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第七話 赤の王子

 両手で顔を隠しているのに、指の隙間からは薔薇色に熱を帯びた頬が見えている。

 婚約者の初々しい反応に、ウィラードはより一層笑みを深くした。


 宙を漂う幻想花(げんそうか)が完全に消失するまで待ち、共に満開のミモザを眺めようと、ウィラードがエリスを促そうとした――その時。




「このような場所で何をなさっておられるのですか、兄上」




 第三者の声が遠くから聞こえ、ウィラードが小さく息を呑む。


 未だに顔は燃えるように熱いが、声の主が口にした「兄上」という単語が引っ掛かった。

 エリスは顔を覆っていた手のひらを外し、こちらへ歩み寄ってくる人物を見遣る。


 陽光を浴びて金色に輝く柔らかな髪を、頭の低い位置で一つに結わえた青年だ。

 つり目がちな双眸はルビーを髣髴とさせる真紅。纏う衣装も紅色を基調としており、差し色の黒と刺繍に使われている銀糸が、厳格で近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。


(この人……会うのは初めてだけど、クリストファー殿下だよね?)


 ウィラードを兄と称するのは王城内でただ一人。

 聖リュミエール王国の第二王子である、クリストファー・ロス・ランドルリーベしかいない。


 表情から感情が読み取れない、氷像を思わせる凍てついた美貌だ。

 兄のすぐ側で立ち止まった紅の王子は、口元に酷薄な笑みを刻んでぽつりと呟く。


「穢らわしい呪われた身で、あまり城内をうろつかないで頂きたい。呪いを解く術など存在しないのだから、大人しく蒼の宮殿に引きこもっていれば良いのですよ。兄上の姿が視界に入るだけでも不愉快だと、何故理解出来ないのですか?」


 声変りを済ませた男性にしては、少年らしさを残した高めの声だったが、語られた内容はどす黒い悪意に塗れていた。

 庇うようにエリスを抱き寄せたウィラードは、冷静な語調で弟を諫める。


「止めないか、クリス。どこで誰が聞いているか分からない。私の現状について軽々しく口外しないよう、父上から厳しく言いつけられているはずだろう」


 ウィラードが呪われた件に関して、未だに厳重な箝口令が敷かれていた。

 それを承知の上でわざと話題に出したのだろう。兄から注意を受けたクリストファーは、悪びれた様子もなく冷笑を浮かべている。


「あぁ、そうでした。兄上の平和呆けが移ったのかもしれません。今後はうっかり口を滑らせぬよう気を付けますよ。得をするのは僕だけですから」

「クリス……最近のお前はすっかり変わってしまったな。そんな他人行儀な話し方、以前はしていなかっただろう? 私が気に障るようなことをしてしまったのであれば教えて欲しい。行動を改めてきちんと謝罪をする。だから、兄弟同士でいがみ合うのはやめにしないか?」

「何を仰られているのか分かりかねます。僕は元からこの性格ですし、兄上と親しく接する必要性も感じられません。幼稚な兄弟ごっこをお求めでしたら他の者を当たって下さい」


 懸命に心の溝を埋めようとする兄を、クリストファーは素気無くあしらう。


 酷く落胆して唇を噛み締めるウィラードに、エリスの気持ちもどんより重く沈む。

 同時に、居丈高なクリストファーの態度に激しい苛立ちを覚えた。


(信じられない! こんな傲慢な人が、この国の第二王子だったの!? そんなにウィラード様を嫌ってるなら、わざわざ嫌味なんて言いにこなければいいのに。これじゃあ、無差別に喧嘩を吹っ掛けてくる貧民街のゴロツキと同じよ)


 ウィラードから捧げられた、彼らしさを表す心温まる風景。

 今しか見ることの出来ない特別な景色を、これから心に刻み込もうとしていたのに、とんだ邪魔が入ったものだ。


 エリスが胸中でこれでもかと憤慨していると、不意にクリストファーと目が合った。

 すると、上から下へ値踏みをするような視線が這わされる。


「なるほど、この娘が兄上の婚約者ですか。僕の護衛に就いている聖花術師(せいかじゅつし)の弟子だそうですね。兄上だけでも疎ましいというのに、礼儀知らずの庶民は更に目障りです。早急に関係を清算して、城外へ放り出して下さいませんか?」

「…………」


 面と向かって婚約者を罵倒されたウィラードは、無言でエリスと弟の間に立ちはだかる。


 視界一杯に広がったウィラードの広い背中。

 自分を守ってくれているのだと頼もしく感じる反面、表情が見えなくなった分、彼から放たれる冴えた空気に肌が粟立つ。


「悪口を垂れるのは私だけにしろ。二度と、私の大事な婚約者を悪し様に言うな」


 初めて聞いた、地の底から響くようなウィラードの低い声。


 庇われている立場だというのに、背筋を冷たいものが走る。

 今の台詞は本当にウィラードが口にしたものだろうか? 決して口調は荒げていないのに、彼が弟へ放った言葉には、重く冷たい殺気が込められていた。


(ウィラード様が、私のために怒ってくれてる……)


 嬉しいと思う気持ちが無いと言えば嘘になる。けれど、普段は誰よりも温厚なウィラードが静かに怒る様は、見ているだけで心が痛む。

 自分が原因でそうさせてしまっているのだから、エリスの胸は一段と切なく締め付けられた。


「軽口を本気にするとは、相変わらず兄上は単純ですね。興が醒めましたので、僕はこの辺で失礼させて頂きます」


 どれほど図太い神経をしているのやら。

 本気の怒りを露わにする兄へ、赤の王子は嘲笑交じりにそう告げると、軍靴の踵をカツカツ鳴らして去って行く。


 完全にクリストファーの姿が見えなくなると、ウィラードは詰めていた息を吐き出した。


「嫌な思いをさせてしまって本当にごめん。こんな場所でクリスと鉢合わせするなんて、想定外で驚いてしまったよ」


 つい今し方まで、殺気に近い気配を纏っていたのに――。

 ゆったりと振り返ったウィラードは、困ったように眉尻を下げて笑っていた。


 どこか自虐的に見える儚げな微笑に、エリスの胸の奥がツキンと痛む。

 何か気の利いた言葉を掛けようと、必死に頭の中を掘り起こしてみたが、そんな物はどこにも見当たらなくて。どうしようもない歯痒さから、拳を力一杯握り締めた。


「残念だけど、今日のところは蒼の宮殿に帰ろうか。教会へ種を取りに行ったマリオンが、そろそろ戻ってくる頃合いだ。回廊に待機させているジュダも焦れているだろう」


 そう言えば、先ほどからジュダの姿が見当たらないことに気付く。


(事前に打ち合わせをして、中庭の中でだけ二人きりにしてもらったのかな?)


 絶対の忠誠を誓う主が敵対派閥の第二王子に絡まれたのだ。近くにジュダがいたら、物凄い勢いで飛んできて応戦しただろうに。

 だが、彼が待っている回廊付近は、この位置からだと死角になっている。こちらから大声で呼ばない限り、ジュダは主の命を守り続けるだろう。

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