第七話 慰めと励まし
「私としたことが、少々浮足立っていたようだ。驚かせてしまってすまない」
室内の幻想花がすべて消失すると、まずはウィラードが謝罪の言葉を口にする。
ちなみに彼は、ローテーブル越しの一人掛けのソファに腰を下ろしている。元いたエリスの隣に座らなかったのは、警戒心が高まっている彼女を刺激しないための配慮だろう。
本気で反省している証拠に、しょんぼりと獣耳が力無く垂れている。
どうやら獣化した部分は、感情の機微を素直に表現してしまうようだ。
その事実に当人は気付いていないらしい。ウィラードは獣耳を垂らしたまま、真剣な面差しで説明を始める。
「エリスを私の婚約者にする理由は三つある。一つ目は、魔女の標的を一ヵ所に集めるためだ。私と君は魔女に命を狙われている身だからね。護衛対象は同じ場所にいた方が守りやすいから、蒼の宮殿で保護する形になったんだよ」
「花比べが終わっても、まだ私を守って下さるんですか?」
「当たり前だろう。魔女探しは振出しに戻ったんだ。命を狙われる可能性があるエリスを、素知らぬ顔で見捨てることなど出来るものか」
「ウィラード様……」
――あぁ、この人は出会った時から何も変わらない。
平民の小娘相手でも、常に優しく接してくれる。
自分が今こうして生きていられるのも、彼が自身の呪われた状況に疑問を抱き、自ら教会の独房へ真偽を確かめにきてくれたお陰だ。
魔女疑惑が晴れた後も、取るに足らない一介の聖花術師を保護してくれるとは――この王子様は、どこまで慈愛の精神に溢れているのだろう?
対して自分は、何一つウィラードの役に立っていない。
恩返しをしたいと思っても、足を引っ張る事しか出来なくて、不甲斐無い自分に嫌気が差す。
罪悪感に突き動かされたエリスは、勢いよくソファから立ち上がると、対面に座すウィラードへ深々と頭を下げた。
「お心遣い感謝します。ですが、こんなどうしようもない落ちこぼれ、ウィラード様に守って頂く価値はありません」
「エリス? 一体、何を……」
「国王陛下を始め、妃殿下や六花枢機卿の皆様まで巻き込んだにもかかわらず、私は花比べを挑むべき相手を間違えてしまいました。魔女を捕らえるどころか、誤った情報で迷惑をお掛けしてしまったんです。……本当に、申し訳ありませんでした」
唐突なエリスからの謝罪に、ウィラードは大層驚いたようだ。
垂れていた獣耳がピンと立ち上がり、大きく瞠った瑠璃色の瞳をぱちくりと瞬かせている。長衣の裾から覗く尻尾など、ぶわっと毛が逆立ち、大きく膨らんでいた。
だが、それも一瞬のことで――すぐさま平静を取り戻したウィラードは、どこか切なげに眉根を寄せる。
「エリス、顔を上げてソファに座ってもらえるかな? そのままでは話しにくいじゃないか」
「で、ですが! 私は罪のない妹弟子に、危うく魔女の汚名を着せるところでした。マリオンさんが事前に予防線を張って下さっていたお陰で、大事には至りませんでしたが……私は最低な聖花術師です。……いえ、聖花術師を名乗る資格もありません……」
最初は強かった語気も、最後の方ではか細く力を失っていた。
しんと静まり返った室内。エリスは震える両手を握り締めて、涙が零れそうになるのを必死で堪えていた。
そんな痛々しい彼女の姿を見て、ウィラードが何事か言葉を掛けようとした時である。
彼よりも先に口を開いたジュダが――、
「お前は馬鹿か?」
傷心中の少女を容赦なく罵倒した。
思わず顔を上げたエリスに、元々の強面を更に険しく歪めて、ジュダは呆れ混じりの溜め息を吐く。
緩く腕を組んだ彼は、今度は分かりやすい表現で己の意見を述べる。
「先日、聖堂へ呪いが持ち込まれた経緯を聞いたが、明らかに妹弟子が怪しいだろう。お前の福音に触れた者は、そいつ以外に存在しないのだから。ならば、真っ先に疑って掛かるのは当然だ。同門だからと庇い立て、後々、取り返しの付かない事態に発展したらどうする」
「それは……そうかもしれませんが……」
「何の根拠もなく他者を疑う行為は非難されて然るべきだ。しかし、お前の状況説明には説得力があった。だからこそ花比べが行われ、妹弟子が魔女でないと判明したではないか。今はあれこれ難しく考えず、ありのままの事実を素直に喜べば良いだろう」
第一声は衝撃的だったが、これはジュダなりの励ましだったのだろう。彼は尚も渋い顔をしているが、ほんのりと耳朶が赤く染まっている。
そこでマリオンが、「あーあ」と拗ねたように唇を尖らせた。
「あたしとしたことが、ジュダに先を越されるなんて一生の不覚だわ! よく聞きなさい、エリス。花比べの件について、あんたが責任を感じる必要は一切ないのよ。誰がどう考えても、容疑者候補はイレーネしかいなかったんだもの」
それに――と続けたマリオンは、口端を上げてシニカルに笑む。
「エリスが黙っていたとしても、優れた慧眼の持ち主であるこのあたしが、イレーネに目を付けないはずないでしょ。あぁ、有能過ぎる自分が怖いわぁ~」
芝居がかった口調でそう言いながら、マリオンは突っ立ったままでいるエリスを、さり気なくソファへ座らせる。柔らかな座面に身が沈めば、自ずと対面のウィラードと目が合った。
彼は優雅に足を組みながら、目を細めて柔らかく微笑む。
「思い出してごらん。君は怨念に憑りつかれた魔女の凶行を止めるべく、私達に犯人の心当たりを話してくれた。単なる告発が目的ではなかった上、半ば強引に説得を試みたのは、他の誰でもない私自身だ。ジュダやマリオンが言う通り、エリスは何も悪くないんだよ」
もう自分を責めないように――と、ウィラードからしっかり釘を刺される。
この場にいる全員から諭され、エリスの胸を塞いでいた閊えが取れた。
今でもイレーネには、決して許されないことをしたと反省している。けれど、いつまでも悲劇のヒロインぶって、落ち込んでいるのは間違いだ。
(私に出来る償いは、本物の魔女を捕まえる……まではいかなくても、今度こそ確実な手掛かりを見つけることだよね。絶対に言い逃れ出来ない証拠を掴み取ってやるんだから!)
普段の調子を取り戻した途端、にょきっと頭頂部に一輪の幻想花が生える。
エリスの現在の心境が反映されたのか、緑の葉は瑞々しく、花弁の色はやる気がみなぎるオレンジだ。
その花を見たウィラードは、「ふふっ」と小さく笑みを零して本題へ戻った。




