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第九話 婚約者としての最初の一歩

 コホンと一つ咳払いをして、ウィラードは室内の不穏な空気を霧散させる。


「だけど、勘違いしないで欲しい。エリスを私専属の聖花術師(せいかじゅつし)にするのは、決して宮廷聖花術師の代替というわけではないんだよ」


 わずかに身を乗り出したウィラードは、厳かに本題を切り出す。


「君の口付けには呪いを打ち消す効果がある。例えそれが一時的だとしても、この国で初めて解呪を実現させたのは事実だ。だからこそ、この依頼はエリスにしか頼めない。完全に呪いを解く福音を、私のために作ってくれないだろうか?」

「な――っ!? そんな大役、私の身には重過ぎて務まりません! 解呪でしたら、師匠を頼られてはいかがでしょう? 花祝(かしゅく)()で殿下を御救いしたのも師匠でしたし……」

「君の師匠は呪いを無効化したわけではなく、単に跳ね返しただけだ。そして、弾き飛ばされた呪いが直撃したにもかかわらず、エリスは数時間昏倒するだけで済んでいる。使用されたのは呪殺を目的とした、命を刈り取る凶悪な呪いだったはずなのに――……妙だと思わないかい?」


 ウィラードの指摘に、ドクリと心臓が嫌な音を立てた。


 愕然と翡翠の瞳を見開いたエリスは、両手でペタペタと身体中に触れる。

 魔女として捕らえられ、濡れ衣を晴らすのに必死で、今の今まで気付かなかった。




(……なんで私、呪われてないの……?)




 ギーゼラの福音で守られて尚、ウィラードは呪いの影響を中途半端に受け、半獣化しているではないか。それなのに、まともに呪いを喰らったはずの自分は、身体のどこにも変化が見られない。

 ストレスでしくしく痛む胃を除けば、体調もすこぶる良好だ。


 極度の混乱に見舞われたエリスが、茫然と瞬きだけ繰り返していると、ウィラードの落ち着き払った声が鼓膜を震わす。


「現状から導き出される答えはただ一つ。エリスは呪いが効かない特殊な体質をしているのだろう。口付けに解呪の効果が現れるのも、唇を介して他者に力を分け与えていると考えられる」

「聖花術師は花言葉を殊更大切に扱ってるでしょ? だから、力の受け渡し場所が言葉を紡ぐ唇なのかもしれないわね。大事なのはエリスの唇が接触することであって、力を受け取る側は、皮膚が出ている箇所ならどこでも良いはずよ」


 ウィラードが出した結論に、マリオンがすらすらと的確な補足を入れる。


(私みたいな落ちこぼれに、呪いを無効化する力が本当にあるの?)


 嘘みたいな話だが、現に自分は呪いを受けてもピンピンしている。

 ウィラードの呪いが一時的に解けたのも、偶然の産物とは言い難い。口付けをした回数は二回だが、そのどちらでも解呪の効果が現れたのだから。


(これだけ証拠が揃ってたら、疑う方がおかしい……か)


 花咲き体質に加えて、呪いを無効化する体質だなんて――……果たして、自分の身体は一体どうなっているのだろう?


 そんな一抹の不安が脳裏をよぎるが、どんなに悩んでも答えは出なさそうなので早々に思考を放棄する。

 それよりも――と。居住まいを正して表情を引き締めたエリスは、真っ直ぐウィラードを見据えて口を開く。


「分かりました。ウィラード様のご依頼、謹んでお受け致します」


 これでも教会に属する聖職者の端くれである。相手が自国の王子でなくとも、救いを求める者が目の前にいたら、快く助力するのが聖花術師の正しい在り方だ。

 ウィラードにはお世話になりっ放しなので、エリス個人としても純粋に恩返しがしたかった。


 すんなり依頼が通るとは思わなかったのか、探るように獣耳をピクピクと動かしながら、ウィラードが「本当かい?」と尋ねてくる。

 その様は大好物をおあずけされ、そわそわしている大型犬のようで、エリスの庇護欲を無性に掻き立てた。


「国教神様に誓って嘘は吐きません。ほんの僅かでも完全な解呪への希望があるのなら、聖花術師として最善を尽くす所存です。ただ、私の身に宿る解呪の力が、福音作りでも効果を発揮するとは限りませんので……ご期待に沿えない可能性があることを、予めご了承下さい」

「? 解呪の福音が完成しなくても、私にはエリスが付いているじゃないか。公務では不便を強いられる場面が出てくるだろうが、立ち回り次第でどうとでも誤魔化しが効く。君には迷惑を掛けるけれど、二人三脚で苦難を乗り越えて行こう」

「……はぇ?」


 急に話題が予期せぬ方向へ進み出し、エリスはうっかり腑抜けた声を漏らした。


 目を点にして固まっているエリスに、ウィラードがはっと息を呑む。

 じわじわと頬を薔薇色に染めた彼は、眉尻と獣耳を垂らして「性急過ぎたね」と苦笑する。


「次期国王が選定される時までに呪いが解けなければ、私は潔く王位継承権を放棄すると決めた。しかし、民の血税でこれまで育った恩もある。第一王子という肩書きがある間は、勤勉な国民へ感謝の意を表するべく、全力で国務に携わるつもりだ」

「それは、とても素晴らしいお考えだと思いますが……私は関係ありませんよね?」

「何を言っているんだ、関係大ありだよ。まさか君は、解呪の福音が完成するまで、私を蒼の宮殿から出さないつもりかい? 政務は書類仕事が圧倒的に多いが、会合に参加したり視察へ出たりもするんだ。その時は、エリスの協力がどうしても必要になる」

「もしかして、殿下が外出する度に私が口付けするんですか!? 恋人でもないのに、そんな破廉恥な真似は出来ません!」


 眦が裂けんばかりに目を見開いたエリスは、驚愕のあまり心臓が止まるかと思った。

 血の気が失せた蒼白の顔色で、はらはらと色褪せた幻想花(げんそうか)を散らす彼女の様子に、半獣の王子は心底不思議そうに首を捻る。


「婚約とは結婚を見据えた者同士がするものだ。つまり私とエリスの関係は、恋人よりも深い仲になったと言える。結婚を誓い合った二人が口付けを交わすのは、決していかがわしい行為ではないと思うのだけれど……」

「で、ですが! この婚約に恋愛感情はありませんよね?」

「そうだね、今は〝まだ〟無い状態だ。けれど、未来は誰にも分からない。一度目は事故だったが、二度目の口付けをする際、必ず責任を取ると約束しただろう? 私は女性に無体を働いておきながら、誓いを反故にする軽薄な男ではないつもりだよ」


 そういえば、教会の調合室でプロポーズ染みた台詞を告げられていたことを思い出す。どういう意味なのか問う前に、ファーストキスを奪われて昏倒してしまったが――よもや、本気のプロポーズだったと誰が思い至れるだろうか?

 少なくともエリスは、今の今まで記憶の彼方に忘れ去っていた。


「幸い、父上もエリスとの婚約に賛成してくれた。理由を知った母上も、自分が淑女に必要な作法を教えると言い出して、息子の私よりも心躍らせている。私達の婚約を遮るものは何もないから、どうか安心して欲しい」


 安心するも何も勝手に王子様の婚約者にされている時点で、激しい恐怖以外感じられないのだが。

 国王と第二王妃までもが、自分とウィラードの婚約を歓迎しているのも、尚更質が悪くて眩暈がした。


 王族の決定にケチを付けられる平民が、この国のどこにいる。


(こんなの、権力者の横暴だよ……っ!)


 反論の余地を失ったエリスが、ソファの上で脱力していると、いつの間にかウィラードが傍らの床に跪いていた。


 彼は土いじりで荒れたエリスの手を、自身の一回り大きな手でそっと包み込んだ。

 真摯な光を宿した瑠眼差しに至近距離から見つめられ、ドクドクと鼓動が熱く脈打ち出す。だって、仕方が無いじゃないか。エリスとて花も恥じらう年頃の乙女である。解呪のためとはいえ、とてつもない美形の王子様に迫られたら、誰だって胸を高鳴らせるだろう。


 これはもう、美男子を前にした女性が引き起こす一種の生理現象だ。


 真っ赤な顔で目を白黒させながら、朱色の幻想花を暴発させているエリスに構わず。

 凛然とした面差しで、ウィラードは己が心内を明かす。


「正直なところ、今はまだ解呪の助力を乞う気持ちが大きい。だから、これから私に君を知る機会を与えてくれないだろうか? そして可能であれば、君にも私という人間について知ってもらいたい。私はエリスを、お飾りの婚約者にしたくないんだ」

「~~~~っっっ!!」

「気持ちはゆっくり二人で育んで行こう。目先の目標としては、〝ウィル〟と愛称で呼んでもらうことかな。改めて――これからよろしく、エリス」


 真剣な表情から一転して、目を細めてふわりと微笑まれる。


 断るなんて選択肢などありもしない、事前に退路を断たれた婚約。

 そこに愛はないけれど、精一杯大事にしてくれようとする思い遣りは感じ取れる。


 どうせ取り消せない婚約なら、下手に壁を作るのは最大の悪手だ。

 幸いにも、ウィラードは好意的に接してくれるので、あとはこちらから歩み寄ればいい。


「こ……こちらこそ、よろしくお願いします……」


 蚊の鳴くような声で呟いたエリスは、ぺこりと頭を下げる。


 それが聖リュミエール王国の第一王子、ウィラード・ルネ・ランドルリーベに向ける、婚約者としての最初の一歩だった。

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