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第六話 青の王子との婚約

 蒼の宮殿は城の東側に位置している。

 ウィラードが政務を行う執務室は勿論のこと、彼の私室や寝室があるプライベートな空間だ。


 窓から見える広大な庭園は美しく整えられ、白亜の噴水やドーム状の屋根のガゼボに目を惹かれる。

 庭園の片隅には離宮があり、宮殿の主に婚約者が出来た際は、そこで暮らしてもらうのだとか。


「ウィル、ジュダ! 今日からエリスを甘やかして、あたし達の好感度をガンガン上げていくわよ! エリスも遠慮なんか捨てて、あたし達にもっと懐きなさい!」


 人払いされたウィラードの私室に、どこか苛立った様子のマリオンの声が響く。

 この場にいるのは、ウィラードと彼の護衛を務めるジュダ。そして、先ほどまで花比(はなくら)べの結果を報告していたマリオンと、所在無げにソファに座っているエリスの四名だ。


「おい。花比べの仔細から、何故そのような下らない話題に繋がる?」


 胡乱な眼差しのジュダが率直な問いを投じる。

 すかさず「どこが下らないのよ!?」と噛み付かれ、さしものジュダもわずかに仰け反った。


 それほど、マリオンから放たれている気迫は凄まじい。


「だって、あたし達より紅華枢機卿の方がこの娘と親しかったのよ!? 他の枢機卿連中ならともかく、グレアム・エイボリーにだけは、どんな些細なことでも負けたくないの!」

「紅華枢機卿? あぁ、お前が勝手に敵対視している奴か。個人的な派閥争いに殿下と俺を巻き込むな。分かるか? ここは王城だ。教会の問題は教会で解決しろ」

「この石頭ッ! 別に悪い話じゃないんだからいいでしょ? 今後を見据えて、良好な人間関係を築くのは大事なんだから! ねぇ、ウィルもそう思わない?」


 話題を振られたウィラードは、エリスの隣に腰掛けて優雅にお茶を飲んでいた。


 手にしていたカップをソーサーに置き、青の王子は「ふむ」と唸って顎に手を当てる。

 伏し目になると、長いまつ毛が頬に影を落とす。時折ピクピク動く犬耳ですら、美男子の頭部に付いているだけで、魅力の一つに思えてしまうのだから恐ろしい。


「確かに、マリオンの言う通りだね。これから長い付き合いになるんだし、エリスと私達の仲を深めるのは急務と言えるだろう」


 表情は至極真面目なのに、長衣の裾から覗く尻尾がブンブン揺れている。


(なんだか、大型犬みたいで可愛いかも)


 ――そんな不敬な感想を抱いた罰が当たったのかもしれない。

 次の瞬間、上機嫌で尻尾を振り続けるウィラードが、爽やかな笑顔で爆弾発言を投下した。


「それじゃあ、手始めに私を〝ウィル〟と呼んでもらおうか」

「……すみません。今、なんと?」

「私の愛称だよ。私的な場所に限られるけど、両親や懇意にしている親戚達は、今でも私をそう呼んでいるんだ。ほら、マリオンが良い例だろう?」


 指摘されてようやく、マリオンが公爵家の人間であることを思い出す。


 オネェ口調の枢機卿というインパクトが強過ぎて、それ以外の肩書きが頭から抜け落ちていた。

 確か現国王の妹が母親で、三人兄弟の末っ子だったはず。だから彼はプライベートで国王を「伯父様」と呼び、第一王子であるウィラードとも気安い態度で接しているのだ。


 しかしそれは、マリオンがプロイツ公爵家の令息だからこそ許される行為である。


「大変申し訳ないのですが、それは無理です」

「? 何故だい? 愛称の方が短くて呼びやすいだろう?」

「いえ、そういう問題ではありません。ただの庶民でしかない私が、ウィラード様を愛称で呼んだ日には、今度こそ不敬罪で処刑台行きになりますから……」


 魔女の濡れ衣を着せられ、投獄までされた身である。過酷な死線を潜り抜けたエリスは、「命を大事に」を座右の銘として心に深く刻んでいた。

 這う這うの体で生き延びたのだから、自ら命を危険に晒すような真似はしたくない。


 ――と、そこで。エリスの主張に耳を傾けていたウィラードが、ふっと吐息のような笑い声を漏らした。

「笑い事じゃない」とエリスは内心で不貞腐れるも、またしても青の王子は、目が眩まんばかりの笑顔でとんでもないことを言い出す。


「君が庶民だったのは、今となっては過去のことだよ。今日からエリスは私の大切な婚約者として、この蒼の宮殿で暮らすんだ。誰にも――魔女にだって、君を傷付けさせたりはしない。私の生涯をかけてエリスを守り抜くと誓おう」


 ギシッと、スプリングが軋む音が空気を震わす。

 ソファから立ち上がったウィラードは、エリスの前に跪いて彼女の小さな手を取る。


 瞬きも忘れて茫然としているエリスに、ウィラードはふわりと表情を和ませる。

 朝露に塗れた薔薇の蕾が綻ぶような、どこか神秘的な色香を含む微笑だった。


 そのまま彼はエリスの手の甲へ顔を寄せて、庭仕事で荒れた肌に唇を落す。


「ひゃああぁぁぁぁっっ! ウィラード様、何をなさっているんですか!? それに、わ、わわわ……私が、こ、婚約者だなんて……っ! じょ、冗談は止めて下さい!」


 裏返った悲鳴を上げたエリスは、茹蛸のような顔色で激しくどもりながらまくし立てた。

 ポポポポポンッと、ショッキングピンクの幻想花(げんそうか)まで大量に咲き乱れ、ジュダのこめかみにピキッと青筋が浮かぶ。


「喧しい! 我が主、ウィラード殿下は高潔な御方だ。質の悪い戯れで小娘を弄ぶような、下卑た輩と同列に扱うな。殿下は貴重な政務の時間を割いてまで、こうしてお前の相手をしているのだ。下らぬ嘘を吐く暇などあるものか」

「あらやだ、珍しくジュダと意見が合っちゃったわ」


 明日は空から槍でも降りそうね――と。

 室内を埋め尽くした大量の幻想花を、指先でつんつんと突きながら、マリオンが呑気に独り言ちる。


「でもねぇ、流石にウィルも直球過ぎたんじゃない? 乙女心は花よりも繊細なの。扱いには細心の注意が必要なんだから、もっと段取りに気を配らないとダメよ。分かったら、詳しく事情を説明してあげなさい。エリスも少し落ち着いて、この幻想花をどうにかするように」




 ――この状況でどう落ち着けと?




 いつの間にか第一王子の婚約者にされて、プロポーズのような言葉と共に、いきなり手の甲へ口付けされた。

「私の意思など完全無視じゃないか!」と、怒りを含んだ文句が喉元まで込み上げるが、エリスは理性を総動員してどうにかそれを飲み下す。


 自分がいくら騒いだところで、全ての決定権はウィラード側が握っているのだ。ならば、マリオンの言う通り無理にでも気を静めて、詳細を語ってもらうべきだろう。

 何も知らずに狼狽えているよりも、事情を把握する努力をした方が遥かに建設的だ。


(面倒事は懲り懲りなのに……)


 乱れた心を正す深呼吸が、災難続きを憂う溜め息に変わる。

 エリスの昂っていた気分が急降下すると、大量の幻想花まで音もなく消え去った。

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