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第五話 捨てられた福音

 驚きのあまりエリスが絶句していると、眉を険しく顰めたグレアムがマリオンを咎める。


「エリスは聖花術(せいかじゅつ)で生計を立てる一般庶民です。貴族社会で求められる教養や礼儀作法とは無縁の身。とてもウィラード殿下のお相手が務まるとは思えません。何より、彼女の保護者代理である工房主の意志を欠いております。これはあまりに横暴が過ぎませんか?」

「お言葉ですが、私もグレアム様の仰る通りだと思います」


 グレアムに同調したのは、相変わらずエリスを睨め付けているイレーネだった。

 彼女は枢機卿の前でも臆することなく、普段の単調な物言いで先を続ける。


「たとえ無実だったとしても、一度広まった魔女の噂はそう簡単に消えたりしません。国民から不信感を持たれた先輩が側にいたら、ウィラード殿下の権威まで失われてしまいます」

「イレーネ、待って! 私は――……」

「言い訳は聞きたくありません。教会の次は王家と揉め事を起こすつもりですか? やめて下さいよ、いい迷惑です。働いている工房が同じというだけで、師匠や私の評価まで下がるんですから。ほとぼりが冷めるまでの間、大人しく工房に引きこもって、掃除でもしていたらどうです? 師匠と私は長期間戻れないので、打って付けじゃないですか」


 グサリ、グサリ……と。


 いつにも増して、イレーネの発する一言一句が胸に深々と突き刺さる。

 自分のせいで迷惑を掛けている自覚はあったが、面と向かって苦情をぶつけられると、情けなさのあまり消えて無くなりたくなった。蒼の宮殿で暮らすという誤解を解く気力も、ことごとく削げ落ちてしまう。


「お二人共、悪いことは言いません。その辺にしておいた方が身のためですよ」


 エリスが何も言い返せず俯いていると、猫を何重にも被ったマリオンが、穏やかな笑みを崩さず端的に告げる。


「繰り返しになりますが、この一件は既に国王陛下からお許しを得ています。ここは教会ではなく王城ですよ。国王陛下のご意向に逆らうような発言は控えた方がよろしいかと。私は告げ口など陰湿な手段は取りませんが、何処で誰が耳をそばだてているか分かりませんから」

「…………」


 最年少の同僚を、暫し無言で見据えていたグレアムだったが……やがて、肩を落として深く嘆息した。

 彼は「力になれなくてすまない」とエリスへ短く謝罪すると、イレーネの両肩に手を置いて「帰るよ」と促す。


 そこでようやく顔を上げたエリスは、イレーネが使用した作業台の上に、ある物が残されているのを発見する。思わず「イレーネ!」と呼び止めれば、グレアムと共に部屋を出ようとしていた妹弟子は、「何ですか?」と肩越しに振り返った。

 氷のような冷めた眼差しに怯みかけるが、喉の奥からどうにかこうにか声を絞り出す。


「えっと……福音、忘れてるみたいだけど……」


 作業台の上に置かれていたのは、先ほどイレーネが作成した福音だった。

 自分の作品をチラリと一瞥したイレーネは、眉間に根深い皺を刻んで歯噛みする。


「どうして私が、そんな〝ゴミ〟を持ち帰る必要があるんですか?」

「ゴミって……そんな酷い言い方しちゃダメだよ。福音は国教神様が与えて下さった、とても神聖な御業で……」

「お説教でしたら結構です。だって、私、負けたんですよ? 年中花を飛ばしてる落ちこぼれの先輩に。国王陛下に選ばれなかったゴミは、目に入るだけでも不愉快なんです。欲しければ差し上げるので好きにして下さい」


 隠し切れない怒気を含んだ台詞をぶちまけたイレーネは、少し先で待っているグレアムの元へ足早に向かう。

 そうして二人は、今度こそ謁見の間から出て行った。


(福音に罪はないのに、ゴミ扱いするなんてあんまりだよ)


 作業台の上に置き去りにされた、イレーネの福音から目が離せない。


 花比(はなくら)べでは、勝者の福音のみ依頼人が持ち帰る。

 入門して間もない見習いのイレーネと、正式な聖花術師として活動しているエリスでは、素人目から見ても経験の差は明らかで――ジェレミー王は第二王妃ナターシャから贈られた福音を選び、此度の花比べはエリスが勝利を手にしていた。


「そこまで物欲しそうに眺めるくらいなら、お言葉に甘えて貰っちゃえば? 安全性はあたしも確認済みだし、好きにして良いって言ったのはあちらさんだもの」


 グレアムとイレーネの姿が完全に見えなくなると、マリオンが普段のオネェ口調に戻る。

 彼はエリスの返事を待たず、イレーネが残して行った福音を持ってきた。


「落とすんじゃないわよ」と言い添え、手渡されたのは雫型の硝子瓶。

 中身は赤で統一された花の組み合わせだ。


 瓶の中心で存在感を放っているのは大輪のチューリップ。瓶底には小ぶりな薔薇がいくつも敷き詰められており、その上にチグリジアが控えめに浮いている。

 チグリジアのみ中心部分がわずかに黄色で、作品の良いアクセントになっていた。


(第一王妃様は、今でも国王陛下を情熱的に想っていらっしゃるんだなぁ。使われてるの、全部【愛】に関係する花言葉っぽいし)


 薔薇は【あなたを愛しています】と囁く甘い告白。

 チグリジアは【私を愛して】と求める密やかな願い。

 メインであろうチューリップは、二人の心が繋がり合って芽生える、【永遠の愛】を表現している……と、いったところか。


 ――などと、ぼんやり思案を巡らせていた時だった。


「それじゃあ、あたし達もさっさと帰るわよ。エリスに蒼の宮殿の案内をしなくちゃいけないし、他にも色々と予定がギッチリ詰まってるんだからね」


 そうだった。妹弟子作の福音に夢中で、すっかり頭の中から抜け落ちていたが、自分は今日から蒼の宮殿で暮らす……らしい。

 当事者抜きで、そんな重要な話が進められていたなんて、驚きを通り越して恐怖すら感じる。


(国王陛下から許可が出てるんじゃ、抵抗するだけ無駄だよね)


 未だに、エリスの名誉回復は行われていない。花比べの参加者にも、彼女が無実であると他言しないよう、厳重な箝口令が敷かれたほどだ。

 正体不明の魔女から身を守るためには、ここまでしなければならなかった。


 工房に帰れと言われても、こんな状況で新たな依頼は受けられない。

 かと言って、師匠やグレアム達と行動を共にするのも、妹弟子を魔女だと疑ってしまった手前、気まずさが圧倒的に勝ってしまう。


 ――だから、「助かった」と心のどこかで思ってしまった。

 ウィラード達と一緒にいれば、イレーネと顔を合わせずに済むから。


(……私、最低だ……)


 へにょんと萎れた幻想花(げんそうか)が頭頂部に生える。

 普段はすぐさまむしり取って消しているが、今はそんなことをする気力もなく……先に立って歩き出したマリオンの背を、エリスは項垂れたままとぼとぼ追いかけた。

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