語る。
しかし、途中で我に返った彼女は慌てて口を噤んだ。
向かいの席に座っているウィラードが、先ほどからずっと黙っている。
解呪役として同行しているのに、立場を忘れてはしゃいでしまい、「呆れられたのでは?」と不安に駆られた。
暫しの沈黙が流れた後、ウィラードの表情をそろりと伺えば――、
「どうしたんだい? 疲れたのかな?」
何故か彼は席を立ち、エリスの隣へ腰を下ろした。
「もう少しで到着するから、それまで私の肩に寄り掛かっているといい。マクニース領の視察は一日で済むけれど、今から無理をしていたら途中で体調を崩してしまう」
「い、いえ! 馬車での移動は慣れているので大丈夫です。それより、私ったら自分ばっかり喋るのに夢中で……すみません」
「? エリスの話はとても勉強になっているよ。何せ、今回の視察先は特殊だからね。書物だけの知識では心許ないと思っていたから大助かりだ」
「でしたら、いくらでも話します。少しでもウィラード様の力になりたいので……」
はにかむように微笑みながらエリスがそう言うと、ウィラードが驚いたように瞠目する。
彼がぱちくりと目を瞬かせている間に、エリスは上着のポケット内を探り出す。
「こちらも、今のうちにお渡ししておきますね」
そう言ってエリスが取り出したのは、コルクで栓をされた試験管だった。
試験管の中では青い花が、透明な液体の中で可憐に咲いている。
「視察中は普段より魔女に狙われやすいと思いまして。出掛ける前に呪いを防ぐ福音を使用しましたが、念のため、持ち歩きに便利な予備も用意したんです。小さいですけど、効果は変わらないので安心して下さい」
「ありがとう。これは最高のお守りだ」
手渡した小型の福音を、ウィラードは大事そうにジャケットの内ポケットに入れる。
無事に福音を受け取ってもらえたエリスは、心から嬉しそうに笑った。
彼女の喜びにつられて、馬車の中に黄色やオレンジ色の幻想花が咲く。
「…………」
その光景を目の当たりにして、再び沈黙してしまったウィラード。
馬車に酔ったのだろうかと心配して、エリスが彼の顔を覗き込もうとすると、即座に伸びてきた手で両目を覆われてしまう。
突然暗くなった視界に、エリスは思わず「ひゃっ!?」と裏返った声を上げた。
「ウィラード様、これでは何も見えません!」
「うん、そうだね。見せないようにしているから」
「えっ。でも、馬車の中は二人きりですよ? 私に見られて困るようなものは、何もないはずですよね?」
「たった今、見られて困るものが出来たんだ。ごめん、もう少しだけ待ってくれないか?」
「は、はぁ……」
――突然、どうしてしまったのだろう?
脳内に大量の疑問符が浮かんだが、エリスは大人しく目隠し状態を受け入れた。
「ウィラード様の手は大きいなぁ~」と、呑気な感想を抱く彼女は知らない。
すぐ隣に座っている婚約者の頬が微かに赤みを帯び、心臓がトコトコ駆け足になり始めたことを。
「……私に尽くして、どうしてそんなに喜ぶんだ……」
力になりたいと言って、微笑んだ笑顔に見惚れていたのに。
不意打ちで福音を贈られた後にも、エリスは春の陽だまりのような笑みを湛えていた。
「これは、期待しても良いのだろうか……?」
――ぽつり。
独り言ちたウィラードの微かな声は、馬車の車輪の音に掻き消された。




