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第四話 青の王子のアプローチ

(あっ、考え事してる場合じゃなかった。早く聖水を作らないと)


 福音作りは花嫁修業を終えた後に行うので、使用する聖花(せいか)は調合の直前に摘む。

 なので、残る作業はジョウロでの水遣りだった。


 たっぷりと水が入ったジョウロの前に膝を付き、ひんやりと冷たいブリキの表面へ両手を添える。

 静かに瞼を閉ざしたエリスは、手のひらに集めた神力をジョウロの中へ移動させ、ただの水を神聖な力を宿す聖水へと変えてゆく。


 神力が程よく水に溶け込むと、翡翠色の瞳が静かに開かれた。


 細い腕で重たいジョウロを持ち上げたエリスは、それでもよろけたりはせず、聖花の花弁を傷めぬよう丁寧に散水する。

 ジョウロの先端から慈雨のように降り注ぐ水は、神力を帯びて薄っすらと金色に輝いていた。


(即席の花壇だから土の状態が不安だったけど、どの花も元気に成長してくれてよかった。欲しい種もすぐ手に入るし、解呪の研究をするには最高の環境よね)


 空になったジョウロを、急ごしらえの園芸用品置き場へ戻して一息吐く。


 事前にマリオンが木桶に汲んでおいてくれた水で、汚れた手を念入りに洗っていると、執務室のフレンチドアが開く音が聞こえた。

 反射的に振り向くと、テラスに出てきたジュダから小さく手招きされる。その表情はどこか気まずそうだ。


 濡れた手をエプロンで拭ったエリスは、口早に作業の終了をマリオンへ告げると、急いで執務室へと駆け込む。

 室内で待っていたウィラードは、まろぶように駆け付けたエリスを見て、申し訳なさそうに眉尻と獣耳を垂らす。


「仕事中に呼び出してすまない。急な会合に呼ばれてしまったんだけど、呪いを解いてもらえるだろうか?」

「は、はいっ!」


 本日のウィラードは淡い水色のベストの上に、裾が長い濃紺の上着を纏っている。

 襟や袖口など金糸で細やかな刺繍が施され、カフスボタンやタイピンでは、純度の高いサファイヤがきらめきを放つ。極めつけは、内面の高潔さが滲み出る凛然とした面立ちだ。


 今日も今日とて、青の王子様は目が眩まんばかりの美しさである。


「……失礼します」


 ぎこちない仕草でウィラードの右手を取り、その甲へそっと口付けを落とす。

 この一週間で何度も経験した行為だが、数をこなしても一向に慣れる気配はない。頬を赤らめて口付けをするエリスは、無意識にポポンと桃色の幻想花(げんそうか)を咲かせる。


 唇を介して解呪の力を分け与えているので、皮膚に触れている時間が短ければ、一瞬で効果が切れてしまう。

 今の所、十秒間の口付けで一時間の解呪が最長記録である。それより長く口付けをしても、一時間経てば解呪の効果は切れてしまうのだ。


(お願い、早く終わって。心臓が破裂して死んじゃいそう……)


 手の甲へのキスは敬愛を意味するので、唇同士よりも抵抗感はかなり薄れた。

 それでも、相手が大人の男性――しかも、とんでもなく爽やかな美貌の王子様なのだから、意識するなと言う方が無理な話だ。


 ウィラードの手のひらに触れている指先から、彼の体温がじんわりと伝わってくる。

 剣を扱う手のひらは硬いのに、唇を当てている手の甲の皮膚は滑らかだ。


 恋愛初心者のエリスは、バクバクと激しい己の鼓動を聞きながら、永遠とも思える十秒が経過するのを待った。


「ありがとう。もう、大丈夫だよ」


 柔和な声が頭上から降ってくる。

 暴走する心臓を宥めつつエリスが顔を上げると、既にウィラードは人間の姿に戻っていた。


 穏やかな微笑を湛えた彼は、それまで口付けされていた右手を伸ばし、エリスのまろい頬を優しく撫でる。その手付きは壊れ物でも扱うかのように優しくて、エリスの顔が一瞬で真っ赤に染め上げられた。

 追加でポポンと咲いた桃色の幻想花が、室内を甘やかな香気で満たす。


「それじゃあ、行ってくるね」


 天上界の花に囲まれているエリスにそう告げると、口付けのために外していた手袋を右手にはめ、ウィラードはジュダを伴い執務室から出て行く。

 撫でられた頬を左手で押さえ、エリスは目を白黒させる。それでも彼女は部屋の扉が完全に締まる前に、どうにか喉の奥から「行ってらっしゃいませ」と声を絞り出した。


(このタイミングでボディタッチとか、ウィラード様は私を殺すつもりなの!?)


 ドッドッドッ――と、心臓の音がうるさい。

 今にも胸を突き破って外に飛び出そうだ。


 ウィラードは真面目が服を着て歩いているような存在である。


 彼は「お飾りの婚約者にしたくない」と宣言した通り、エリスとの仲を深めるべく、さり気ないアプローチを仕掛けてくるようになった。

 手段やタイミングは特に決まっていない。心の準備をする暇も与えられない不意打ちばかりで、その都度エリスは羞恥心を爆発させていた。


(うぅ~、恥ずかしい……けど……)


 激しく掻き乱された心には少しの不快感も残らない。


 こんなにも容易く乙女心をときめかせてしまうのだ。きっとウィラードには、親しく交流している令嬢が大勢いるだろう……と思ったのだが、実際のところ彼が心を許した女性は、これまで一人も存在していないのだとか。


 こっそりと実情を教えてくれたマリオン曰く、


『ウィルの実直な性格は長所だけど、時と場合によっては短所にもなり得るのよ。特に恋愛面では融通が利かないったりゃありゃしない! 社交の場でダンスくらいは踊るけど、それ以上は結婚前提の関係になってからだって、昔っから言い分を曲げないんだから』


 ――とのこと。

 なんとウィラードは、未だに次期国王の選定がされていないせいで、「婚約は己の立場が定まってからだ」と、舞い込む縁談をすべて断っていたらしい。


 エリスがウィラードの婚約者になったのは、教会の調合室で彼に唇を奪われたから。

 これから先も呪いが完全に解けるまで、解呪の力が宿る口付けは必要となるので、かなりの強硬手段で責任を取られたのだ。


 しかし、それだけで留まらないのがウィラードである。

 変に頑固――もとい、何事にも真摯に向き合う彼は、愛の無い婚約を幸せな方向へ導こうとし始めていた。


(私なんか、都合良く利用すればいいのに……)


 事実、ウィラードはそれが可能な立場にある。

 けれど、彼は権力を振りかざしたりはせず、身分の垣根を越えてエリスに歩み寄ろうとしていた。


 湯気が出そうなほど赤面したまま、エリスは痛いくらいに脈打つ胸を服の上から押さえる。


(どうしよう。こんなことをされ続けたら困るわ)


 今はまだ、「異性と縁遠い生活を送っていたので、軽いアプローチでも過剰反応してしまう」と冷静な答えを出せる。

 しかし、人間の心は誤認しやすい。この胸の高鳴りを、いつか恋心だと勘違いしてしまいそうで――……。


 そんなことを考えたエリスは、より一層頬を赤らめてポンッと幻想花を咲かせた。

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