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第九話 寄り添い合う心

「一つだけ聞かせて欲しい。君を落ちこぼれと呼ぶのは誰なんだ?」


 エリスの小さな手を優しくさすりながら、ウィラードが率直に切り出した。


 宵闇に包まれた寝台の中。半獣化の影響だろう。ウィラードの瑠璃色の瞳が、淡く光っているように見える。

 彼と目を合わせたら最後、その神秘的な眼差しに魅入ってしまい――気が付けばエリスは、思い出したくもない苦々しい昔話を語り始めていた。


「私は工房ラーシェルの工房主、デニス・マイフェルトの娘でした」

「! 教会が唯一、男性の工房主を許可している有名な工房じゃないか。優秀な聖花術師(せいかじゅつし)との間に子を儲け、娘のみ引き取り、工房で働かせているようだが……そうか、エリスはマイフェルト家の血を引いているのか。だけど、どうして過去形なんだい?」

「私が無意識に幻想花(げんそうか)を咲かせてしまう不気味な体質だから、五歳の誕生日に父親に捨てられてしまったんです」


 衝撃的な事実をサラッと口にしたエリスに、彼女の手を熱心に撫でさすっていたウィラードの手が、ぴたりと動きを止める。

 彼の動揺がありありと伝わってくるが、一度動き出したエリスの唇は、堰き止めていた記憶を吐き出し続けた。


「正確に言えば、母親の元へ送り返されたんですけど――母親は既に亡くなっていて、母方の祖父が私を育ててくれました。〝ファラー〟の姓も祖父のものです」

「そうだったのか……」

「祖父と一緒に暮らしていたのは小さな村で、畑を耕して細々と暮らしていました。ですが、五年前に流行り病で祖父が亡くなり、私も生死の淵を彷徨いまして……。もう駄目かと思った時、現在お世話になっている師匠に命を助けてもらったんです」


 二人の王子を取り巻く派閥争いの関係で、最近は疎遠になってしまったギーゼラ。

 五年前のあの日。彼女が偶然村に立ち寄らなければ、自分は今頃、母親や祖父と同じ冷たい土の下にいただろう。


「師匠は村の人達に無償で治癒の福音を作って下さいました。みんな、本物の女神様が降臨したのかと思って、とてもビックリしたんですよ。だって、それまで苦しんでいた病人が次々に回復したんですから」


 多くの聖花術師は人命に関係する福音を作りたがらない。

 天に御座す最も尊い神が定めた命数の尽きた者は、どんなに素晴らしい福音を使っても救えないからだ。


 大抵の場合、依頼人は大切な者の死を運命だと受け入れられず、福音を作った聖花術師の能力を非難する。

 人殺し扱いを受けた聖花術師の人気は下がり、それだけ依頼の件数も落ち込むのだが……ギーゼラは工房の評判など気に掛けもせず、縁も所縁もない村のため、たった一人で尽力してくれた。


 中には失われた命もある。しかし、ギーゼラの献身を間近で見ていた村人は、誰も彼女を責めたりはしなかった。

 むしろ、村の大恩人だと崇め奉る勢いで感謝をしたくらいだ。


「先ほどの質問にお答えしますね。私を落ちこぼれと呼んでいたのは、工房ラーシェルに関係するすべての人間です。父親に、腹違いの姉妹。工房に出入りする使用人にも馬鹿にされて――……聖花術師なんて仕事が大嫌いになりました」


 父親の工房で暮らしていた時に浴びせられた言葉の暴力は、大人になった今でも、ふとした瞬間に思い出して辛くなる。

 毎日が地獄のようで、「どうして私を産んだりしたの?」と、顔も知らない母親を怨んだりもした。


「だけど、たとえ落ちこぼれだと後ろ指を差されても、聖花術師の道を歩みたいと思わせてくれる人と巡り合いました。それが、私や村の人達の命を救ってくれた師匠です」

「なるほど。バッツドルフ殿は私の命の恩人でもあるけれど、以前から率先して人助けをする人格者だったんだね」

「はい。困っている人に迷わず救いの手を差し伸べる、師匠のような聖花術師になるのが私の夢なんです。……いえ、夢だったと言うべきですね。今の私はウィラード殿下の婚約者になってしまいましたから」

「? 確かにエリスは私の婚約者だけど、夢を諦める必要がどこにあるんだい?」


 予想外なウィラードの台詞に、エリスは「えっ?」と翡翠の瞳を大きく見開く。

 驚きを露わにするエリスに微笑むと、ウィラードは耳に心地良いテノールボイスで説明する。


「第一王子の婚約者が聖花術師でも、何らおかしくはないだろう。立場上慈善活動になってしまうけど、公務を疎かにしなければ、聖花術師の仕事を続けても何ら問題は無いよ」

「そ、そうなんですか? 私はてっきり聖花術師を辞めなければいけないと思ってました」

「婚約者である私が、聖花術師としてのエリスを誰よりも必要としているじゃないか。教会が認めた福音の作り手を独占しては、強欲の罪で天罰が下ってしまう」


 恐怖でかじかんでいた手はすっかり温かくなった。


 大切に包んでいたエリスの両手を解放したウィラードは、徐に彼女の背中へ腕を回す。

 正面から抱き込むような形で、子供を寝かしつけるようにぽんぽんと背を叩かれ、エリスは急速に頬を赤らめた。


 その拍子で幻想花が咲いたのか、寝室内にほのかな花の香りが広がる。


「……そ、そんな。大袈裟です……っ」

「いいや、これは紛れもない事実だよ。依頼人の寄る辺となり、何度失敗しようと挫けたりせず、求められた福音を完成させるべく努力を続ける。そんなエリスの存在に、私がどれほど救われているのか分かるかい?」


 旋毛の辺りに顔を埋められ、裏返った悲鳴を上げそうになるが、小さな違和感に気が付いたエリスは息を呑む。




 ――ウィラードの身体が、微かに震えているのだ。




 気遣い上手で、真面目過ぎるが故にちょっぴり頑固な一面もある。責任感が強くて仕事熱心な、心身共に強い絵に描いたような王子様だと思っていたのに……。

 今のウィラードからは、不用意に触れれば簡単に壊れてしまいそうなほど、儚く脆い雰囲気が漂っていた。


「人とも獣とも判断が付かない生き物に成り果て、私は酷く絶望させられた。だから、元に戻る手掛かりを求めて、独房に囚われていたエリスの元へ向かったんだ。君が魔女ではないと確信はしていたけれど、魔女に通じる情報を持っている可能性があったからね」

「すみません。何も、お役に立てなくて……」

「逆だよ。君は『解呪の福音を作って欲しい』という、この上なく難しい私の依頼を受けてくれた。呪われた事実を隠し通すため、必要に応じて解呪の口付けまでしてくれる。今の私が以前と変わらずに振舞えているのは、こうしてエリスが側にいてくれるからだ」


 穏やかなリズムでエリスの背中を叩いていた手が、今度は緩やかに長い髪を梳く。

 そこで一つ深呼吸をしたウィラードは、心底幸せそうに表情を緩めた。


「君の香りは私の心に安らぎをもたらしてくれる。いつも幻想花に囲まれているから、きっとその香りだろう。呪われてからまともに眠れていなかったけれど、エリスと夜を共にするようになってからは、自分でも驚くほど寝付きが良くなったんだよ。女性との共寝なんて、普通は緊張して余計に眠れなくなるはずなのにね」


 自嘲気味な響きに胸が苦しくなると同時に、浅慮な自分が情けなくなる。


 ウィラードのことを勝手に強い人だと思い込んでいた。

 けれど、ある日突然奇妙な呪いに侵されて、平然としていられる人間がどこにいる?


 呪われた張本人であるウィラードが、どれほど心細い想いをしたのか……ほんの少し想像力を働かせるだけで、容易に分かったはずだ。


「自分の意思と関係なく幻想花を咲かせてしまうのは、エリスの欠点ではなく個性だと思うんだ。現に私は幻想花の香りによって安眠を享受している。他の聖花術師と同じく、君から幻想花の香りが一切しなければ、私は今でも不眠の症状に悩まされていただろう」

「ウィラード様……」

「自覚は無いだろうけど、私はずっとエリスに救われ続けていたんだよ」


 頭上から「ありがとう」と、慈雨のような声が降ってくる。


 たった一言の感謝の言葉が、心の奥深くまで浸透したら――……どうしようもなく、堪らない気持ちになった。


「私が本当に、ウィラード様の力になれているなら……」


 おずおずと両腕を伸ばしたエリスは、控えめにウィラードを抱き締め返した。

 驚きに目を瞠った彼に気付かないふりをして、エリスは構わず言の葉を紡ぐ。


「これから先も全力で守りますから、たまには弱音を聞かせて下さい」

「それは、婚約者としての務め?」

「えっ? あ……すみません、そこまで深く考えていませんでした。ウィラード様が独りで頑張っているなら、どうにか支えたいと思ってしまったんです。えっと、その……こんなの、おこがましいですよね? 私なんかより、ジュダさんやマリオンさんの方が適任で……」

「嫌だ。エリスが良い」


 随分と子供っぽい発言に言葉を遮られ、今度はエリスが翡翠の瞳を大きく見開く。


 茫然としている彼女の頬に両手を添え、そっと顔を上向かせるウィラード。

 彼は闇夜で輝く獣特有の瞳を蕩けさせて笑った。


「エリスは本当に不思議な子だね。いつだって私の欲しいものを与えてくれる。最高の聖花術師であり、掛け替えのない大切な婚約者だ。エリスが私を守ってくれるのなら、私も身命を賭して君を守ろう」


 さらりと前髪を横に払われ、額に軽く口付けが落とされる。


 額へのキスは祝福を意味する。

 途方もない安心感が全身に行き渡ると、ようやく眠気が訪れた。


 ウィラードが温めてくれたお陰で、身体の震えは少し前から治まっており、瞼を閉ざせばすぐにでも眠りの世界へ落ちて行けそうだ。


(ウィラード様。私も貴方から、ずっと欲しかった言葉を沢山もらっているんですよ)


 本当は声に出して告げたかったが、エリスの口から出たのは小さな欠伸だった。

 クスっと微笑んだウィラードは、「そろそろ休もう」とエリスを促す。眠気が限界に達していたエリスは、こくりと首肯すると、ウィラードと抱き合ったまま眠りに就いた。


 そんな彼女からふわりと漂う天上界の香りに、ウィラードの意識も薄らいでゆく。






 この日を境に、エリスがウィラードの尻尾を抱き枕にすることはなくなったが――、


 代わりに、エリスがウィラードの抱き枕にされるようになり、相変わらず心臓に悪い目覚めは続くのだった。

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