第三話 気苦労が絶えない婚約者生活
「さぁ、お喋りはおしまい! 早く聖花のお世話をしないと、花嫁修業の時間に間に合わなくなるわよ?」
パンパンと軽く手を叩いて、マリオンが一方的に会話を切り上げる。
彼の言う通り、着替えの時間を加味すると、このままでは花嫁修業の時刻に遅れてしまう。
ドレスのまま庭仕事が出来たら楽なのに――とも思うが、そんなのは無理だとエリスは即座に却下する。
自分のために用意された衣装と宝飾品は、どれもこれも最高級品ばかりだ。総額は知りたくない。きっと、飛び出た目玉がどこかへ転がって行ってしまう額だから。
(庭師の衣装も豪華だけど、これは仕事中の姿が王侯貴族の目に入っても、見苦しくないように配慮されてるんだよね)
現在エリスが纏っているのは、王城に仕える庭師用の作業着である。
花壇の手入れを任される庭師は決まって女性だ。
聖花術師ほどではないにしろ、花に深く携わる職業なので、花を司る国教神と同じ性別が自ずと求められる。作業着も華美で、裾の長いエプロンドレスが主流だ。
蒼の宮殿の庭師に扮しているエリスは、青色のドレスに白いエプロンを着用している。
至る所にレースやフリルがあしらわれた甘く可憐なデザインは、庶民からしてみれば、よそ行きの一張羅よりも豪奢だった。青いボンネットも花飾りやリボンで装飾されている。
(こんなゴテゴテした服装で作業するとか、お城で働くのも大変ね。その分、お給料は良いんだろうけど、私は工房で着てた服の方が落ち着くなぁ)
エリスが外に出ている間は、蒼華騎士団の見回りは行われない手筈になっている。
しかし、情報伝達に不備が生じる可能性はゼロではない。誤って巡回にきた騎士と鉢合わせ、第一王子の婚約者が庭仕事をしていると知られたら事だ。
故に、作業に不向きな作業着という矛盾した格好で、聖花の手入れを行う必要があった。
念のため、深くボンネットをかぶって顔を隠しているが――よもや、偶然鉢合わせた騎士も、庭師の小娘がウィラードの婚約者とは思うまい。
(さてと、今日もお仕事頑張りますか!)
グイッと腕捲りをしたエリスは花の状態を確認すべく、即席で作られた花壇の中へ入る。
(それにしても……王城での暮らしって、まったく自由がないのね。まぁ、教会で研究対象にされるのと比べたら、天国のような待遇なんだろうけど)
いつ現れるか知れない魔女の襲撃に備えて、常にジュダかマリオンが護衛をしてくれるのは助かる。
だが、聖花の手入れと花嫁修業以外の時間を、ウィラードと共にしなければならないのは……はっきり言って、心臓がいくつあっても足りないくらいだ。
別に、ウィラードを嫌っているわけではない。彼はいつだって紳士的で、不出来な婚約者にも優しく接してくれる。
弟子が第一王子の婚約者になったと報告を受け、血相を変えて蒼の宮殿に飛んできたギーゼラにも、丁寧な対応をしてくれたのも好印象だ。
(師匠に嘘吐いちゃったけど、いつか本当のことを話せる日はくるのかな?)
ギーゼラは最初から最後まで、エリスの心配ばかりしていた。
庶民が王室に嫁げば、辛く苦しい思いをするのは目に見えている。
それでも、「私、幸せになってみせます」と宣言したエリスの言葉を信じたのだろう。最終的にギーゼラは、弟子と第一王子の婚約を祝福した。
勿論、エリスの発言は演技だ。ギーゼラの到来に備えて、実際にウィラードと何度も練習をしていた。
企画立案の総指揮は言わずもがなマリオンである。
(いやいや、よく考えたら師匠に真実を話すとか絶対に無理だよ! 恋愛感情皆無の、清くも正しくもない交際なんだから)
ウィラードが客人と会ったり、やむなく外出する際は、一時的に呪いを解くべくエリスが口付けを行っていた。
夜など婚前であるにもかかわらず、急事に備えて寝室を一緒にされ、キングサイズのベッドで共寝をしている有り様だ。
弟子のこんな状況を知ったら、ギーゼラは精神に大打撃を受けて卒倒するだろう。
せめてもの救いは、口付けが唇同士ではない点だった。
簡易解呪で重要なのは、エリスの唇が対象者の皮膚に接することである。なので、ウィラードの呪いを解く時は、もっぱら手の甲に唇を落としていたりする。
同衾の真相も間抜けなもので……「床で眠る」とお互いにベッドを譲り合った結果、「そんなことしたら身体を壊すでしょうが!」と、マリオンに一喝されたからだ。
寝室以外の部屋には見回りがくる可能性があるので、エリスはウィラードと同じ部屋で休む以外に選択肢はなかった。エリス用の寝具を新たに調達しないのも、部屋の掃除をするメイドにあらぬ誤解をさせないためである。
(ジュダさんは寝室の隣にある、護衛騎士専用の部屋で寝起きしてるし、マリオンさんは来客用の別館に泊ってる。それなのに、ウィラード様の寝室に余分な寝具一式があったら、『誰が使ってるの?』って疑問に思われちゃうもんね)
婚前交渉やウィラードの不貞など、ありもしない噂が独り歩きするのは避けるべきだ。
(目下の問題は私のありえない寝相だわ。ウィラード様は『決して不埒な行為はしない』と国教神様に誓ってくれたし、細やかな気遣いまでしてくれてる。それなのに、肝心の私が全部台無しにしてるとか……駄目だ、申し訳なさと恥ずかしさで死にたくなってきた)
ウィラードとエリスはベッドの両端に寄り、お互いに背を向けて眠りに就いている。
それなのに、朝を迎える頃にはいつもエリスがウィラードの背中へくっ付き、あろうことか彼の尻尾を抱き枕代わりにしているのだ。
大海の如く心が広いウィラードは、眠っている間の出来事だから気に病む必要はないと、毎回の不敬行為を笑って許してくれる。
しかし、自国の王子の尻尾を抱き締めたまま迎える目覚めは、確実にエリスの寿命を縮めにかかっていた。
(異性の尻尾に触るのって逆セクハラになるのかな? 罰せられるとしたらどんな罪? というか、尻尾に触る罪ってウィラード様にしか適用されないよね?)
雑草をブチブチ引っこ抜きながら、エリスはげんなりと溜め息を吐く。
あれこれ物思いに耽っている間にも、花壇の手入れは順調に進められていた。
すべての花の状態を確認したが、どれも問題無く元気に育っている。
芽が出過ぎた箇所は適度に間引き、色や形に難のある物も事前に摘み取った。
こうすると、福音に使う花へ効率良く栄養が渡るのだ。




