第二話 オネェ枢機卿の献身
「マリオンさん、いつもお水を運んでもらってすみません」
テラスから中庭へ降り立ったエリスは、小走りにマリオンの元へ向かう。
「やーねぇ。あたし、こう見えて腕っぷしには自信があるの。エリスには花嫁修業の時間以外、ウィルの側にいてもらわないと困るんだから、思う存分あたしを扱き使ってちょうだい。この前、あんたが作ってくれた福音のお礼もまだなんだし」
「お礼なんて必要ありませんよ! あれは解呪の福音のヒントが欲しくて、試しに作成した物ですから!」
解呪の福音の研究を始めてすぐ、エリスは呪いを防ぐ福音を完成させていた。
呪いを弾き飛ばす効果があるので、すでに掛かってしまった呪いも身の内から弾き飛ばせないだろうかと、ダメ元で生み出した作品だったりする。
結果は失敗に終わったが、その福音を作っている時に気付いたのだ。
自分やウィラードの側にいて、護衛をしてくれているジュダとマリオン。
彼等も魔女からしてみれば邪魔者で、呪いの標的になりかねない――……と。
「ウィラード様を始め、マリオンさんとジュダさんには感謝してるんです。魔女として捕らえられていた私を助けてくれて、今も守ってくれてるじゃないですか。だから、少しでもお役に立ちたいなぁ……と思いまして」
「あたしとジュダ、二人分も高度な技術が必要な福音を作ったりして……相当疲れたでしょうに。呪いを恐れる必要がなくなっただけでも、あたし達は大助かりよ。気を遣ってくれてありがとね」
「いえ、そんな……」
大したことはしてませんよ――と、続けようとした言葉が途中で止まる。
マリオンが「しーっ」と自身の唇に人差し指を当てたからだ。
「お礼は素直に受け取るように。人間関係を円滑にするコツよ」
満面の笑みを湛えたマリオンから「分かった?」と問われ、エリスは無言でこくりと頷いた。
男でも女でも。とてつもない美人の微笑は、他者に有無を言わせぬ迫力を持つ。
実際にその効果を体験したエリスは、〝美しさは武器だ〟と頭の片隅にそっとメモした。
「そんなことより、聖花の成長は順調かしら? 花壇の数が足りないようなら、地面のタイル叩き割ってもう何ヵ所か作るけど?」
「聖花は問題なく育ってますよ。一日に作れる福音の数には限りがあるので、花壇の数は今のままで大丈夫そうです。――あっ。研究で試したい花をリストアップしたので、種の調達だけお願い出来ますか?」
ジュダにもらった飴を入れた逆のポケットから、小さく折り畳んだ上質な羊皮紙を取り出す。
花壇の横にジョウロを置いたマリオンは、エリスから手渡されたメモをその場で開き、素早く内容に目を通す。
「ふむふむ、今回は東方と南方の花を使うのね。教会に在庫があったはずだから、聖花の手入れが終わり次第ちゃちゃっと取ってくるわ。このマリオン様に安心して任せなさい!」
「あの。いつも思ってたんですけど、教会が保管してる種を使って大丈夫なんですか? 教皇様に許可を取ったりは……」
「するわけないでしょ、理由を説明出来ないんだから」
「? ウィラード様の呪いを解く研究用では、納得してもらえないんですか?」
エリスが小首を傾げて尋ねると、マリオンは呆れ混じりの溜め息を吐いた。
「まったく、少しは自分の立場を考えて発言しなさいよねぇ。あんたに解呪の力があるって知られたら、教会は王家に身柄の引き渡しを要請するわ。何たって、初めて見つけた完全な解呪への手掛かりだもの。生かさず殺さず、モルモットみたいに扱われるのがオチよ」
「ひっ! 私、実験動物にされるんですか!?」
「そうさせないために、あたしがあれこれ手を尽くしてるんでしょうが。深く感謝して一生恩に着なさいよね」
「マリオンさんのお陰で、今日も人間らしい一日が送れます! 私の力を教会に黙っていて下さって、本当にありがとうございます!」
第一王子の婚約者にされた時、王家はなんて強引なんだと心の中で憤ったものだ。
しかし、人として丁重に扱われているだけ、教会で受ける対応よりも遥かにマシだったとは……。
(いくら解呪の研究が大切だからって、この国の聖職者に慈悲の心はないのかしら?)
エリスが本気でお礼を告げると、用済みのメモを畳んで懐へしまったマリオンは、「ふふん」と自慢げに胸を逸らす。
「解呪の福音の作り方を発見したら、出し惜しみなんかしないで、国中の聖花術師へ大々的に広めるの。呪いが脅威でなくなったら、教会連中もそこまであんたに固執しないはずよ」
「なるほど……」
「そしてあたしは、解呪法の発見に一役買った功労者として国中に名を馳せるの! 民衆の人気を独り占めにしたら、次期教皇の座は手に入れたも同然だわ! そんな輝かしい未来を実現するためなら、花の種くらいいくらでも用意するわよ」
「…………」
途中まで良い話だったのに、最後の最後で聖職者らしからぬ出世欲が顔を出す。
上層部の枢機卿がこれでは、冗談抜きで教会の未来が不安になってくる。
エリスの中で急上昇していたマリオンの株は、すとんと元の位置まで落ちた。
「マリオンさん。もう一つだけ、質問しても良いですか?」
「別に構わないわよ。――で、何が聞きたいの?」
「えっと、これはただの好奇心なんですけど……どうしてマリオンさんは、次期教皇様を目指してるんですか?」
他の枢機卿の面々も口に出さないだけで、次期教皇の座を狙っているだろう。しかし、マリオンの出世に対する情熱は、あまりに度が過ぎているように感じた。
大貴族プロイツ公爵家の人間なのだから、そこまで権力に固執する必要はないだろうに。
「んー。開けっ広げに言っちゃうと、あたしの自己満足な恩返しのためよ」
さやさやと下草を撫でた風が、マリオンの長い髪を揺らす。
頬に落ちた横髪を耳の裏にかけつつ、彼は伏し目がちに過去の記憶をなぞる。
「あたし、昔からこんな口調でね。可愛い物も大好きだったから、同年代の子供達からいじめられてたの。『男のクセに女みたいで気持ち悪い』――って。そんな中、いつも庇ってくれる子がいたのよ。誰だと思う?」
「もしかして、ウィラード様ですか?」
「正解。『男も女も関係無い。自分に正直に生きて何が悪いんだ』って、ウィルだけはあたしとも普通に接してくれたの。それがすごく嬉しかったのよねぇ。あたし自身、自分の生き方に本気で悩んでたから、人生を丸ごと救われちゃったわ」
マリオンのアメジストのような瞳が穏やかに細まり、唇が柔らかく綻ぶ。
普段のおちゃらけた雰囲気はどこへやら。眩い朝日の中で微笑む蒼の枢機卿は、清らかで静謐な空気を纏っている。
従兄だからか、彼の眼差しはほんの少しだけ、ウィラードのそれと重なって見えた。
「だからね、あたしは一生ウィルを裏切らないって、彼が存在を認めてくれた自分自身に誓ったの。次期教皇を目指してるのだって、ウィルが次期国王になった時のためよ。教徒の貴族連中は第一王子がお嫌いだから、国と教会の均衡を保つために必要な地位なの」
「そうだったんですか……」
異端者として奇異の目で見られる辛さは、エリスも痛いほどよく理解している。
自分のためではなく、自分を救ってくれた人のために努力を重ねていたなんて――マリオン本人と、過去に彼を救ったウィラードに尊敬の念を抱く。
お互いに素晴らしい心根の持ち主だからこそ、今でも二人は良好な関係を保っているのだろう。
(マリオンさんの夢、叶うと良いな)
心の中でそんなことを思い、エリスは自然と口元を綻ばせた。




