第八話 白昼の襲撃者
(もう少しここに居たいけど、わがままを言ったらウィラード様を困らせちゃうよね。それに、解呪の福音の実験もしないといけないし……)
自分に贈られた麗らかな春色の景色を、もっとじっくり堪能したかったが、聖花は調合予定に合わせて育てていた。
あまり遅い時間になってしまうと花弁が閉じてしまうし、新しく調達した種も撒かなければならない。
それなら……と、エリスはポケットから清潔なハンカチを取り出す。
「すみません、十秒だけ時間を下さい!」
ウィラードの返事を待たずにその場へしゃがみ込む。
柔らかな芝生の上に落ちているミモザの中から、なるべく状態の良い物をいくつか選ぶと、素早く拾い丁寧にハンカチで包んだ。
「お待たせしました。もう大丈夫です」
立ち上がってハンカチをポケットへしまっていると、ウィラードから「何をしていたんだい?」と不思議そうに尋ねられた。
はにかむように小さく笑んだエリスが「後で分かりますよ」と答えれば、ウィラードは無言で目を瞬かせる。
やがて彼は、ふっと吐息交じりに微笑を零す。
それは陰りなど見当たらない、普段通りの柔らかな微笑みだった。
「おや? ジュダが私の言い付けを破るなんて珍しいな」
ウィラードから腕を差し出され、エリスが手を添えようとしていた時だ。
回廊で待機しているはずのジュダが、こちらへ走ってくるのが見えた。
「何か問題でも発生したのかな?」と、エリスが嫌な予感を覚えた――次の瞬間。
ウィラードに腕を掴まれたと思えば、強引に彼の胸元へ抱き寄せられた。
(な、何なの……?)
突然の出来事にエリスが目を白黒させていると、近くの低木がガサガサと大きく揺れて、中から三人の黒装束の男が現れた。
全員がフードを目深にかぶり、口元をマスクで覆っている。手にしているのは昼下がりの中庭に似つかわしくない、大きく刀身が反った特徴的な剣。
一目で暗殺者だと分かる物騒な出で立ちに、エリスの全身にゾクリと怖気が走った。
「危ないから私の背中に隠れているんだ。大丈夫、絶対に君を守るから」
白昼の襲撃者に怯えるエリスを背後へ庇い、ウィラードがローブの裾を払う。
流れるような動作で剣帯から剣を引き抜いた彼は、無言で襲い掛かってきた男と激しく斬り結ぶ。
「殿下、参上が遅れて申し訳ありません!」
走っている間に抜刀したのだろう。主に迫るもう二人の男を、ジュダが使い込まれた剣で斬り伏せようとする。
しかし、男達は軽い身のこなしで彼の刃を避けると、今度は同時に三日月刀を突き出した。
眼前に迫る二本の刀身を、ジュダは返す刀で弾き飛ばす。
二対一で不利な戦いかと思われたが、蒼華騎士団を束ねる長の力は伊達ではなかった。
ウィラードの方も危なげない剣捌きで、暗殺者と互角に渡り合っているが、危険な状態が続いているのに変わりはない。
(こ、怖い……けど、私がどうにかしないと!)
城内は至る所に衛兵が配置されており、当番の騎士が何組も巡回している。不審者に遭遇したら迷わず逃げて、彼等へ助けを求めるのが最善だ――と、以前ジュダから教わっていた。
中庭の周辺だけ、警備が手薄だとは考え難い。
怖気付きそうになる己を叱咤して、エリスは大きく息を吸い込み、
「いやあぁぁっ! 不審者よ、誰か助けてぇぇ――!」
なるべく遠くまで聞こえるように、甲高い悲鳴を張り上げた。
誰でも良いから、どうか助けがきますように――と、エリスが必死に祈っていた時だ。
攻撃一辺倒だった暗殺者達が、武器を振るう手をピタリと止めた。後方へ大きく飛び退った彼等は素早く目配せすると、瞬時に逃走を選択して実行に移す。
「ジュダ、奴等を追ってくれ!」
ウィラードから鋭い声で命じられたジュダは、「はっ!」と応じて疾風の如く駆け出した。
剣を鞘に収めたウィラードは、振り向くと同時にエリスを抱き締める。
小刻みに震えている小さな背中を撫でながら、彼は努めて優しく言葉を紡ぐ。
「勇気を出して助けを呼んでくれてありがとう。良く頑張ったね」
「……っ」
何度も繰り返し、ウィラードが「大丈夫」と口に出す。その言葉はまるで魔法のように、恐怖で凍り付いたエリスの心をじんわりと溶かした。
やがて、エリスの悲鳴を聞いた巡回の騎士が駆け付ける。
彼らに現状の説明をしている最中も、ウィラードは決してエリスを離したりしなかった。
✿ ✿ ✿
宵闇に包まれたウィラードの寝室。
柔らかな布団の中で、エリスは身を丸めて小さく震えていた。
「やっぱり、昼間にあんなことがあったから眠れないよね」
不意に囁くような小さな声が聞こえて、ビクッと大きく肩が跳ねる。
もぞもぞと右側に寝返りを打てば、暗闇に慣れた瞳がウィラードの姿を捉えた。
いつもはベッドに入ると、お互い端に寄って背中合わせで寝入っていた。
――けれど、今夜は違う。
エリスはいつも通り左端に寄っていたが、ウィラードはベッドの真ん中で横になり、静かに彼女の様子を見守っていたのだ。
「こっちへおいで。眠たくなるまで何か話でもしよう」
「えっ。でも……」
「エリスが嫌がることはしないと国教神様に誓うから。だから、ね? 一人で怖がったりしないで、こんな時くらい私を頼って欲しいな」
布団をめくったウィラードは、自分の隣をぽんぽんと軽く手のひらで叩く。
正直、このお誘いはありがたかった。
昼間に自分達を襲撃した暗殺者は、ジュダの追跡を振り切って姿を消したそうだ。蒼華騎士団が中心となり捜索を続けているが、未だに捕縛の報告はもたらされていない。
蒼の宮殿は主の命が狙われたとあって、厳戒態勢が敷かれている。
今だって、ジュダが鍛え上げた蒼華の騎士が夜警をしているが、それでもエリスは嫌な想像をしてしまうのだ。
警備の隙を突いて、再び暗殺者達が現れるのではないか――と。
(同じベッドで眠ってる時点で、女性らしい慎みとか考えても無駄だよね)
折角の好意を無碍にするのも失礼だ。
一人で恐怖心と戦うのも限界だったので、エリスは素直にウィラードの隣へ移動する。
「手を貸してごらん。恐怖は身体を冷やすから、ちゃんと温めないと眠気も訪れないよ」
返事をする前に両の手を取られ、男らしい大きな手に包まれた。
恐怖に凍えていたのは心だけではなかったようだ。
ウィラードの指摘通り肉体も冷え切っており、彼の手から分け与えられる温もりに、エリスは我知らずほうっと安堵の息を吐く。
「思った以上に冷えてしまっているね。……ごめん。こんなことなら、もっと早く声をかけていればよかった。半獣の体温は人間よりも高いから、湯たんぽ代わりになれるからね」
そこでわずかに逡巡する間を置いて、ウィラードが「少し失礼するよ」と告げる。
エリスが怪訝に思っていると、足にふさふさの尻尾が巻き付いてきた。
足の先まで冷たくなっていたので、嬉しい心遣いだったが……どうしても〝例の件〟が気になってしまう。
「ウィラード様、色々とご配慮頂きありがとうございます。でも、尻尾に何か触れるのはくすぐったいんですよね? 私なんかのために無理はしないで下さい」
「自分の意思で動かす分には大丈夫だから、私のことは気にせず温まりなさい。それよりも、『私なんか』とは聞き捨てならないな。出会った時から感じていたけれど、エリスは自分を過小評価し過ぎているよ」
「そ、そんなことありませんよ。私が落ちこぼれの聖花術師なのは事実ですから。むしろ、私に対するウィラード様の評価が高過ぎると思うんですけど……」
「いいや、適正な評価だ。エリスは花祝の儀に参加するだけの実力がある。本当に君が落ちこぼれだとしたら、そもそも教会から招待状は届いていないはずだろう。違うかい?」
ぐずる幼子を諭すように問われ、エリスは「うぐっ」と言葉に詰まる。
ウィラードの指摘はもっともに思えたが、それでも、感情の起伏で幻想花を暴発させる花咲き体質は異端だ。
普通の聖花術師なら、無意識に幻想花を咲かせることなどあり得ない。
だから、落ちこぼれだと蔑まれ、出来損ないと罵倒され……最後は、不良品として捨てられた。
遠い昔の色褪せた記憶が蘇り、心に残された傷痕が疼くように痛む。




